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インタビュー時年齢:43歳(2020年8月)
障害の内容:視覚障害(弱視)
学校と専攻:大学・理学部(1996年度入学)、大学院・生命科学(1999年度入学)

中国地方在住の男性。大学院で生命科学の研究をしていた22歳の時に網膜色素変性症の診断を受けた。顕微鏡を使う研究だったが、当時は視野がある程度残っていたので、そのまま研究を続け博士号を取得。アメリカの大学で6年間の研究生活を経て帰国。民間企業の障害者枠で就職を目指すも自分に合った仕事が見つからず、工業高等専門学校の人員募集に一般枠で応募して教職についた。現在は学生の目を借りながら顕微鏡を使った研究を続けている。

語りの内容

2017年の5月にですね、そのリハビリ施設に入ったんですけど。えっと、もう、1カ月ちょいたったときですね。6月末ぐらいですかね。何か一度、家に戻ったんですよね、ええ。何か、何でリハビリしてるか意味が分からない。白杖訓練とか、まあ、白い杖、つく訓練とかは分かるんですけど、例えばパソコン訓練って、まあ、音声、読み上げてくれるとか、あるいはロービジョン訓練で目の使い方をやるとか言われても、これが果たして、仕事に戻るときにどこまで役立つのか。特に僕は、自分は顕微鏡学者なので、僕は顕微鏡学者でものすごい目を使っている。で、この程度の訓練で戻れるわけないだろうみたいなことがあって、実は1回ですね、リハビリ、僕、打ち切ってるんですよ。
打ち切って結局、何したかっていうと、もう家の中に引きこもっていたんです、実は。で、引きこもってる間にも、当事者団体の人たちから心配して声が掛かってきてっていうことで。で、僕もだんだん、2カ月ぐらい引きこもってる間に、もういつまで引きこもっても意味がないと。取りあえず、あれなんですよ。復職するためのリハビリっていう考え方を、まず捨てました。取りあえず、リハビリを終わらせる。で、それから考えるっていうふうに決めて。で、8月、盆すぎにですね、そのリハビリ施設に戻りました。

――ご自身としてはそんなに自信もない、自信が得られないまま復職されて、こう、徐々に現場で自信を付けられていったという、そういった感じだったんでしょうか。

そうです。まさにそのとおりです。あの、徐々に自信が戻ってきたっていうことになります。あの、きっかけとなる出来事があったわけではないです。ただ、あれですよ。リハビリ施設に入って、それから、戻ってきた私は常に白杖を学内でもつくようになったわけです。そうすると、周りから見て、視覚障害者だってぱっと分かるわけですよね。で、その情報も、私が復職するときに当たって、全教職員に共有しました、はい。そうすると、教職員の方もすごい、気、使ってくれるようになったわけですね。まあ、「この仕事、先生はちょっと難しいか」、「この仕事、何か手伝い、ありますか」っていうことで。
要するに、まあ、情報を共有することによって、僕の働きやすさが変わったんですね。環境が、すごい良くなったわけですよね。周りの理解が得られるっていうことで、結局、まあ、自分が障害を持ってるっていうことを、まあ、言ってはいたんですけど、まあ、具体的にどういう障害でどういう困難があって、どういう支援が必要になるのかっていうのを明確にしてなかったので、働きづらさっていうか、何か、まあ、感じてたわけです。
それを知ってもらった今は、ちゃんと、「ああ、こういった仕事はできますか」とか、自分に確認が来て、「はい、できます」とかいうふうにやっていくうちに、「あ、働き続けられるかも」と、どんどん、どんどん思うようになってきて。で、今の状態ですよね。これは、まあ視覚障害があっても、まあ、ちゃんとそういった周りからの支援と。あと、まあ、1つ必要なのが工夫なんですけど、自分での。工夫があれば働き続けるようになるんだなっていうのは、復職して1年後ぐらいに、ようやくそういう心境に達しました、はい。

私は: です。

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