インタビュー時年齢:40歳(2020年9月)
障害の内容:脊髄損傷による肢体不自由(下肢障害)・手動車椅子使用
学校と専攻:大学・工学部(1998年度入学)、大学院・応用化学(2002年度入学)

関東地方在住の男性。20歳のとき自動車事故で脊髄損傷となり、車椅子の生活になり1年休学の後、復学。成績優秀だったにもかかわらず、第一希望の研究室に入ることができず、就職活動でもいくつもの企業に断られるなど、多くの壁に直面した。現在の職場は希望する研究職で受け入れてくれ、材料分野の研究では商品化につながる成果を出すことができた。今は会社の支援を受けながら、学生時代から続けてきたスポーツでも国際大会に出場している。

語りの内容

当時は大学院1年の1月ぐらいから就職活動っていうのが結構盛んになってきて、1月2月ぐらいで面接を受けて、早い人は3月とか4月とかにもう内定が出てるという実態でした。元々やりたかった化学を専攻しているということで、けがをしても、自分なりにやれる自信もあったし、もちろんプラントとかの研究とかとなると、そもそも行けないっていうのがあるんで、そこは難しいと思うんですけども、ま、そうじゃなければある程度は行けるだろうというふうな、自分の中で見立てがあったので、そういう、会社、ことをやってる会社を狙いました。ここは推測としてある程度、大手のほうがそういう受け入れ体制はおっきいだろうということもあって、そういう意味において、もうほんとに従業員が1,000人規模の、大手を中心に受けたということをしました。
今もそうだと思うんですが、エントリーシートとかを出して、それから面接を行くっていう流れになると思うんですが、当時は、エントリーシートを手書きで書いて提出してたんですね。もっとも同じ研究室ですから、大体、志望するところも似たようなところも出す人が多くて、とあるこう会社にエントリーシートを出して、他の学生は、同期は、すぐにこう「じゃあ面接来てください」っていうことを言われるんですけれども、私に関してはレスポンスがないというのがあって、何だろうなと思ったら、やっぱりその「車椅子だとちょっと難しいです」っていうことを言われたってのが結構ありました。これだとちょっと、エントリーシート書くのも、ものすごいこう労力有するので、これはちょっと先に電話してから、事情を説明して、受けられるとこだけ受けようって作戦に切り替えてですね、そこでやってったわけです。当時の感覚として、7割ぐらいは、「ちょっと車椅子の方は難しいです」っていうこと電話口で、人事の方に断られて、とある金属の会社では「私たちは金属扱ってるんで、重い物は車椅子の方は持てませんから無理です」みたいなこと言われてですね。金属の研究だってもう別に、ナノレベルでやる研究だっていくらでもあんだろうと、こっちは思ったんですけど、電話口でそういうふうに言われてしまうと、「あ、そうですか」としか言いようがないので、逆に、むしろそうやって断られるってのは、私としてはありがたくて、何て言うんですかね。もっと嫌だったのが、「ああ、車椅子の方ですか。そうですか。じゃあちょっと検討してみますんで、エントリーシートだけ書いてください」っていうケースが一番困って、そういう会社何社かあったんですが、実際にこうエントリーシートを書いて送っても、それこそさっきの話じゃないですけど、他の人は1週間で返事があるところを、1カ月たっても連絡がないということがあって、ちょっとしびれを切らして「実はこうな経緯があったんですけど、どうなんでしょうか」って聞くと「やはり検討した結果、車椅子の方は難しいということになりました」っていうことを言われてですね、この時間は何だったんだと。検討すると言って、学生を何だと思ってんだっていうことは正直思ってですね、とある、何だろうな。最終製品も作ってる会社なんですけど、今でも根に持っていて、その会社の製品を買わないって決めて、今でも使ってないです。それぐらい私にとっては一生懸命やってるところを、何だろうな。大人の事情というか、事なかれ主義みたいなとこもあって、その瞬間は、責任は持たないけど、やっぱ駄目みたいなことを言って、時間と労力を奪われたっていうことに対する怒りみたいなのは、かなりありましたね。

私は: です。

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