インタビュー時年齢:30歳(2019年9月)
障害の内容:内部障害(クローン病)
学校と専攻:大学・看護(2008年度入学)、大学院・看護(2018年度入学)
関西地方在住の男性。16歳でクローン病と診断された。自分が入院した病院で看護師をしたいと思って看護学部に進学し、在学中は体調管理に注意しながら周囲と同じように学生生活を送った。卒後は希望通り自分が入院していた病棟に就職をして、6年間働いた後、慢性疾患看護専門看護師(CNS)の資格が取れる大学院に進学した。現在、大学院2年目に在籍中。
プロフィール詳細
一馬(かずま・仮名)さんは、関西地方在住。両親と祖父母、妹2人の7人家族で育った。野球と勉強を両方やりたくて入った高校の2年生で体調を崩し、クローン病と診断され、そのまま1か月半ほど入院した。当時は保育士やパイロットなど、将来なりたいものがいくつかあったが、診断後一時期は、もう将来の夢は難しいと思って落ち込んだ。だが入院中に病気以外のことを話題にしてくれる看護師がおり、看護師という職業に魅力を感じるようになった。また主治医や看護師長も、一馬さんに看護師になったらいいと薦めてくれたり、そのタイミングで入院中の大学病院で新しく看護学部を作るというポスターを見たこともあって、自分も看護師になろうと決めた。入院中に他のクローン病の患者さんと知り合い、働いている人もいたので、病気を持ちながら看護師として働くことも何とかなると感じており、高校3年生で、かつての自分の入院先だった大学病院の看護学部を受験して合格した。
一馬さんは入学当初から、病気があっても他の人と同じような大学生活を送りたいという思いが強く、大学には、2か月に1度の点滴治療以外は自己管理をしながらみんなと同じように日常生活を送れることを伝えていた。また普段は周囲と同じように生活をして、人が見ていないところでは、体調を維持できるよう、食事やストレスの自己管理には気を付けていた。2か月に1度の点滴治療に関しても、薬の効果が薄れてくると調子が悪くなることを自覚していたが、効果が薄れて来た場合は1週間点滴を前倒しするといった調整も主治医から任されていたので、治療も日常生活も、自己管理をしっかり行っていた。
このように一馬さんは、日常生活の管理をしっかり行っていたため、学生生活では特に体調を崩すことなく、授業や演習、実習を周囲と同じようにこなすことができた。大学在学中は、高校から引き続き野球部に所属して運動も楽しみ、飲食店でのアルバイトもずっと続けた。
卒業後は、入学前から希望していた通り、自分が入院していた病院に就職し、病棟もIBD(クローン病と潰瘍性大腸炎の炎症性疾患)に特化した消化器内科に配属されて看護師として働き始めた。入職当初一馬さんは、入院してくるクローン病の患者さんに対して、良かれと思って自分も同じ病気であることを伝えていた。だがある時、「自分は病気だが、看護師として働けている」という一馬さんの説明に対して、ある患者さんから「それはあなただからだ」ということを言われ、皆に同じように伝えるのがいいことではないと気づいた。それ以降は、自分の病気を患者さんに伝えるかどうかについて慎重になった。
同じ病棟での勤務6年目に、比較的近くの大学院に、IBD看護を専門に研究している先生がいることを知って進学を決めた。現在は、その大学院の慢性疾患看護のCNS(専門看護師)コースに入学して2年目になる。新しいことを学ぶ生活は忙しいが、これまでの自分の仕事を振り返り、改めて看護の理論を知るなど、今後に活かせる多くのことを学べるので充実している。
一馬さんにはこれまでずっとどこかに、病気だからといって健康な人に負けたくないという思いがあった。病気はあるが、自己管理をしてうまく生活が出来ている自分に価値を持っていたようにも感じるし、実際自己管理のおかげで、高校3年以降は大きく体調を崩すことなく今に至っている。また病気だからこそ頑張れたという思いもあって、もはや病気になっていない人生は考えられない。当初、自分が病気になった意味を探そうと思いIBDに関わる仕事を選んだが、未だに意味は分からないし、意味が見つかったらこの仕事を続けないのではないかという思いもある。これまでの自分の患者経験や看護師としての実践経験に加えて、大学院での学びを活かして、修了後は、CNSとして慢性疾患看護の質向上に貢献したい
一馬さんは入学当初から、病気があっても他の人と同じような大学生活を送りたいという思いが強く、大学には、2か月に1度の点滴治療以外は自己管理をしながらみんなと同じように日常生活を送れることを伝えていた。また普段は周囲と同じように生活をして、人が見ていないところでは、体調を維持できるよう、食事やストレスの自己管理には気を付けていた。2か月に1度の点滴治療に関しても、薬の効果が薄れてくると調子が悪くなることを自覚していたが、効果が薄れて来た場合は1週間点滴を前倒しするといった調整も主治医から任されていたので、治療も日常生活も、自己管理をしっかり行っていた。
このように一馬さんは、日常生活の管理をしっかり行っていたため、学生生活では特に体調を崩すことなく、授業や演習、実習を周囲と同じようにこなすことができた。大学在学中は、高校から引き続き野球部に所属して運動も楽しみ、飲食店でのアルバイトもずっと続けた。
卒業後は、入学前から希望していた通り、自分が入院していた病院に就職し、病棟もIBD(クローン病と潰瘍性大腸炎の炎症性疾患)に特化した消化器内科に配属されて看護師として働き始めた。入職当初一馬さんは、入院してくるクローン病の患者さんに対して、良かれと思って自分も同じ病気であることを伝えていた。だがある時、「自分は病気だが、看護師として働けている」という一馬さんの説明に対して、ある患者さんから「それはあなただからだ」ということを言われ、皆に同じように伝えるのがいいことではないと気づいた。それ以降は、自分の病気を患者さんに伝えるかどうかについて慎重になった。
同じ病棟での勤務6年目に、比較的近くの大学院に、IBD看護を専門に研究している先生がいることを知って進学を決めた。現在は、その大学院の慢性疾患看護のCNS(専門看護師)コースに入学して2年目になる。新しいことを学ぶ生活は忙しいが、これまでの自分の仕事を振り返り、改めて看護の理論を知るなど、今後に活かせる多くのことを学べるので充実している。
一馬さんにはこれまでずっとどこかに、病気だからといって健康な人に負けたくないという思いがあった。病気はあるが、自己管理をしてうまく生活が出来ている自分に価値を持っていたようにも感じるし、実際自己管理のおかげで、高校3年以降は大きく体調を崩すことなく今に至っている。また病気だからこそ頑張れたという思いもあって、もはや病気になっていない人生は考えられない。当初、自分が病気になった意味を探そうと思いIBDに関わる仕事を選んだが、未だに意味は分からないし、意味が見つかったらこの仕事を続けないのではないかという思いもある。これまでの自分の患者経験や看護師としての実践経験に加えて、大学院での学びを活かして、修了後は、CNSとして慢性疾患看護の質向上に貢献したい
インタビュー30
- クローン病であることは、願書の備考欄にはっきり書いた。それで落とされるなら、そこの大学には行かないと思っていた
- 自分が入院していた病院で働きたくて、看護師を目指した。入院した病院と同じ系列の大学なので、病気があっても入りやすいかなと思った
- 入学後に先生には、病気のことを説明した。だが体調の管理自体は自分でしますと伝え、2ヶ月に1度の点滴治療での早退以外は、全て他の人と同じようにすると伝えた
- 病気だからこれができないというのは嫌だったので、高校・大学通じて野球をやっていた。主治医からも「自分で管理できて体調がいいならしたいことをしたらいい」と言われた
- 鍋料理屋でバイトをしたが、店長にはクローン病とは伝えなかった。肉を扱う鍋料理屋なのに自分は肉をあまり食べない方がいい病気だと伝えると、気を使われると思った
- 自分がクローン病で入院していた病院の就職試験を受けて、面接では「この病院をIBDの世界で日本一にします」と宣言して、病気を味方につけて希望通りに就職できた