実習、3年の最後になって、病院の看護師っていうのも見て、ああ、こんな感じだなっていうことが、もう大体想像ができるようになり…、実際に自分も病院で働きたいなっていう思いもありました。とにかく、入った後、患者さんとのコミュニケーションをどうするのか、どうしようっていうことは答えは見つからない、見つかったわけではないんですけれども病院で働きたいなという気持ちはありました。
なので、いろんな病院にインターンで、春休みとか多いんですけど3~4回ぐらいは行ったんですが、実習のときも手話通訳を頼んで一緒に行きました…。
そのときは自分で払ったのかな。ちょっと覚えていない(以下、本人補足:「(よくよく思い出したら、インターンシップの通訳の費用も大学が出してくれていました)」)んですけれども、インターンはもし何かあったときに責任は誰がっていうのもあり、コミュニケーションを取れないので通訳を頼んで一緒に行きました。
病院からは「手話通訳に依存しているようじゃ仕事はできないでしょう」みたいなことを言われたことが何度かありました。確かにそうだよな。病院にもし入っても手話通訳の費用は誰が払うんだ、自分で払うのも難しいし病院側も、病院では出しません。
でも手話通訳がいないと実際に患者さんときちんとコミュニケーションの自信がなかったので、とにかく何回か、4つ、5つの病院に行って話をしました。
例えば急性期とか、救急とかは、もう本当にその場の判断とコミュニケーションが必要なので、ちょっとそれは自分には合わないんだっていうことが分かりました。
それで慢性期病棟とかゆっくり対応ができる、患者さんとお話をできて信頼関係を結べる、その後その患者さんとのコミュニケーション方法を見つければいいかなと思いました。
なので慢性期(病棟)がいいなという話をして、でもやっぱり病院としては難しいと思うと言われました。もう毎日泣いていたんですけれども、それが現実なんだなということを知りました。
そのときにたまたま同級生に、もし自分が病院に働いて偉くなって看護部長になったら私のことを採用するからみたいに友達が言ってくれて、もうとてもうれしかったです。
もちろんコミュニケーション難しい面もある、課題もたくさんあるんですけれども、同級生は「でもべつに問題ないんじゃない」って思ってくれるっていうことが本当にうれしかったです。
でも、現実の社会はやっぱり難しいんだなということが分かりました。結局病院で働くっていうことがなかなか難しいなということが分かって、
研究にも興味があったので、特に聴覚障害者の医療との関わりとか、
健康に関するいろんな情報とか、社会ではテレビとか普通に皆さん、世間話の中にも情報って本当にたくさんあるんですけど、
ろう者や難聴者はなかなかその情報の限界があるので、その辺の研究をしたいという気持ちもあって、大学院に進もうということに決めました。
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面接は事務部長さんと看護部長さんと人事の人と僕っていうので、すごい緊張したんですけど、最初に、何できる?っていう話から始まって。もちろん車椅子なんで、何できる?っていう話から始まりました。
で、移乗とかは、僕はやっぱり移乗とかできないものはできないって言うのは大事なことだっていうのは途中で…。何回か他の今までそういう面接だったりで分かってきてたんで。できないことをできるって言っても、それはうそになるし、できないものだから移乗とか、そういった体位変換だとかっていうのは1人だと難しいですっていうのは伝えました。
ただ観察や今まで学校で学んできた知識を使っての観察だったり、そういった体を使わない作業で、作業だったり仕事であれば僕はやることができますっていうふうに率直に伝えました。
ここは見栄を張らないほうがいいところだなっていうふうに思って伝えました。そこから始まって大変だったでしょうっていう、いろいろ話とかはさせていただいたり、いろいろあとはそうですね、将来何になりたいかっていう話をしました。
将来どういう人になりたいかっていうのを言われたときに、やっぱり自分はそういうコミュニケーションだったり、そういうのを取ることを主になるコーディネーター系の仕事であれば自分もできるんじゃないかと。
もしくはこれからは退院支援、退院した後のケアだったりっていうのをスムーズにつなぐ部分っていうところだったりっていうのであれば僕もすることが、したいですって言いました。で、それは酌んでくださって。
ただ看護職にこだわる必要は、僕はありませんって。先ほど言ったように、今まで培った知識を生かして患者さまに関わることができる仕事であれば、
僕は何にでもやります、事務でも何でもやりますっていうのを言い切ったら、そうしたらそこの部長さんが、あれですね。
ただの看護免許を持った事務で終わるか、それとも何か○君、僕にしかできないことを何か突き詰めた看護っていうのができるようになるのかっていうのは、
最初の1~2年が一番大事になってくる。だから、できるだけ看護師採用の方向で考えてみますというふうに話をしてくださって、
実際に看護師というかたちで、採用のほうはいただきました。
ーー就活は4年生で行った感じですか?
そうですね。
一応(行きたい病院が自分の学校の附属病院)だったんで外部の方とは別の就職試験があって、それで試験を受けて合格もらってっていう感じです。
ーー試験のときは大学入試の備考欄に書いたみたいに、やっぱりご自身のことは、書かれたりされたんですか。
そうですね。面接があったので、もうそのときに志望動機とかどこで働きたいっていうのは全部その今まで話したような流れで、病気になってクローン病になったから看護師になりたくて、ここの病院に来ましたと。
高校生の頃は看護師になることが目標だったんですけど、でも実際勉強してたらIBDっていう世界が、まだまだ光の当たってないところで、入院してた病院がその分野で有名だったので、僕はここの病院に来て、その分野でこの病院を日本一にしますっていうのを、その面接官の人たちの前で言わせていただいて。
で、僕はこの病院でこういうことをやりたいですっていうのを、そこでも多分病気っていうのを味方に付けて就職したっていう感じですね。
ーー面接官とかは、ご自身が言われることに対して、どんな反応でいらしたんですか。
どんな反応。授業に来ていただいていた部長さんが、いてはったので、特にその病気があるからちょっと難しいんじゃないとか、
夜勤が難しいとか、そういったその実際の仕事の話とかも全然、してなかったようにも思うんですけど。
どちらかというと大学4年間はしっかり体調管理して過ごしたので、働いてからも自分で体調の管理をして、
他の人たちと同じように働いていきますっていうふうに言ったような気はします。
ーー具体的に、IBDにちょっと光が当たってないことを受けて、ご自身としてはどんな看護をしますって言って、面接に臨まれたんですか。
どんな看護、それは今もちょっとアバウトというか、すごい抽象的でしかないんですけど…。
多分、僕自身が病気ではあるんですけど、僕が頑張って働くことによって見てもらったら、見てくれる患者さんとかも希望は与えられるのかなっていうのもあったし、
自分だからできるようなことも、病気だからできることもあるんじゃないかなっていうのも思っていたし。
どういう看護をしたいってなると、実際その働いてからの話になってしまうんですけど、病気である自分と患者さん、同じ病気の人と接するときにやっぱり他のスタッフとかと信頼関係っていうのは違うなっていうところもあるんですけど、
近過ぎるところもあるなって思って。病気じゃない人じゃないと分からないこともあるのかなっていうのはあって。
僕ができることって目の前にいる人に対してでしかないので、他のいろんな人がいろんなIBDの患者さんに対していい看護ができるようになったらいいなっていうのをそのときに言ったような、言っていないような感じですかね。
就職するときにあたって、そこは書類と面接と小論文みたいなのと、病院側から提示された簡単な質問用紙みたいなのに記入するっていうのが、就職試験の一つだったんですけど、そこで質問用紙に健康状態はいかがですかみたいな質問があって、
ちょっとまさかそんな質問用紙があるとは思わなくて、ちょっとどっきりして、何て答えようか悩んだんですけど、事前に担任の先生には…どう言うかっていうのを、相談をしていて、病気のことをどこまで言うのか、言わないほうがいいのかっていうのを、相談をすごくしてたんですけど。
担任の先生は、まず大学4年間を確かに休んだこともあるかもしれないけど、大変な実習を4年間やり遂げたっていうのはすごいことだから、それを押せばいいんだよって言ってくださって、
腎臓が、ちょっとぼやかしたんですけど、腎臓が小さいときから悪いですっていう言い方をその質問用紙にも書いて、
面接の中で質問もされるんですけど、そのときに、実習4年間をやり遂げてきましたし、自分でその中で、体調の面をうまくコントロールする技術も学んだので、働いても問題なくやっていけると思いますっていう言い方をして、
難聴に関しても同様に、ちょっと小さい頃から耳が悪いんですが、今はこう、面接をしてるにあたっても問題ないですし、実習中もこういうふうに、工夫をしてやってきましたって形で、できないことはあるけど、逆にこういうふうに頑張ってきましたっていうことを、面接の時点で説明をしました。
採用の面接官の方からは、夜勤はできますかっていうのと、あとは、何かこちらでサポート、何て言うんですかね。サポートというか、気を付けなければいけないことはありますかっていう形では聞かれたので。
夜勤もやったことがないのでどこまでできるか、多分、誰も分からないことなので、夜勤もできますっていうことと、特に就職してからサポートしていただくことは、特にはないとは思うんですけど、もし就職してから何かあったらご相談させていただくことがあるかもしれませんっていう形で、
そのときはちょっとにごして、はっきりとはここが必要ですとは言わずにそのときは終えました。
就職の病院を選ぶときには、まずは透析の病院があるのか、そっちから探していくんですね。高校のときからもずっとそうなんですが、夜間透析をずっとしていましたので、仕事もしている中で夕方の6時から透析が行えるような、透析施設をまず探すんです。で、そこを中心に就職できる病院を探していくんですね。
なのでまずは、私の場合はですね、就職したい病院を見つけるんではなくて、まずは透析できる施設をまず探していきます。それを中心にして、就職できやすいような病院を探していくっていう方法で選んでいきました。探す方法としては。
ーーなるほど。どのぐらいのたくさん選択肢があるものなんですか?
正直言うと、ないです。夜間透析をしていて、その近くの病院に自分が行きたいというか就職できる、就職を募集している病院っていうのが、少ないんですね。
なので、もう大阪、府下、もうあちこちの病院を当たりました。
ーー具体的にはどれぐらい選択肢としては、行けそうかなっていうのはどのぐらいあったんですか。
調べた中では、11件あったんかな。11件あったんですが、実際に受けたのは5件です、たどり着いたっていうのが。やっぱり、もう募集締め切りましたっていうところも、もちろんありましたし。
もう卒業後のこととかは、高校を卒業して入学する段階から入院してた病院で働くっていう目標でしかなくて、他の病院に就職するとかは全く考えてなかったですし、クローン病、潰瘍性大腸炎に関われないんであれば看護師をする意味はないと思ってたので
なんで本当にそこの大学でそのまま、その病院に就職するっていうのがずっとビジョンだったんで。
ーーそれは在学中に揺らいだりとか、例えば違う領域が面白そうとか、そういうことも特にはなかったんですか?
そうですね。一応実習とかも病棟を選べる、内科だったら内科とか選べる実習もあったんですけど、あえてそこはもうIBD、クローン病とか関わらないところに行って。
もしそこで(IBD関連の病棟に行って、そこを)嫌だなって思ってぶれるのが嫌だったんで、全然関係ない急性期の実習とかに行って、やっぱ自分には合わないなっていうので、そのまま就職してという感じです。
たまたま(学生の時に)その病院の方の授業があったりしたんで、そのときに、ここの病棟で働きたいとか…、看護部長さんの授業があったんで、そこで少人数やったし、どんなところで働きたいって話があったんで、
僕はクローン病っていう病気になって看護師になりたいと思ったんで、消化器内科の病棟で働きたいと思ってこの大学に来ましたっていうのをしていましたし、ちょうど就職試験の面接とかでも、僕はクローン病でこの病棟で働きたいっていうのをずっと伝えていってましたね。
就職活動に関しては実習をいろいろとして、精神科の病院に就職をしようと思って、もちろんいろんな理由、実習ですっごく印象深かったっていうのもありますし、やっぱり耳のことは特にずっと気にはしていて、
特に病院でマスクをしながら、忙しい病院だと結構騒がしかったりとか、なんかすれ違いざまに指示をしたりっていうのはなくはないと思っていて、特に忙しい病院はちょっと難しいかなっていうのは思っていて
いろいろと精神科っていってもいろんなところがあるので、担任の先生だったり、精神科の精神の専門の先生とかに相談をして、ゆったり働ける場所、特に、落ち着いて働ける場所をいろいろと教えていただいて、
そこに、「インターンシップ」っていう言い方をしてるんですけど、1日2日だけその病院で見学したり、インターンシップを受けて就職先を決めていきました。
僕は自分がもともと災害看護っていうものに興味があったので、ずっとそれでテーマを練っていたんですけど、けがをしてしまって、災害看護できないなって一回思いもしたんですが、その後に自分で暮らしていくうちに、脊髄損傷の人って災害のときどうしているんだろうっていう気持ちになってきて。
僕は疑問に思ったことは全部一回、あのiPhoneのメモ帳で取るんですけど、研究になりそうな、これ研究になりそうって思ったのを全部書き出すんですけど。
書き出して、後で自分で調べたらやっぱり研究なくて、そういったものにこう着目している研究が。なんで脊髄損傷の人の災害時の不安とか困難っていうものに対して統計を取ってアンケートの研究を行いました。
やっぱり最初は、福島だったり、東日本大震災の被災に遭った仙台、福島、あそこ辺りに直接行って、インタビューをしながらそういった声を集めたいって思ってたんですけど、
それが案の定先生たちからNGが出て、そんな危ないと(笑)、そんなに負担が大きい研究は難しいというふうに言われてしまって。
じゃあということで、アンケートで都内で協力してくださる施設を見つけて、そこで協力していただいて、結果とてもいい統計のデータも取れて、有意義な研究ができたなと思うんですけど。
やっぱり当事者になってみないと分からないことっていうのが武器でもある、うまく使えば武器にもなるものではあると僕は考えてるので、そういったのを使いながら進めていく。
文句を言うんではなく、それをどうやったら周りの人にもっと納得して知ってもらえるかっていう点に重きを置くっていうのが、やっぱいいのかなと思ってます。
なんで、研究もうまいことできたということで、先生たちがいろいろと、その研究の担当の先生がいろいろと頑張ってくれて。半分ぐらい先生の文章になっているかもしれないですけど(笑)。
ーーやってみて楽しかったですか?
はい、そうですね。
僕は、元々研究が、父、母は医療従事者で、父も研究職なので、研究っていうのが好きで、こう突き詰めていく、突き詰めていって原因が何かそれに対して講ずる策は何かって。
これは脊髄損傷の不安っていうか自分の日常生活の不安だったり困難に対しての対応もそうなんですけど、そういったものを明らかにしていくっていうのはやっぱり気持ちがいいところがあって、研究もすごいにこにこしながらやっていましたね(笑)。
自分の病気に関することなんですけど、僕自身が陸上部だったので、なんか僕自身、病気になってから運動って駄目なのかなっていうふうに思ってしまったので、当時は陸上部で、最終的に卒業して、そのまま走ろうか悩むときにちょっと病気のことが頭に引っ掛かって。
他の患者さんどうしてるんだろうって思ったときに、あまり日本ではそういうクローン病の人がどういった運動してるのかっていう研究は、あったんですけどかなり古くて、
かつ、データも若干見えてこないものがあったので、クローン病患者さんがどんな運動習慣してるかっていう実態調査を、いろんなご縁があって、クローン病と同じ仲間の潰瘍性大腸炎の患者さんがたくさんいる専門の施設でデータを取らせていただいたっていう経緯があるので。
自分の中でもそれがおっきかったのかなって。今、話してて出てきたんですけど。
データ取る際に、アンケートなんですけど、実際に自分が施設に赴いて、患者さんに研究の内容から、お願いから、
いろんな人と関わることができたので、多分きっとそういったところから自分がこの病気との向き合い方というか、運動習慣以外のこともいろいろお話ししてくれた患者さんがいらっしゃったので、…そこからもおっきいんだなっていうふうに思いました。
ーー卒業研究を通じて同じ病気の患者さんと関わっていろいろ話を聞いたってことだったんですが、いわゆる患者会とか、そういった活動に、病気になられてから関わったとか、オンラインもあると思うんですけど、そういった関わりって何かありますか。
はい、あります。大学のときに患者会の会長さんと実はお会いしてて、ていうのも、大学の先生同士とのちょっとつながりもあったので、
かつ、僕の当時の研究室の先生がつないでくれたんですけど、それで実際にお会いしてなんかいろいろお話もして、病気の歴史というか、クローン病の歴史ですね、詳しく話してくださって、自分の中での世界が広がったというか。
情報だけにとらわれてるとなんか怖いイメージしかないんですけど、でもそれはきっと治療薬とかが少ない昔だからこそ起きてたことが、今実際僕の体で起きるわけじゃないっていうふうに気付いたので、
僕自身ちょっと患者会の人とちょっとお話しさせていただく機会があったので、それがおっきかったなーっていうふうに思いますし、今も時々患者会のほうに顔出させてもらって、この状況なのでオンラインで参加しやすいっていうのもありますし、なんかそういったことがあります、ありました。
ちょうど3年生のときは、すごく自分もなんか落ち込んでしまって、今までも、もちろんいろいろとありましたし、できないことも、もちろんあったんですけど
改めて私は病気だから耳のことも体力のことも、普通の人とおんなじことはできないんだなと思って、挑戦するチャンスさえ与えてもらえないんだと思ったんですね。
実習にも普通にも入ることもできなくって、いろいろもちろんサポートはしてもらいながらでも、自分なりに頑張ってきたのに、
できないことがこんなにあるなんて、看護師になる意味ないんじゃないかなって一時期、思った時期があって、そこまでほんとは多分、思わなくてもよかったのかもしれないんですけど、実習の疲れとかいろんなのが重なって、結構落ち込んでしまった時期があって。
そんな中、申し訳ないなと思いながら、腎臓ちょっと悪くして入院した後、退院してからも実習を続けて、最後の実習が精神科の実習だったんですね。
私はもう看護師に、もうなるかならないか、資格は取ってもどこで働けばいいのかっていうのを、ちょうど迷ってた時期で、その中で精神科の実習を行ったら、ほんとに何て言うんですかね。
今までの実習と違って、ほんとに患者さんが私のことを毎日待ってくれていて。精神科なのでいろんな理由があって入院をされたりとか、いろんな精神症状で不安定になったりってことをする方なんですけど、
ほんとに話を聞いてるだけでもすごく喜んでくれるというか、こんなに話を聞いてくれてすごく気持ちが落ち着くって言われたりとか、いい看護師さんになれるねとか、ほんとにたった一言だったりもするんですけど、
自分の中ではすごく落ち込んでいて看護師になれないと思っていたのが、本当はなれるんじゃないかなとか、役に立てることもあるんじゃないかなっていうのを、最後の精神科の実習で思い始めて、
なんか精神科ってすごくいいところを生かす場所なんですよね。できないことばっかりを言うんじゃなくて、
精神科の看護師さんは特に患者さんに対して、できないこと、できないことを見つけるんじゃなくって、これはできないけどこれはできるとか、ここができてるのはすごいとか、そういうのを伸ばすところが、なんだかちょっと自分に似ているというか。
耳が悪くてこれはできないけど、こっちはできますというふうに、一生懸命こう自分でやってきた自分に、何となく似てる気がして、小児科で働きたかったけど、でも働けないけど、
精神科っていうのも自分にとってやりたいことの一つなんじゃないかなと思って、それがすごく今後の人生の看護師をするにあたっても、自分にとっていろんな考えるきっかけにもなった実習かなと思ってます。