投稿者「sakuma」のアーカイブ

障害学生の語り

就活では最初は専門である土木系の会社を回っていたが、目が悪いというだけで門前払いされた。会社の中には様々な仕事があるのに初めから排除するのは何か違うと思う

実を言いますと最初は、やっぱり専門が土木なので、その土木業界を、中心に見て回っていました。ただ、やっぱり土木業界ってやっぱり、まあ、安全第一といいますか、目が悪いっていうことが結構、致命的な業界になってしまうので。正直なところ、結構、土木業界の会社さんからは、お断りを頂いたのが、実際の、まあ、事実なところです。で、そこから、正直、ちょっと、まあ、考え方を変えて、まあ、土木にこだわらずに、何かこう、まあ、困ってる、まあ、障害者の方含めて困ってる人たちを、ま、支援できるようなお仕事っていうことで、えっとー、まあ、IT業界を考え始めまして。で、それでIT業界の会社をいろいろ受けていく中で、まあ、一番行きたいなと思うところに、たどり着いたという形になります。なので、ちょっと何社ぐらい受けたかというと、どれぐらい受けたのかな。でも、そこまでそんなに多くは受けてないんですけど、多分10社ぐらいは受けたのかなと思ってます。

就活のときですね。その、先ほど土木業界でちょっとうまくいかなかったっていうお話、さしていただきましたけれども、そこは正直、配慮の前に排除だったかなとは思っています。うーん。

――それは、ご自身としては、その、危険だとかいうことを言われてしまうということなんですが、「そうではない、そういう、その会社、そういった会社でも自分の働く場所はあっただろう」っていうふうにお感じですか。

そうですね。まあ、自分の中では、できる自信っていうのももちろんありましたし、しかも仕事って会社の中でものすごくたくさんあることなので。その、ある一つのことができないことで、完全にこう、門前払いっていいますか、最初から排除されてしまうってのは何か違うんじゃないかっていうその疑問は、就活のときには抱いてましたね。

――IT関係の会社に関しては、あのー、視覚に関してはどういう反応でしたか。

ITのほうは逆に視覚に対してはあまりこう、まあ、何ていうんですか、そんな抵抗感もなかったみたいで。まあ、むしろ、逆に私の今までの、その経験とか、それこそ留学した話とか、大学の中でこう頑張った話とか。まあ、そういったところをかなり、こう、向き合って聞いてくださったので。IT業界は、かなり、視覚障害っていうところに対してのこう、抵抗がなかったかのように思います。

障害学生の語り

博士課程まで進んでたくさん論文を書いたが、大学のポストは任期付きの仕事ばかりで、正規雇用の公募は面接にすらこぎつけられず、ちゃんと就職できたのは50歳の時だった

大学院に行って、数学はどこまで…、一体勉強できるかっていうのも、よく分かっていなかったので、修士に入ったときには、まあ、できれば修士論文としてオリジナルな結果が出せれば…最初は修士論文が書ければいいと思っていたけど、まあ、できればオリジナルな結果が出せるといいなと思いながら勉強はしてたんですけど、やってみると意外に簡単にオリジナルな結果が出たので(笑)、ドクターは、もう、頑張って行こうというふうに思いました…。

――それで、見事博士号を取られて、その後、でもまたご苦労されたというのはどういうことで。

それはですね、本当に苦労なんです(笑)。あの、僕、今、もう53になりましたけど、ちゃんと就職できたのは、ここの大学で採ってもらった4年前なので50歳になって初めて、まともな就職ができたという…普通の人だったら、えー、その前にどうにかなっていると思うぐらい苦労したんですけど(笑)。数学力はともかく、あの…、素晴らしい精神力を発揮して(笑)、何とか、頑張り続けて、できたんですね。
なので98年にドクターを取ったんですが、そのときに、もう既に、学術振興会(特別研究員)っていうのがあるんですね。それは、割とお金がもらえて、それで、研究もできて、ドクターの時から、それをもらえるんですけど、それももらえていたし…。まあ、論文も人並みには、書いていたので、就職…、アカデミックポストですね、大学の教員としてどっか採ってくれるだろうとは、勝手に僕は思ってたんですけど。98年に学位(博士号)を取って就職ができたのは、このパーマネントの(任期付きではない)就職ですね、それができたのは先ほど申し上げたように、16年ですから、に、18年間ですか(笑)、18年間苦労していたんで。その間に、○大学で、特任プロジェクトの教員としては、まあ、15年ぐらい(笑)、やってたんですけど。だから、今思えば…、一応、まあ、給料はもらえてはいたんですけど、家族もいるしね。家族もいたので、給料はもらえてはいましたが、ああいうプロジェクトは基本的には毎年更新なので…、それは本当に大変な心労が(笑)、ありましたね。
それで、もちろん公募は山ほど出したと。大抵の大学は出していると思いますね。えー100ぐらいは出したんじゃないかな。それで面接にも一度も呼んでくれないっていうのはいくら何でもひどいんじゃないかって思ってましたけど、面接にも一度も呼んでもらえなかったですね…。今だったら、あの差別解消法ができたから少しはいいんじゃないかとは思うんですけど…。その面接に通らないっていうのが…、私の数学力がないからか、それとも、見えないハンディのせいかっていうことは、まあ、判然とはしないので…、えー、厳しいところでしたけど。まあ、長い間いましたので、もう論文も随分、「見えないでこんなに書いて」と勝手に僕しか、褒めないんですけど(笑)、僕は勝手に褒めていて、随分頑張ったんですけど、とにかく苦労しました(笑)。もう二度とやりたくないです。

障害学生の語り

障害者採用枠だと障害者だけを雇用するような部署に配属され、給与も低く職種も限定されるのではないかと思い、一般採用枠を主戦場として就活をしていた(テキストのみ)

――就職活動の初めの段階ではいろいろと苦労されて、でもまあ、最終的に4つ内定も出てということだったんですが、この当時というのは障害者雇用枠も既にあって、それで応募するっていうようなことも考えられたりはしましたか。

はい。えっとですね、ウェブ・サーナというのがあって、今もあるのかちょっと分からないですけども、その、障害者に対する合同就職説明会みたいなのもあって。私はそれは行かなかったんですが、まあ、今で言う、リクナビって言うんですかね。リクナビの障害者版みたいな、まあ、ほんとにちっちゃい枠なんですけど。それも参考にして、そこからこう応募したのもありました。それで1社、1社内定もらったのは、ルートはそっちからのやつですね。1つそこからで受けて、えーっと、そうですね…かな。
で、障害者採用枠って、例えば何て言うんですかね。えー、障害者だけを、こう、雇用するような部署――ま、うちの会社にもあるんですけど――そういう部署には行きたくなくて、障害者採用なんだけど研究員になれるとか、私はずっと研究希望だったので、そういうところがあればそういうとこに行きたいなと思ったんですが、大体その入り口が障害者採用枠になると、ある程度その給料も低いし、そういう職種も限定されると思われた*ので、一般採用枠から受けてその上で、障害があるんだっていうことを伝えて、で、まあ、何ですかね。んー、主にはそっちを主戦場としてやってたという形でした。
*給与や職種はその人に合った雇用形態、勤務時間、業務内容などを総合的に見ながら判断されるので、一概に障害者採用枠で就職活動をすることが、給与や職種の差につながるとはいえませんが、比較的最近になっても同様の不安を持つ障害学生がいることは他の人の語りを見てもわかります。

障害学生の語り

就職氷河期だったが「同一賃金、同一労働」を理想としていたので、障害者雇用枠での採用には抵抗があり、エントリーシートに車椅子だということは書かずに一般枠で受験した

就職活動のほうはですね、まあ、ちょうどですね、私が卒業したのが2000年ということになりまして。この2000年がですね、いわゆる世間一般でいう就職氷河期といった時代になりました。で、当時ですね、大学の先生のほうからご紹介いただいたところもですね、えー、かなり厳しいといった状況になりまして。まあ、そこがもう使えないといったところで、一般的な、就職活動を行ってですね。就職をしたといったところになります。

――すいません。えーと、その、障害者雇用枠と一般枠っていうのが、あるということで、そこについてその、ご自身的には…。

あのー、正直ですね、就職活動する上においてですね、あの、若気の至りというんですかね。自分、障害者枠で雇われるということに対して、正直抵抗があったのが事実です。ま、昔から「同一賃金、同一労働」というのを考えていましたので、十分働けるんだからっていったところで、正直障害者雇用という形の雇用というのは考えてなくですね。一般企業のほうに普通にエントリーシートに書いて、普通に受験に行くといったことをしておりました。

――どちらかというとご自身のこう、矜持(きょうじ)というかプライドというか。

そうですね。何なんでしょうね。まあ、当時はそういうふうに思ってた部分があるみたいで。ま、世の中の仕組みが分かってなかった部分もあるんでしょう。ま、最終的に障害者雇用という形の枠には入るんでしょうけども。はい、とにかく普通に就職活動を行っていたといった形になります。

――もうちょっとその当時のそのご苦労とか、その反応っていうんですかね。受けられた時にどんな反応があったかとか、その辺のこともちょっと聞かせていただけますか。

はい。えーと、就職活動もですね、ほんとに、結構あの、自分自身はうまくいったんじゃないのかなと思ってるんですよ。えーと、実際受けたのが3社ぐらいしか受けてなくてですね。で、2社はもうほんとにエントリーシートに書いて、もうその場で受けにいって、特にエントリーシートに車椅子であるというのを書く必要はなかったので、そのまま受けてましたけども。まあ、理由は分かんないですけど落ちているんですね。で、まあ、受けたあと1社がですね、別にそういうことを関係ない会社でしたので、ま、採用していただいたといった状況になります。

――前もってその、例えば同じような障害を持ってる車椅子の方が働いていそうだとか、そういうような、下調べ的なことをされてということではないということですかね。

そうですね。あのー、ほんと若気の至りなんでしょうね。全くそういうことを気にせずにですね、受けてました。

障害学生の語り

合否連絡がなかなかな来なかったので自分から連絡したところ、必要な配慮について話し合う場を持つことになった。そこでもみんなと同じように仕事をさせてほしいと伝えた

正直あのー、会社とはですね、ま、合否の前に一度、あの、話がしたいという形で、どのような配慮が必要かという形で会社側と話をした覚えはあります。自分のほうとしては、1人暮らしをして会社のそばに住んで、通勤するつもりだから、通勤については車通勤を認めてほしいといったところと、えー、段差と、何ですかね、トイレのほうがですね。ま、洋式トイレがあればできるんでっていう形で、そこの条件だけは伝えましたら、特にそこに関しては、うちは問題がないねっていったところで話をしました。

――その、合否の前にその話は持たれたということで、それは向こうのほうから、職場のほうから来て、お話ししましょうというふうに言われたということですね。

はい、そうですね。職場のほうからそこは言われまして。ま、正直ですね、あの、合否がですね(出るのに)、とても時間かかったんですよ。友達はもう来てるのに、俺には来てないなあっていったところで、会社側のほうに、ま、恐る恐る連絡をしたんですよ。そうすると、ちょっとそこの条件のところで、迷ってるといったところがあったみたいですので、「会って話ししましょう」ということになりまして、会って話をしたということになります。

――ということは、ご自身のほうからこう、お電話をかけられたということで。それがきっかけになって、「まあ、じゃあ事前に話しましょう」ということになったということなんですね。それで話して向こうが安心してくれたみたいなことですか。

そうですね。正直やっぱ学生時代の就職活動ですので、ここが駄目なら次に行かなくちゃいけないという焦りもありますので、駄目なら駄目って言ってほしかったんですね。ですので、はい、そこはちょっとあの、会社側のほうに言ってですね、「いかがですかね」というところでお話をさせていただきました。

――では特にその、入った後にこう、ここをこう変えてほしいとか何かしてほしいとかっていうような要望を、ご自身のほうから会社のほうにされたことっていうのはあんまりなかったということでしょうか。

そうですね、まあ、なかったですね。先ほどもちょっと言いましたけども、やはりあの、「(同一賃金、)同一労働」ということを自分の中に、決めておりましたので、とにかくみんなと同じことがしたいんだと。みんなと同じように仕事をさしてくれと。特別な配慮はいらんというところをですね、まあ、若かったんでしょうかね。言ってですね、あのー、まあ、正直やってました。

――今、その、若かったんでしょうかねとおっしゃったんですけど、それはひょっとして、そのことは結構無理をしてたんじゃないかってご自身が思ってるっていうことですか。

そうですね、当時の印刷会社っていうのの労働条件がですね、まあ、あまりよくないのが事実なんですよ。非常に残業時間も今で考えるともう、法律違反みたいなぐらいのですね、残業時間でしたし。もうやっぱりあの、夜勤とかもやってましたので、やはり、もうちょっと自分が将来的なことを考えると、やっぱり体力的にはいずれ厳しくなるのかなというのは、ぼんやり描いてたようなところですね。

障害学生の語り

企業ホームページに障害者雇用のタブがあってもそちらで総合職採用されるのかわからず、直接聞く勇気もなくて不安で、20社ぐらいにエントリーシートを出した(音声のみ)

――まあ、最終的にとてもいい会社に入られたと思うんですけれども、やっぱり、就職活動をやっていく過程で、すごく、こう、壁とかを感じたことはありましたか。

……そうですね。うーん。壁っていうのは難しいんですけど、まあ、先ほど、途中でも話したんですが、不安、分からない、未知、未知なる未来というか、誰に相談したらいいか分からないとか、まあ、そういうのを壁と言えば壁なのかもしれないんですが。あの、どうしたら、今のような所に、仕事場に、要は、総合職の仕事にちゃんと就けるのかっていうルートが全く見えなかったんですね。ホームページ見ても、総合職採用とか、あとは、別タブで障害者雇用とか、別タブに大体、わざわざ書いてあるんですよ。じゃあ、障害者雇用のタブがあるってことは、「えっ?」てなって、自分はどっちになるのかな、じゃあ、そっちになったら、まあ、さっき言ったように、自分が本来やりたいことがやれないんじゃないかとか、いちいち相談してられない。分かんないですし、メールしたところで返事来るのかなとか、どこに行ったら、それ、分かるんだろうとか、聞きづらいしみたいな、「何かあるんですか」みたいなことを聞きづらいんですよ、どうしても。
「総合職で採用してもらえるんですか」みたいなことを、何か、すごい1対1とかだったらまだ聞けますけど、他の人もいる中でね、何かこう、そんな話はできないんですよね。恐らく、セミナー行ったときとか、インターンシップ行っても。そこはすごく勇気がいるところだなと思ってて。それは、その、同じ待遇でとか、そういうのを、その、実際に話す人を見てないとか、そういう機会がなかったので、自分は。見つけられなかったので、当時。そこが一番分からなくて、「このままみんなと同じように仕事就けるのかな」みたいな。もうはなから総合職で採用してないのに、あたかも、「私たちはダイバーシティをしてて、障害者採用をしてます」みたいなことを言ってるんじゃないのかとか、「実は…」みたいな。だから、総合職採用で選考を進めたとしても、どこかでそれで落とされてるとか、もしくは、そっちを勧められるんじゃないかとか、そこら辺の会話をしたことがないんですね、会社の人と。それは最後まで壁だったと思います。

まあ、20社ぐらい、自分はエントリーシートを書いてるんですね。で、これは、理系の学生としては、多分、あり得ないと思うんですけど。というのは、大体理系の工学の就活って、2つ、3つ、それで大体終わるんですよ。終わるっていうのは、もうほぼ絞って。こういう就活スタイルが多いんですよね。まあ、面倒くさがりなのもありますけど。で、自分も、多分、それはできなくはなかったと思うんですけど、ただ、それで自分みたいな人がうまくいったっていう話とかも知らないので、必ずみんなと同じように行けるかっていう不安もあって。だから、さっきみたいな不安が根底にあるからこそ、いろんなものを見てみて話を聞かないと。で、それをするには、早くから動かないと分かるもんも分からないのではないかっていう不安もあって。そこが本当に難しかった…と思います。

障害学生の語り

障害者雇用には総合職ではない簡単な仕事を任せる雇用と、障害者枠でも総合職として他の人と同じように働いてもらうという雇用があると思っていて、自分は後者を探していた

えっとー、就職活動はまず、障害者採用を専門に扱っている、就活イベントを中心に回っていきました。で、その中で、行きたいと思うところを受けて、マッチしたところで、今に至るという形です。

――初めからそうやって、障害者雇用のイベントに行こうと思われたのは…まあ、普通の、一般職のほうの雇用の枠で受験することも、別にできないわけではなかったんですよね?

えーと、障害者雇用には正直、2つあると思っていて。1つは障害者雇用として、総合職ではない、まあ、ちょっと悪い言い方をしてしまうと、簡単な仕事をお任せするような障害者雇用と、あとは障害者枠で取るんだけど、総合職として同じように働いてもらいますっていう、そのやり方の、恐らく2つがあると思っています。で、僕の場合は後者の、ま、総合職として働きたいと、かなり思っていたので。で、障害枠を持ちながらも、総合職として採用してくれる会社さんを、探していったという流れになりますね。

――となりますと、やっぱり大きな会社になりますよね、大概は。

あ、そうですね。はい。

障害学生の語り

転職の際、職安で自分が当時の会社で障害者雇用として登録されていたのを知った。仕事でも待遇面で差をつけられてはいなかったので、障害者雇用枠での就活に抵抗がなくなった

社会人になって、ま、いろんなものが分かってくるようになってですね。大学時代とはまたちょっと打って変わってですね、就職活動を行う時にはですね、障害者雇用をやっている会社の企業説明会というものが、福岡のほうで開催がありましたので、それのほうに参加をしてですね。で、私が行きたい会社がそこにありましたので、あのー、ずばりで、行って。このような業務がしたいといった形で就職活動を行っていきました。

――先ほど若気の至りだった時代と(笑)、そこから社会を学んでというか、そういうふうにやって。その時のその、何だか心境の変化というか、障害者雇用枠で入ることについて、その説明会に行こうと思われたっていう、そのちょっときっかけというか、分かれば教えていただきたいです。

そうですね、やはりその転職をする前にですね、職安などに相談に行ってですね。どのような転職の仕方があるのかという形で、相談をさせてもらった時にはですね、自分の記録が残ってるんですね。どこの会社に勤めているっていうことがですね。で、どのような雇用状況であるっていうことも、記録に残ってたんですね。それを見た時にですね、あ、やっぱり自分がその、何ていうのかな、障害者枠っていう枠から超えることはないんだなというところを感じたのも事実ですね。それがいいか悪いかっていうのは、もう本人次第の僕は話だと思ってるんですけども。若い時はそれがちょっと受け入れなかった部分はあるんですけども。今となればもうその枠なんだなっていったところで、特に抵抗もなくですね。そしたらこの枠の中で、できることをやっていこうといったところで考えております。

――その最初の、印刷の会社に就職された時の枠、それは障害者雇用という枠だったんですか。一般で受けようとしたとおっしゃいましたよね。

特にですね、まだ当時の僕が2000年代の時にはですね、障害者雇用っていう形で、会社は求人を行ってはなかったみたいなんですよ。一般雇用で、一般の普通の大学生を相手にやってて、その中にたまたま僕がいたといったところですね。たまたま車椅子がいたっていう状況で。で、ま、いざ雇い入れるにあたっては恐らく障害者雇用枠で、雇い入れたんだとは思います。特にそこに、説明はなかったですけどもね。

――その枠から出られないんだなっておっしゃったということは、例えばその、昇進とか、そのお給料の額とか、そういうところでやっぱり健常者の人たちと違うふうに、一般雇用枠の方と違えられてるというふうに感じられたということなんですね。

あ、いえいえいえ。そういうのはもう全く逆になかったんですよ。お給料も普通の方と一緒に頂いてたし。ま、特に出世っていうのはなかったんですけども。普通どおり皆さんと、まあ、お給料面も、昇給面も(違いが)なかったからですね。何か自分にそういった枠の中にいるんだっていうような意識は逆になかったんですね。だから、ま、逆に職安なんか行って、自分の名前で調べてみると、その枠なんだっていうところだけでしたね。

障害学生の語り

96個の小さい穴に何時間もかけてごく少量の液滴を入れていくといった実験は、肩や腕の筋肉が消耗して大変だが、それは研究室で雇った学生アルバイトにやってもらっている

――今、そうしますと、ま、体力的なところで、こう、つらい、ちょっとやり切れないという部分が出てきたときに、それを例えば何らかの形で支援を受けるというようなことっていうのは、可能性としてはあるんでしょうか。

そうですね。例えばなんですけど、幸い、今いるところですと、研究室に、あの、アルバイトとして、その学部生の、大学の学部生の学生の人が来てくれて、で、週に例えば、ま、僕の場合ですが、その週に3時間の掛ける2日ですかね。で、そういう単調作業みたいなってどうしてもやらなくちゃいけない部分みたいなのを学生の、アルバイトの人、お願いして、で、その研究をそのルーティンワークになってる部分をお願いするってことをしてます。
で、それはほんとに助かって、例えばその細胞で何か遺伝子が、なんか出てるとか出てないとかそういうのが、測定する方法があるんですけども、その遺伝子の発現を見るっていう、そういう実験が、その一連の流れがありまして、その細胞を、取ってきてそれを溶かして、いわゆるRNAってものがあってそのRNAを抽出して、で、それを別のcDNAっていうものに変えて、で、そのcDNAに変えた後にそれを、なんかちっちゃい穴に、96ウェルプレートって、まあ、96個穴が開いてるそこにこまごまと入れてって。で、それもその2マイクロリットルって、まあ、すごい少量の液滴をひたすらそこに入れてく。ま、そういうその一連の、大体普通の人が、1日かけてやるか、まあ、2日かけて行うようなそういう実験があるんですけども。
で、これをですね、やっぱ自分で全部こなしていくと、そのRNA抽出するっていうのだけでも、あの2~3時間かかって、で、またそっからcDNA 作って1時間とか、で、そこからまたその、っていうのを全部、そうですね、あの、やるともう肩がすごい消耗し、肩の筋肉とか腕の筋肉、消耗して、もう。あとやっぱり、疲れてくると消耗、なんか手が震えちゃったりとかするんです。筋肉が、弱ってきて。で、その次の日とかもまた、なんか全然もう痛くて何もできないみたいな感じになるので、そういう作業を、それはもう慣れてしまえば誰でも、まあ、普通に健康な人だったら慣れてしまえば、そこまで深く、やってること理解できなくても、まあ、作業自体はこなせる。で、ま、そういう作業に関してを、あのー、そういうアルバイトの人に教えて、それを正確にこなしてもらえたら、もうそれでこちらとしてはその結果を解析するって、そこに集中することができるんで、まあ、そういうのを、あの、そうです。もう4年ぐらい続けてもらってやってるんですけども。それが一番非常に、あのー、助かってるみたいな。

障害学生の語り

現在働いている大学では年に1回、多種多様な障害のある職員が集まって、意見交換をする場があり、そこで知り合った人たちからこのインタビューのことを聞いた

――今の職場では、合理的配慮というか、何かそのご自身の障害のための配慮っていうのは何かありますか。

えーっと、仕事の時間が毎日違っています。というのは、私、週3回病院でリハビリを受けておりまして、その時間が、ちょうど昼になりますので、日によって、昼休みの時間を長くしてもらって、で、その分、仕事を始める時間を早くして、それで、1日のトータルとしては、毎日、同じ時間数仕事するという、そういう調整をしてもらっています。

――あの多分おっきな、大学なので、えーっと、そういう障害者雇用とかの窓口的な、こう、人事の中にもそういう場所とかってあるんですよね、きっと。特にないですか。

あ、場所はあるとは思います。

――直接そういうところと、こう、お話しされたりとかって、入社されるというか、お仕事に就かれるときに、就職されるときにそういう、話し合いの場を持つとかっていうなことはなかったですか。

仕事始めるときはなかったですが、まあ、年に1回そういう障害を持つ職員が集まって、いろいろ意見交換をするという。ま、そこで、今回の、インタビューのきっかけになった人たちと会うことになったので。…ま、そういう、この機会もそういうことだと思うんですが。

――それはどのくらいの方がいらっしゃっているんですか、その集まられるのは。

そうですね。かなり多いと思いますね。100人とかぐらい、いるかもしんないですね。

――障害の種類も多様ということでしょうか。

まあ、そうですね。まあ、職場の同じ研究メンバーでも視覚障害の方、聴覚障害の方、…います。あとは、まあ、私みたいに、あのー、…ま、手足が不自由な人とか。