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インタビュー時年齢:42歳(2019年4月)
障害の内容:聴覚障害(難聴)
学校と専攻:大学・政治学(1996年度入学)、大学院(2000年度入学)、アメリカPh.D.プログラム(2006年度入学)
関東地方在住の女性。小学校低学年の時に、担任の先生に言われて感音性難聴だと分かり、中学あたりで徐々に聴力が下がった。小さい頃から政治に関心が強く、研究者になることを決めていた。大学では政治学を専攻し、勉強以外ではサークルやアルバイトも楽しみ、その後、大学院に進学して日本とアメリカの両方で博士号を取得した。現在は、大学に研究職・教員として勤務。夫と聴導犬と一緒に暮らしている。
語りの内容
アルバイトは学部、学部4年か。あ、あともう1個、あの車椅子の介助のアルバイトとかもしてて。
――それ、それをどこで見つけたんですか?
何か大学の掲示板に貼ってあって、えーと、「介護者募集」って書いてあったので行って、週1回、結局、すごいお世話になって私のほうが、えーと、10年ぐらい通ってました。
――それは何かあれですか、施設?
うーんと、個人のお宅で車椅子の介助。うん。
――それは、そんなにこう関係が続いたのは何か、楽しかったというか、という感じでしょうか?
うん。まあ、楽しかったというか、そこのご本人とお母さんも一緒に住んでおられたんですけど、お母さんがまた面白い人で、何かおしゃべりしに通っている感じで楽しかった。
――じゃあ、結構長いですね、10年ぐらいっていうのはすごい長い、長いけど、その間ずっと通って、その車椅子のこう押したりとか、どっか出掛けたりとか、そういう介助をされた?
うん。あの、ご本人の体のお世話とかもしたし、外出の介助とかもしたり。うん、うん、うん。
――もと、元々そういうのに、関心があったっていう感じだったんですか?
うーん。多分、真面目だったので、そういうこともしなきゃな。一応、そう、大学入ってから仲いい友達がボランティアとか始めてたので、私もそういうことするかなと思ったんですけど、私の場合はアルバイトでちゃんとお金もらってやって。
――でもちょっとそういうことにも、まあ、せっかくだからやってみようかなみたいな?
ん?
――せっかくだからそういうことも、大学生だからいろいろ経験してみようかなって思った感じですか?
うん、うん。やっぱり、そう、自分に障害があって人から何かしてもらうことも多いけれども、自分も何かしてあげられるかなとも思ったと思います、当時。
インタビュー14
- 病院の先生に、(聴覚障害があることで)大学に行くなら理系がいいと言われたが、自分の興味は政治学だったので、選択を誤ったとは思わなかった
- 事前に聴覚障害のことを大学に伝えたところ、英語のリスニング試験でいきなり、英単語の間のスペースを除いた英文を渡され、あとは全て他の学生と同じでとても困った
- 授業では、個人的に先生にFMマイクを付けてほしいとその都度お願いしていた。他の学生と違うのは遅刻しないで授業へ行っていたくらいで、他は思いつかなかった
- 英語のリスニング試験は、なぜかヘッドホンをつけたら聞こえると思われていた。結局2年間、音は聞こえるが何を言っているかはわからないまま、別室受験を続けた
- 耳が悪く留学は無理だと思っていたが、アメリカで博士号(Ph.D.)を取った指導教官に影響されて挑戦した。障害学生のためのサービスを知り、自分も留学できると思えた
- アメリカでは、耳が聞こえない人が使うサービスがすでにメニュー化されていて、その中から選べばいいという状態だったので楽だった。日本とは学生の負担が違うと感じた
- 最初に目指していた大学院については、「聞こえないからはねられた可能性もある」という話もあった。だが結果的には、受け入れてくれた大学で学べて良かったと思っている
- それまで全く未経験だったがバスケットボールのサークルに入った。聞こえないことで周りが困ったかもしれないが、単に「鈍い人」みたいな感じでやっていて、自分はそれなりに楽しかった
- 自分に障害があって人から何かしてもらうことも多いけれど、自分も何かしてあげられるかもしれないと思ったのが、介助のアルバイトを始めたきっかけだった
- アメリカの大学では、1対1なら手話通訳なしで大丈夫で、電話ができなくても代わりにチャットで会話できると、何ができるかを積極的にアピールするようアドバイスを受けた
- 今の障害学生は支援があって恵まれているかもしれないが、支援があるために言い訳ができないといった苦労もあるので、昔と比較して、昔よりましだと思う必要はない