インタビュー時年齢:46歳(2019年9月)
障害の内容:精神障害(うつ病)、発達障害(ADD:注意欠陥障害)
学校と専攻:短大・看護(1999年度入学)、大学院・看護(2018年度入学)
関東地方在住の女性。社会人を経て27歳で短大に入り、看護師になった。卒後、一般病院で看護師として勤務。37歳で結婚、翌年出産した後、産後うつ病と診断され治療を開始する。その後ADDと診断された。症状が落ち着いてきた頃からクリニックと訪問看護で働き始め、現在は精神科の受診と服薬を継続しつつ、在宅看護専門看護師(CNS)の資格を取得するために大学院で勉強している。
プロフィール詳細
良美(よしみ・仮名)さんは、関東地方在住。首都圏の大学を卒業後5年ほど企業で働いていたが、自分が入院生活を経験したことで人の役に立ちたいと思って看護師を目指し、27歳で短大に入学した。
当時は特に診断もなく学業に支障はなかったが、机の角や尖ったものがあると怖くて落ち着かないという症状があった。自分は神経が過敏かもしれないと思って、授業で精神科を教えてくれた医師に受診をしたほうがいいかと聞いたが、大丈夫だと言われたので、当時は受診していない。卒業後は大学病院勤務を経て、一般病院の救命救急センターで働いていた。救命救急センターでは多くの症例に会うことができ、スタッフ同士のあうんの呼吸で素早く仕事をこなしていく日々に、やりがいを感じていた。
37歳で結婚し、翌年出産した。退院後、自分が乳腺炎になったり、子どもが泣き止まずよくミルクを吐くということが続いた。それまで仕事では、ある程度「こうすれば、こうなる」と予測がついたものが、子育てでは全く予測がつかないことから精神的に追い詰められ、近くのクリニックを受診して、産後うつだと診断された。診断後は子どもを夫の実家に預けて、良美さんの実家で療養生活を始めたが、半年ほどで自宅に戻り、その後、週3回の勤務で復職をした。だが3か月ほどでへとへとになってしまい、結局病休を挟んで退職した。
その後、日常生活での物忘れがひどいことが気になり、うつ病でかかっていた医師に相談をしたところ、発達障害のADDだと診断された。ADDの薬を飲み始めてからはやる気が出てきて、4年前に、主治医と相談してクリニックと訪問看護で週に3回看護師として働き始めた。外で働くと生活にリズムが出て、元気になるように思えた。2年ほど働いた頃、もっと体系的に学びたいと思い、在宅看護専門看護師の資格が取れる大学院へ進学を決めた。夫にはとにかく無理はしないように言われたが、応援してくれた。またちょうど子どもが小学1年生入学のタイミングだったので、「ママも1年生になるんだ」と子どもにも説明をした。現在、大学院2年生に在籍中。大学院生活は大変だが、新しい知識に触れられることはとても楽しい。
体調に関しては、精神科への月1回の受診と服薬を継続している。大学院の指導教員には病気のことを伝えたが、おそらく忘れてしまっていると思う。大学院はグループワークがとにかく大変で、別の指導教員に相談したこともあったが、院生はみんな大変だと足並みを揃えることを求められたようにも感じ、良美さんが無理できないことは分かってもらえなかった。良美さん自身は、睡眠時間を削らないことや、100点ではなく60点や80点でよしとするなど、体調管理に気をつけながら学生生活を送っている。卒業後は、学んだことを活かして在宅に近い場で仕事をしたい。
精神障害は外から見えず、偏見にさらされるかもしれないという思いもあり、人には言えない。3年ほど前から、食事の支度が出来なかったことをきっかけに精神障害者手帳で使える制度を利用し始めた。週に1回家事援助のヘルパーに来てもらい、とても助かっている。当初、ヘルパーに来てもらいながら自分は大学院で学んで…と周りから言われないかと不安になったが、今は、障害を持つ人が、苦手なことはしっかり助けてもらいながら自分のやりたいことができるような社会になって欲しいと思う。現在は夫と息子の3人暮らしで、数か月前から犬が仲間入りした。
当時は特に診断もなく学業に支障はなかったが、机の角や尖ったものがあると怖くて落ち着かないという症状があった。自分は神経が過敏かもしれないと思って、授業で精神科を教えてくれた医師に受診をしたほうがいいかと聞いたが、大丈夫だと言われたので、当時は受診していない。卒業後は大学病院勤務を経て、一般病院の救命救急センターで働いていた。救命救急センターでは多くの症例に会うことができ、スタッフ同士のあうんの呼吸で素早く仕事をこなしていく日々に、やりがいを感じていた。
37歳で結婚し、翌年出産した。退院後、自分が乳腺炎になったり、子どもが泣き止まずよくミルクを吐くということが続いた。それまで仕事では、ある程度「こうすれば、こうなる」と予測がついたものが、子育てでは全く予測がつかないことから精神的に追い詰められ、近くのクリニックを受診して、産後うつだと診断された。診断後は子どもを夫の実家に預けて、良美さんの実家で療養生活を始めたが、半年ほどで自宅に戻り、その後、週3回の勤務で復職をした。だが3か月ほどでへとへとになってしまい、結局病休を挟んで退職した。
その後、日常生活での物忘れがひどいことが気になり、うつ病でかかっていた医師に相談をしたところ、発達障害のADDだと診断された。ADDの薬を飲み始めてからはやる気が出てきて、4年前に、主治医と相談してクリニックと訪問看護で週に3回看護師として働き始めた。外で働くと生活にリズムが出て、元気になるように思えた。2年ほど働いた頃、もっと体系的に学びたいと思い、在宅看護専門看護師の資格が取れる大学院へ進学を決めた。夫にはとにかく無理はしないように言われたが、応援してくれた。またちょうど子どもが小学1年生入学のタイミングだったので、「ママも1年生になるんだ」と子どもにも説明をした。現在、大学院2年生に在籍中。大学院生活は大変だが、新しい知識に触れられることはとても楽しい。
体調に関しては、精神科への月1回の受診と服薬を継続している。大学院の指導教員には病気のことを伝えたが、おそらく忘れてしまっていると思う。大学院はグループワークがとにかく大変で、別の指導教員に相談したこともあったが、院生はみんな大変だと足並みを揃えることを求められたようにも感じ、良美さんが無理できないことは分かってもらえなかった。良美さん自身は、睡眠時間を削らないことや、100点ではなく60点や80点でよしとするなど、体調管理に気をつけながら学生生活を送っている。卒業後は、学んだことを活かして在宅に近い場で仕事をしたい。
精神障害は外から見えず、偏見にさらされるかもしれないという思いもあり、人には言えない。3年ほど前から、食事の支度が出来なかったことをきっかけに精神障害者手帳で使える制度を利用し始めた。週に1回家事援助のヘルパーに来てもらい、とても助かっている。当初、ヘルパーに来てもらいながら自分は大学院で学んで…と周りから言われないかと不安になったが、今は、障害を持つ人が、苦手なことはしっかり助けてもらいながら自分のやりたいことができるような社会になって欲しいと思う。現在は夫と息子の3人暮らしで、数か月前から犬が仲間入りした。