障害の内容:肢体不自由(脳性麻痺)
学校:大学
首都圏在住の女性。脳性麻痺による肢体不自由(四肢体幹機能障害)で、電動車椅子を使用。障害のない子と同じように育てたいという親の方針があり、小中高と普通学校に通い、大学はパソコンを学べる学部に進学した。大学時代は、友人との他愛ない日常生活が、本当に楽しかった思い出がある。卒業を機に実家から出る準備を始め、現在は24時間ヘルパーを付けて一人暮らしをしている。
語りの内容
大学に入学して2日目に、お弁当を食べている子に声を掛けたんです。そこにいた女の子に声を掛けて、一緒にご飯を食べてもらえませんかって声を掛けた女の子とは今でも仲がいいですし、遊びに行ったりもしてて。
で、彼女と一緒にいるときは、まあ介助、介助者付いてるときもあるけれども、介助者が動くよりも先に彼女がやってくれる、介助者より慣れているんですよね。こういうときはこうしたほうが、私はいいだろうとかいうのが経験からして分かってくれているので、すごい良かったなっていうふうには思いますし。
私の話の中で、学ぶということに対してのお話を、ほぼしていないので、ちょっと申し訳ないなと思うんですけど。
――ありのままで。
学ぶこともすごい、学問として学ぶことは当然あって、学んで、そこの技術が向上するっていうのは楽しかったし、やった-と思うこともあった。学んでいる感覚っていうのはとてもいいことだと思うんで、これができるようになった、やったーって思うことはたくさんありましたけど…、学校生活を振り返ってというと友達のことしか出てこないぐらいに、学校以外のところに重きが置かれていたのかなっていうふうに思います。
私たちね、大学生になって、10人ぐらいでグループ組んでたんですよ。休み時間とかに大きい机を囲んでトランプしたりとか、小学生みたいなことをやってて。
そこに大人がいたら絶対つまんないじゃないですか。大学生にもなっていつも集まって何を考えているんだろうとか思われちゃうんですけど、それを気にせず話したりとか、けんかできたりっていうのは…、めちゃくちゃ良かったですね。
この感覚が良かったって思うのは、障害学生だったから、ならではかなと自分には思っていて。障害がなければそれが当たり前なので、その当たり前を実行しているだけで、このありがたみとかは、あんまり意識しないと私は推測するんですけど…、私は、その小さいことを楽しいなと思えたこと、思えていることは、良かったなっていうふうに思います。
インタビュー16
- 内申点は全ての科目の平均点なので、車椅子の自分は体育がネックだった。結局、体育は履修の権利を放棄して、推薦をもらった(テキストのみ)
- 自分は脳性まひの障害者で介助が必要で、いずれ福祉とはかかわらざるを得ないと思っていたので、大学は全然関係なく好きなことをしようと思った(テキストのみ)
- 実は行きたい大学があったが、当時は通学にヘルパーが認められておらず、親が送り迎えできる範囲で大学を選んだ(テキストのみ)
- 入ろうと思っていた研究室は実験が多く、実験をできるのか、母親が介助をするにしても専門的な知識がないと難しいと言われ、一人でできることに転向した(テキストのみ)
- 試験の変更やノートテイクをつけてもらったが、それ以外日ごろのことは友人にやってもらっていた。「大人に守られない自分」を満喫できた4年間だった(テキストのみ)
- とにかく無理しないでいいよと伝えたい。自分の思う通りに、勉強するなり遊ぶなりして、苦しくないように過ごせばいいのではないかと思う(テキストのみ)
- 当時は大学の中で介助者をつけるという発想がなかったので、友達に頼みながら自分でするのが自然だった。頼む時は、一人に依存しすぎないことを心がけていた(テキストのみ)
- 10人くらいでトランプをするようなこともあり、大人が介在しない場を心から楽しんだ。小さなことが楽しいと思えたのは、障害学生ならではかなと思っている(テキストのみ)
- 大学卒業後に一人暮らしを始めたが、「めちゃくちゃ生きている」と実感する。身内に面倒を見てもらったり、施設に入ったりしていたのでは得難い感覚だ(テキストのみ)