年別アーカイブ: 2025年

障害ナースの語り

治療後は体力が落ちて復職できるか不安な時期もあったが、病気で諦めるのは悔しい思いもあり、周囲と相談しながら復職を目指した

(病気での治療を経て)復帰したのは手術も終わったところで、術後の化学療法はあったんですけれどもそこでいったん復帰することになって。復帰するそのタイミングっていうのも、私、まだ1年目での病気だったので。
病気休職っていうのがそんなに長期間ないっていうところで、4月に手術して、本当夏ぐらいにその休職期間が切れてしまうから、(この病院の規則では)1日でも復職をしないと、仕事を続けられないっていう話があったので。
まだ術後の感染症とかもあったので、熱が出たりとか、抗生剤投与してたりとかもあったんで万全で帰れる状態ではなかったんですけれども、ちょっと話し合って。
その時すごい迷ったんですけど、手術したあと、骨盤の手術だったので、股関節をほとんど取るような手術だったので、歩くっていうのが難しくて。まあ車椅子を使ってたのと、私自身手術のあと体力がだいぶ落ちてたので。
1日3~4時間頑張って座って、もうへとへとになるぐらいだったので。そんな状況で仕事に戻るっていうのも、何かあんまりイメージがつかないような状況ではあったんですけど、やっぱり私なりに看護師もう戻れないかなって。
自分の体力とか運動機能だったりとか思って、ほかの仕事も探さなきゃなって思った時期もあったんですけれども、手術のあとまでの長い入院生活の中で、看護師さんの存在っていうのがすごい大きくて。
この仕事、やっぱりなりたくて看護師になってたので、やっぱり病気のせいで諦めるっていうのが、何かちょっと悔しいなみたいなのもあって。その時、本当悩んだんですけど、
私が入院してた職場の師長さんと、働いてたとこの師長さん、あと主治医の先生だったり、看護部長さんだったりとか、いろんな人が話をしてくれて。私の両親も含めて話をして。やっぱり仕事戻る方向で、頑張ろうっていうふうに話を持っていってくれたので。
そこでもともと働いてた職場の病棟のほうに、いったん復職しようっていう話になって、戻りました。そのあとは術後の化学療法が1カ月ごとにあったので、仕事をしてまた入院して化学療法を受けて、また仕事してというのを繰り返すような感じで。
それで1年ぐらいやり切った感じではありました。

障害ナースの語り

看護協会のあっせんや、ハローワークの渉外担当の人などチームを組みながら就活を進めた。いろいろな人に相談できる体制だった

いろんなところを何社か受けたんですけども、プラス看護協会のあっせんとか、そこともチームを組みながら。あとハローワークの専門の障害担当っていう人がいて。障害を持つ人たちの就職先のあっせんっていうような形で。
とりあえず看護師として働けると思うから一回ちょっとチャレンジしてみたらっていうような話を受けてみて。在宅の訪問診療のクリニックを受けてみたり、いろんなところも受けてみたんですけども、ちょっとしっくりくるところがなくて。
(以前働いていた)訪問看護のときに、ちょっと(興味をもっていた)今の職場があったんですけども、今の職場のところをちょっと門をたたいてみて。
とりあえず看護協会のあっせんの人は、自分が言いたくないことは言わないけれど、言わなきゃいけないことは言うし、障害のことはちゃんと伝えたほうがいいと思うしっていうようなことで。
(なので自分で)手帳を持ってます、就労支援っていうサービスを今受けてます、配慮してくれるかどうかちゃんと聞きます、どんな配慮か具体的に聞きます、と伝えて、
(そのうえで)いいですよっていうようなお返事をいただいて。そこで働いてみたんですけど。

今はその条件でとりあえず3月ぐらいの末ぐらいに働き始めて、もうすく2~3カ月目ぐらいになるんですかね。ここ最近本当にたまに胃腸炎になって、何でかは分からないんですけども、ちょっとお腹をくだして、すごく夜中につらい思いをしたりだとか
気持ち悪くて吐き気が収まらないって救急外来に飛び込んだりだとか。そういうことがあっても、まあ、休んでいいよ、ちゃんと体、気を付けてっていうような感じで、みんなが(気を遣って、見守って)っていうのもありますし。
障害の告知についても、ある程度の人には知らしてあるから、(看護協会のあっせんの人が)何かあったら相談して、私でもいいし、私がいなかったらこの人、この人がいなかったらこの人っていって、何人も、なんか、窓口を用意しますよだとか。
それがあれだったら、障害福祉のサービスで付いている相談員さんにも相談していいからとかっていうような形で、一回職場見学というか、障害福祉のサービスの見学、その人が付いてきて職場の長と三者面談みたいな、家庭訪問じゃないですけど、何て言うんですかね。
職場でちゃんと頑張ってるかみたいなそういうような話し合いをしてくれる体制があったりですとか。何か困ったときがあったら、メールでも電話でもいいから相談をしてくださいだとか。

障害ナースの語り

転職に際して公的な就労定着支援サービスを利用した。就職先を相談したり、面接についてきてくれたりした(次のクリップへ続く)

(転職活動をしていた時)就労移行のサービスがあるっていうのを区役所のパンフレットとかなんかで知ったのかな、ちょっとそこはちょっと覚えてないんですけども。自立支援の制度は知ってて。
就労支援、障害福祉のサービスのうち、例えば作業所のA型とかB型とかそういうようなのに分類される障害者の就労系のサービスっていうのがあって。就労定着っていうのと就労移行があって、お仕事探しを手伝ってくれるっていう就労移行と、(継続を支援する)就労定着か。
最大4年ぐらいなんか面倒見てくれるみたいのがあって。今も利用してるんですけども。

その就労定着っていうサービスの話を聞きに行ったら、社会福祉協議会がやってくれているところなので、他にも民間のとこでやってるところもあるんですけども。そこでは就労移行の人が専門で付いてくれて、月金の9時5時で何かあったら電話していいよって。
働いてみたいんだけどって言ったら、ここはちょっと厳しいと思いますよだとか、ここはチャレンジしてみたらどうですかだとか。面接に一緒に同行してくれるだとか。
面接のときに向こう側(雇用主側)と、「障害があるんですけども、今後就労の定着や移行、とりあえず何年間か月に1回ぐらい面談しますよ」だとか、
「障害の程度についてどの程度配慮してくれますか」だとか、そういうような交渉だとか、そういうのも手伝ってくれたりとか、そんなふうな感じで。

障害ナースの語り

入職後、直属の上司に難聴と体力のことを伝えた。夜勤は少しずつ様子をみてしんどかったらその都度相談してほしいと言われた

(職場に)入ってからは自分の直属の上司に難聴のことと体力のことを伝えて、上司からは夜勤に関しては、最初は元々入らない、新人看護師だと入らずに慣れてきたら夜勤に入れるので、
最初は月2回ぐらいから少しずつ様子見て、体調がしんどかったら月に1回とか減らすこともできるので、その都度相談してくださいと言われて、
難聴に関しては、電話がちょっと苦手っていうのと、看護師特有の申し送りって朝に患者さんのことを情報をいろいろと説明をする場面があるんですけど、特に早口なんですよね、看護師さんの申し送り。すごく早くて
かつ慣れてないときはどの患者さんのことを言っているのか、専門用語もたくさん出てきて理解がすごく難しいので、上司にそのこともちょっと心配ですって相談をしたら、私がいない場面で、スタッフのほうには共有をしてくださって。
申し送りをする話をする人のすぐ近くで聞くようにしてくれたりとかっていうふうに、(近くの)席を空けてくれたりとか、事前に聞くだけじゃなくて、ここの情報を見れば分かりやすいよっていうのを、早い段階で教えてもらって、工夫をして仕事に臨みました。

障害ナースの語り

入職後の面談で直属の師長には伝えて、それより上の人には師長から伝えてもらった。一緒に働く同期には自分で伝えた(音声のみ)

入職して割と最初のほうに師長さんと面談をする機会がありまして、そこで自分の疾患についてはお伝えをしていました。そのときに師長さんのほうから、これはほかの人とかにも伝えてもいいかっていうようなことを聞かれまして。
ほかの方のすごく迷惑になるような範囲でなければっていうようなことをお伝えしたときに、まず上の人たちだけ伝えておくねみたいなことを言われまして、今知っているのは、師長さんと、副師長さんと、あと主任さんになってます。
あとは今ちょっと退職されてしまったんですけれども、1年目のときのチューター(補佐役の先輩)さんは、体調や疾患のことは把握していただいてました。あとはそれ以外に自分から伝えたのは、同期には伝えました。
っていうのも、これから一緒に働く仲間ですので、その同期に恵まれたっていうのもありましたので、この人たちには伝えておきたいっていうのが自分の中でありましたので、同期にはお話をしました。

障害ナースの語り

全体を統括する看護部長に伝えて、直属の師長には言わなかったが、誰にどこまで伝わっているかは問題だと思う(テキストのみ)

入職する時に看護部長がいたと思うんですが、私は自分が新しいことを覚えるのに時間がかかるということは伝えてありました。
なので、それが「なので」という理由付けにはならないんですけど、職場に配置されてから師長にそのことを話すことはなかったです。話す機会がなかった、場面がなかったという言い方のほうが正しいかもしれないんですが。
だからなのか職場に配置されてからは、私は高次脳機能障害でこれこれが困っていますっていうことは言わなかった、言えなかったっていうふうになると思います。
ちょっと職場の同僚が(詰所に居ながら私生活がテーマの雑談で笑い続けるなど)うるさいときは、(年度末に退職することが決まっていたので一回だけ)「うるせえ」って怒鳴ったんですけど。
一番初めに看護部長には言った。だけどその配置先の師長がどこまで分かってんのかっていうことはあると思います。問題としてですね。
それ(障害にまつわる情報共有の問題)がもしかしたら、今、障害のある看護師の人たちにおいてどこまでクリアできてんのか、分かんないんですけど、これは私の一つの問題ではありましたね。

障害ナースの語り

就職時に診断書は提出していたが、入職してからは症状も落ち着いており、心配することもなかったので特に職場には伝えなかった

結論から言うと職場には伝えなかったんですけど、聞かれたら伝えようとは思ってるような状態でした。自分がクローン病であることを。別に伝える必要はないと自分では考えていて、入職するときに自分の病気を書くところもなかったんですけど。
看護師の資格取って働く上で(必要だったので)診断書は書いてもらってて、それは提出したんですけど、配属先では特に病気のことを聞かれることはなかったので。かつ症状も落ち着いてたっていうのもあったので、伝えなかったです。同僚には言ってました。

ーー就職されてから、(障害のことを)伝える必要はないと思ってたってことだったんですけど、実際就職されてからとかは、体調的に症状的に配慮が必要だとか、そういうことは全くなかったっていう感じでしょうか。

(働くうえで特別な配慮が必要だということも)全くなかったと思います。夜勤しててその疲れっていうのも、きっとただ単に働いたことによる疲れだと思ってたので。
クローン病の症状に倦怠(けんたい)感があるとか(教科書などに)書いてあるんですけど、どっちの倦怠感か結局分からないなって。
大学のときに思ったのは、実習を乗り越えていく上で、きっと今、自分は治療して薬使ってるからきっと病気は抑えられていて。
(だから)このしんどさっていうのは、きっとただただ疲れてるだけなんだろうなっていうふうな区別が、学生中(在学中)についたから、働いてても特に心配になることはなかったのかなーっていうふうに思います。

障害ナースの語り

採用側も車椅子の人には介助が必要とイメージしていた。最初からは無理なので徐々に自分を見て分かってもらおうと考えが変わった

就職活動をし出したのは2月だったんですけど、最初に合同説明会に行ったんです。合同説明会に行っていろんな病院。みんな普通の人たちなんで、もう僕入ってきた瞬間に、「お、何だ、あいつ」みたいな感じの「何だ、車椅子じゃん」みたいな感じの目で見られて、どうも、みたいな感じだったんですけど。どの病院のブースに入って話を聴いても、どこも「いやあ、今から君みたいな人材がとっても大切だから大事だよ、頑張ってね。でもうちはね、どうかな。ちょっとね、うちはね、いろいろと厳しいかも」みたいのがすごく多くて。
僕も分かってたんで、ありがとうございますとか言って流してたんですけど。内心結構きつかったっていうところはありました。自分で検索で「車椅子、看護師募集」みたいな感じでネットで調べると、「障害を持った看護師さん募集」みたいな出て、ここならいいかもと思って、何か連絡してみたら、「いや、うちはちょっと車椅子は」みたいな。結構、精神疾患を持った看護師さんっていうのはあるんですけど、身体障害を持った看護師っていうのはやっぱりどこも受け入れもしてなくて、もちろん慈善事業じゃなくて仕事なんで、それはしようがないんですけど、やっぱりそこら辺で苦しい思いはしました。

やっぱりこれってあっち側から、就職を採用する側からしても、普通の人の想像している車椅子って青いチェック柄の金属パイプの灰色のタイヤの、おじいちゃんがこうゆっくりこいでいるような、そういった車椅子のイメージがすごいあって「え、車椅子?」。最初にやっぱ電話で何かちょっと面接というか、病院見学をしたいって、「え、車椅子、大丈夫?」みたいな感じで、会ってみると、「意外と動けるんだね」みたいな。僕は扉も自分で開けれるんですけど、やっぱ扉のとこをみんなこう「ほら、車椅子通るからみんな開けてくれ」みたいな、みんなやっぱしてくれるんですよ、病院の人だったり。やっぱり車椅子っていうもののイメージが、やっぱりそういう常に介助が必要な人っていうイメージが強いせいで、強いんだと思うんですよ…。なんでこっち側がやれる、僕は看護師になりたいですって言っても…、ぱっとさっきその4~5分しか話していないような人がそれを分かるはずもなくて、それを分かってもらおうと思うほうが無理な話で。なので最初はもう何でもできますと。そこでちょっとずつ、やりながら自分のことを見てもらいながら、もっと自分は、いろんな仕事を後々任せてもらうようになれればいいのかなという気持ちに5月ごろにシフトし始めました。

障害ナースの語り

教員に免許が取れても看護師は難しいだろうと言われ、行政保健師の就職活動をたくさん受けたが面接で苦戦した(テキストのみ)

看護の実習は終わったといっても看護師は難しいだろう、もうむしろ(免許は取れても)なれないだろうって言われていたので。大学の教員から、看護学科の教員から言われていたので。
だから私は行政保健師の就職試験をたくさん受けました。もう都道府県保健師、市町村の保健師、ほんとに15ぐらい受けたんじゃないのかな。座学には問題ないので、公務員試験には受かるんですけど。それは相当な準備をしたからであって、受かるんだけど、面接ですよね。
就職活動の面接がかなり難しい。難しいっていうか、私はやっぱり考えをまとめて話すことができなかったので。その時でも面接がきつかったな。面接でどこも受かるはずもなく。
国家試験はただ覚えればいいだけなので勉強はやり、国家試験は、看護師をされてる方なら分かると思うんですけど、(看護師は就職が決まるのが早いのに)、私は2月の国家試験受かるまで就職先が決まっておらず。
たくさん落ちてきたので。一応ほんとに100床、50床ぐらいの病院は受かっていたのかな。看護師として受かっていたんだけど、看護師はできないだろうと思っているので、受かっても行くつもりはなく。
結局そうですね。2月の末ぐらいにもうどうしようもなくなって、看護師でとにかく病院を2月にもう一個受けて受かって、そこに行こうって。

障害ナースの語り

教員からは透析をしながら看護師になれると言われたのに、最初の面接で「病気をしている人が看護師なんてありえない」と言われた

情報収集する段階で、まず透析をしながらというか、障害を抱えながらできるのかなっていうところは、学校の先生に相談をしたんですね。相談をすると、「いや、大丈夫、大丈夫よ」ってみんなおっしゃるんです。なので、大丈夫だなって自分では思っていましたし、実際にその透析をしながら働いているっていうのを見てきましたので、大丈夫、自信はあったんですね。で、就職には問題ないというふうに考えていました。ただ1つ目の受けた病院がですね、もちろん履歴書のところに、週3回透析をしています、夜間透析をしていますっていうのを書くんですね。もちろん自分が恥ずかしい部分でもありませんし、仕事をしていく上では、もちろん重要なことになってくると思いましたので当然のように書いたんです。書いて、就職試験を受けました。で、面接のときにですね、もういつも面接官が見るんですよね、看護部長さんがこうやって見ながら、「あ、透析されているんだよね」っておっしゃるんですね。あ、やっています、夜間透析していますって答えると、「病気をしている人が看護師なんてあり得ないわよ」って1つ目の病院で言われました、看護部長さんに。それを聞いたときにですね、あれ、学校の先生は「大丈夫よ」って言ってたのに、実際働いている人いるのに、何でこんなこと言うんやろうと思ったんですね。でも透析をしていても障害を抱えていても看護師として自分はできることあるんと違うかなってずっと思っていましたので、その後も就職先を探していったんです。