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インタビュー時年齢:47歳(2019年5月)
障害の内容:視覚障害(全盲)
学校と専攻:大学・社会学部(2016年度編入学)、大学院(2019年度入学)
首都圏在住の男性。小学校入学時は普通学校だったが、4年生から特別支援学校で過ごした。高校卒業後はあんま・はり・灸の3つの資格を取り、医療機関で働いた。その後思うところがあり、視覚障害者に関する障害福祉の研究をしたいと思って、大学に編入学し、現在は大学院に通っている。幼少のころからずっと音楽に親しみ、一時はプロを目指したこともある。現在は、一人暮らしをしている。
語りの内容
そうですね。その1つの学校の中に、幼稚部、小学部、中学部、高等部普通科、高等部専攻科理療科、高等部保健理療科っていうのがあるんですね。
学校によってももう1つ、2つ増えている、その高等部がもう1つ課程がある所もあるんですけど、大体がそういう形になってます。同じ場所に、あるんです。
――じゃあ、ご自身もそのまま同じ場所の高等部理療科まで行かれた?
そうです。同じ専攻科理療科まで、ずっと。
――理療科まで行かれたっていうことですね。
はい。通う所はずっと、そういう、まあ、小学校4年からですから、3かけ、3+3+3+3+、えーと、12年間過ごしたわけです。
――そこの、理療科に進もうと思ったのは…、何かきっかけがあったんですか。
うーん。行きたいと思ったことはないではないんですけど、本当はそのまま高等部普通科を卒業したら、プロミュージシャンとして生計を立てようと思っていたんですけど…、両親が泣き付いてきまして、どうしてもいいから…、うーん、どうしても…、はり・きゅうで、マッサージの資格は取ってほしいってお願いされたんで、しようがないかなっていうところでしたかね。
音楽で生計を立てるなんていうのは、いつ売れなくなるかもしれないっていうふうに、思っていたらしくて、確実にその、収入が得られると期待される、そういう、その医療のほうの仕事に就いてほしいっていう、願いがあったようで、もう、それを聞き入れたっていうかたちですね。
インタビュー17
- 特別支援学校の高等科にあんまマッサージ、はり・きゅうの資格が取れる課程があった。自分は行きたいと思っていなかったが、親に泣きつかれて資格を取った
- あんまや鍼灸の仕事に満足していたが、他の視覚障害の方たちが不満を抱いているのを知り、自分だけ幸せじゃいけないんじゃないかと思い始めたのが大学進学のきっかけだった
- 自分がこうあってほしいと思うことを社会に対して伝える手段として、思いを形に残せるようにするために、大学院の門を叩くことをお勧めしたい
- 学部は支援センターなどが多いが、大学院は必ずしもそうではない。支援の窓口や専門のスタッフを各大学院に置いてもらえると、障害者の研究者が生まれやすくなると思う
- 本をスキャンしてデータで読む作業は、ものすごい労力がかかる。最初から書籍データを入手できる場合もあるが、それを著者が許可していないこともあり、改善が必要だと思う
- 通信制の大学でたまたま会った教授に惚れ込み、その教授に認めてもらおうと思って一生懸命学んだら、その教授のゼミにも招待されて、それが大学院進学のきっかけになった