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インタビュー時年齢:29歳(2019年5月)
障害の内容:聴覚障害(難聴)
学校と専攻:大学・人間科学部(2008年度入学)
首都圏在住の女性。小学校2年生で難聴と診断された。高校までは九州地方で、両親と妹二人の5人家族で育った。大学入学を機に上京し、初めて聞こえない人と交流して手話を覚えた。大学ではライフセービングに熱中した。大学卒業後、専門学校で言語聴覚士の資格を取り、現在は大学で障害学生支援の仕事をしている。夫と息子と3人暮らし。
語りの内容
――授業でノートテイクが付くっていうのは、基本的に講義形式の授業ですか?
あ、もう全ての、というか申請した授業には全て付きます。だから、ゼミとかも付けてもらっていました。
――ゼミとかの場合は、どういう感じに、複数の人が話をすると思うんですけど、複数の人が話をするのを全部テキストに起こしてもらうっていうような感じですか?
そうですね。うーんと、ゼミは私、大学時代はそんなに手話を達者に使ってはなかったので、まあ、ディスカッションが多い授業だと、手話通訳に替えるっていう学生もいるんですけど、私は手書きのノートテイクのままゼミも使っていて。
でもやっぱり両隣支援者に挟まれるとゼミ生とちょっと壁ができるから嫌だなと思って、まあ2人派遣してもらうんですけど1人だけ横に付いて、1人はちょっと、この学生の円からちょっと外れたところで、まあ、メモを取っていくっていうスタイルにして。
で…、そのときは、ディスカッションっていうよりは各自まあ、毎週発表していくっていうスタイルだったので、そんな活発な議論に乗り遅れることもなく、まあ、何とか、やれたかなっていう感じ。
4人ぐらい、さらにゼミから、こう4人ぐらいのグループに別れて、まあ、何か作業をするっていうときは、直接の音声のコミュニケーションで、まだ乗り切れていたので、特段私はそんなに、苦労はなかったかな。
――その支援者、ゼミのときにその2人両方に挟まれちゃうとちょっと壁があるというふうにおっしゃってて、1人にはいてもらって1人にはちょっと外れてもらうとか、そのやり方とかはもう自分で工夫して、その支援者の方に自分で指示をしているような感じですか?
そうです。なので、そういう臨機応変なやり方をしたかったので、ゼミの支援者は特にこう私と仲良くしてもらってる支援者がいいって、支援室にちょっとお願いをして都合を付けて来てくれたっていう感じ。
――そういうのは結構自由に、あの支援室の人とは、あの支援室の人にこう要望を出したりとかいうのはしやすい感じだったんですか。
しやすい感じです。私、すごくコミュニケーションはよく取れていたかなと思いますね。
インタビュー19
- 中学のとき初めて言語聴覚士の人に会った。それまで自分に能力がなくてできないのか聞こえなくてできないのか分からなかったが、その人と話し、心が軽くなった
- 聴覚障害があるが、高校まで普通学校で、配慮や支援について何も知らなかった。センター入試で初めて配慮のことを知って申請し、個別の試験でも別室受験などの配慮を受けた
- 入学後は配慮なしで授業を受けるものだと思っていたが、たまたま入学手続きの書類の中に障害学生支援室のパンフレットを見つけ、母親が問い合わせて、大学側と面接をした
- ノートテイクは自分が申請した授業に全てついた。支援者は基本的に2名だが、ゼミで両側から支援者に挟まれるとゼミ生と壁ができるので、場所を工夫した
- 実習は全部で6カ所回った。最初に行った総合病院の耳鼻科では、自分の聴力検査をしたり、補聴器を試したりして、自分の「聞こえの紹介状」を作れるほど様々な体験をした(音声のみ)
- ライフセービングに熱中し、夏は毎日海水浴場の監視活動、それ以外の時期も毎週末練習で海に行っていた。トランシーバーでのやりとりは難しかったが、できる範囲で頑張った
- 最近は支援体制が整いつつあるが、支援があるだけでは自分の能力は発揮できないので、用意された支援で満足せずに、自分に必要な支援を伝えていってほしい
- 周囲から「○○さんは聞こえるし話せる」と見られることもあり、自分は聴覚障害のイメージから離れていると思う。だが自分も困ることはあり、個として見てほしいと感じる
- 大学に入って、手話を覚えたことは衝撃的だった。また、自分と同じような境遇の、聞こえる人たちの中で育った聞こえない人に会えて、自分だけではないと思い、嬉しかった