
インタビュー時年齢40歳(2022年3月)
障害の内容:ベーチェット病(難病)
診断された年齢:28歳
関東地方在住の女性。ICU(集中治療室)で働いていた。
20代後半、ひどい貧血の症状が出るが、診断がつかず、輸血等の対処療法を受けて1年以上勤務を続けていた。
その後、様々な検査の結果、消化器系に炎症が起こる指定難病のベーチェット病と診断された。
看護が好きで仕事を続けたかったが、同じ病院に勤務する主治医に、この状態の看護師に自分の患者は任せられないからと退職を迫られ、やむなく退職した。
大学院に進学後、現在は看護教員として働いている。
プロフィール詳細
看護学部卒業後、ICUで働き始め、数年たってリーダーを任されるようになった20代後半、仕事中に疲れを感じるようになる。
だが仕事はとても楽しく、なんとかやれていると思いすぐには受診せずにいたが、ある夜勤後にひどい疲れを感じ、体重を測ると1週間で6kg増加して普段の洋服が着られないくらいにむくんでおり、初めて受診した。
そこでひどい貧血と分かり輸血をしたが原因はすぐにわからず、病気をもちながら働く先輩などもいたので、貧血の原因が分からないまま貧血くらいで休むわけにはいかず、仕事はそのまま続けていた。
1年以上、休憩中に鉄剤を点滴しながら勤務を続けた。その間に様々な検査をしたところ、小腸に炎症があることが分かり、消化管に炎症が起きて進行すると穴が開いてしまうこともある指定難病の「ベーチェット病」と診断された。
診断時はよく分からなかったが、調べてみると人工肛門になる可能性が高いことや、ステロイドを使った治療で外見が変わる可能性があることにとてもショックを受けた。
仕事は大好きだったのでその後も勤務は続けていたが、ある日当時の主治医(自分が勤務する病院の医師)が自分の病棟に来て、師長もいる場で、自分の患者を病気の看護師には預けられないと退職を強く迫られた。
その後、主治医は師長に度々その話をしており、結局退職を余儀なくされた。
大好きな看護の仕事ができなくなり、退職後はぽっかり穴が開いてしまったような状態となり、病院を退職後、いくつか他の病院やクリニックに応募したが、病気のことを言うと、断られることが続いた。
そんな中、自分の卒業校の教員に看護教員をやらないかと声をかけられ、最初は非常勤で始め、その後は常勤も経験した。
自分が授業を行うときは、下痢などで授業を抜けるわけにはいかないとオムツをつけて授業に臨むこともあった。
最初は周囲も病気に対して理解を示してくれていたが、外見に分からない病気のため、腹痛でトイレから数十分出られない状態であっても、同僚の教員から授業中サボっているのではないかと言われるなど、非常につらい思いをした。
3年ほど教員として働いたが続けることが辛く、退職して休養していたが、知り合いの教員に提案されて大学院で学び始めた。
その後、徐々に病気を受け入れられなくなり自分で薬も飲まなくなってしまった。体調が悪くなり、受診を考えたが元の主治医のところには戻らず、別の病院で診察を受けていた。
ある日病院に行く途中で意識を失い救急車で病院に搬送され、すぐに人工肛門を作る手術をする必要があるという説明を受けた。そして、数時間後には人工肛門ができていた。
後悔の気持ちで、後日、担当の医師に、薬を飲んでいたら人工肛門にはならなかったかと尋ねたところ、「飲んでいてもなっていたと思う」と言われ、その言葉には救われた思いだった。
ベーチェット病による腹痛は波があるが、痛みが強い時は日常生活そのものが辛かった。現在は痛みに対して麻薬を使っており、痛みの症状は緩和している。食事については多少の制限はあるが、周囲とほぼ同じものを食べられるようにもなっている。
普段から思いをため込みがちだと周囲からも言われるが、自分がダメになりそうだったら仕事を辞めるなど一度リセットをして、気持ちが前向きになったらまた始めるということをしてきたように思う。
また、車の運転が好きなので、気分転換に温泉めぐりなどもしていた。
患者になる前は、看護師として患者さんに対して具体的に言葉をかけて何かしてあげなくてはと思っていたが、自分が患者の立場で入院し腹痛がひどかった際に、夜勤の看護師がずっとただ傍にいて背中をさすってくれたことがあり、「傍にいる看護」の大切さを、身を持って知った。
今後臨床に戻ることはないかもしれないが、教員としてかかわる学生に対しては、教科書通りではなく、一人ひとり患者は違って、様々な思いがあることを伝えていけたらと思う。
また、看護師になりたいが不安を抱えている学生などには、まずはやってみてダメならその時考えればいいと、自分の体験からアドバイスしたいと思う。
だが仕事はとても楽しく、なんとかやれていると思いすぐには受診せずにいたが、ある夜勤後にひどい疲れを感じ、体重を測ると1週間で6kg増加して普段の洋服が着られないくらいにむくんでおり、初めて受診した。
そこでひどい貧血と分かり輸血をしたが原因はすぐにわからず、病気をもちながら働く先輩などもいたので、貧血の原因が分からないまま貧血くらいで休むわけにはいかず、仕事はそのまま続けていた。
1年以上、休憩中に鉄剤を点滴しながら勤務を続けた。その間に様々な検査をしたところ、小腸に炎症があることが分かり、消化管に炎症が起きて進行すると穴が開いてしまうこともある指定難病の「ベーチェット病」と診断された。
診断時はよく分からなかったが、調べてみると人工肛門になる可能性が高いことや、ステロイドを使った治療で外見が変わる可能性があることにとてもショックを受けた。
仕事は大好きだったのでその後も勤務は続けていたが、ある日当時の主治医(自分が勤務する病院の医師)が自分の病棟に来て、師長もいる場で、自分の患者を病気の看護師には預けられないと退職を強く迫られた。
その後、主治医は師長に度々その話をしており、結局退職を余儀なくされた。
大好きな看護の仕事ができなくなり、退職後はぽっかり穴が開いてしまったような状態となり、病院を退職後、いくつか他の病院やクリニックに応募したが、病気のことを言うと、断られることが続いた。
そんな中、自分の卒業校の教員に看護教員をやらないかと声をかけられ、最初は非常勤で始め、その後は常勤も経験した。
自分が授業を行うときは、下痢などで授業を抜けるわけにはいかないとオムツをつけて授業に臨むこともあった。
最初は周囲も病気に対して理解を示してくれていたが、外見に分からない病気のため、腹痛でトイレから数十分出られない状態であっても、同僚の教員から授業中サボっているのではないかと言われるなど、非常につらい思いをした。
3年ほど教員として働いたが続けることが辛く、退職して休養していたが、知り合いの教員に提案されて大学院で学び始めた。
その後、徐々に病気を受け入れられなくなり自分で薬も飲まなくなってしまった。体調が悪くなり、受診を考えたが元の主治医のところには戻らず、別の病院で診察を受けていた。
ある日病院に行く途中で意識を失い救急車で病院に搬送され、すぐに人工肛門を作る手術をする必要があるという説明を受けた。そして、数時間後には人工肛門ができていた。
後悔の気持ちで、後日、担当の医師に、薬を飲んでいたら人工肛門にはならなかったかと尋ねたところ、「飲んでいてもなっていたと思う」と言われ、その言葉には救われた思いだった。
ベーチェット病による腹痛は波があるが、痛みが強い時は日常生活そのものが辛かった。現在は痛みに対して麻薬を使っており、痛みの症状は緩和している。食事については多少の制限はあるが、周囲とほぼ同じものを食べられるようにもなっている。
普段から思いをため込みがちだと周囲からも言われるが、自分がダメになりそうだったら仕事を辞めるなど一度リセットをして、気持ちが前向きになったらまた始めるということをしてきたように思う。
また、車の運転が好きなので、気分転換に温泉めぐりなどもしていた。
患者になる前は、看護師として患者さんに対して具体的に言葉をかけて何かしてあげなくてはと思っていたが、自分が患者の立場で入院し腹痛がひどかった際に、夜勤の看護師がずっとただ傍にいて背中をさすってくれたことがあり、「傍にいる看護」の大切さを、身を持って知った。
今後臨床に戻ることはないかもしれないが、教員としてかかわる学生に対しては、教科書通りではなく、一人ひとり患者は違って、様々な思いがあることを伝えていけたらと思う。
また、看護師になりたいが不安を抱えている学生などには、まずはやってみてダメならその時考えればいいと、自分の体験からアドバイスしたいと思う。