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障害学生の語り

最初に電話対応が必要な仕事に配属されたのは、今思うとパワハラだったと思うが、新入社員だったので同期と同じように働きたくて、苦しくても頑張ってしまった

最初に配属された場所がですね、実はちょっと、まあ、おっきな営業所だったんですね、東京の。で、建築の設計で、やってるんですけど、なんかこう、建築の設計は実は、設備とか構造とか、工事とか営業とか、いろんな専門の人と仕事が絡んでて、全部それをまとめないといけないのが設計の仕事だっていうのが、実際の世界なんですけど、ほんとにそれが大変で。電話が必要な仕事だったんですね。で、私が就職活動のときに、面接のときに「電話の対応はできません」って言ったんですけど、なぜか会社に入ると電話の対応がほんとに必要な感じで(笑)、それはもう、ほんとに苦しかったんですけど、自分でこう頑張って電話を始めて。で、ま、(インタビューの)一番最初に言ったんですけど、男の人の声は拾いやすくて、女性の声が駄目なので、仕事をしてる世界って男の人が多いんですね。もう8割、電話の相手は8割ぐらい男の人なので、男の人に当たるように、当たるように、ちょっと願って電話するみたいな(笑)。そういう感じで、ま、頑張ってこう、電話越しでコミュニケーションを取ってました。

難しいですけど、今思うと、パワハラだと思うんですけど、まあ、7年前のその時代は、それがパワハラとかもう思ってなく、まだ新入社員だったので、どうしてもやっぱり周りと、周りもみんな頑張ってて、同期が。みんなと同じレベルになりたかったので、やっぱりもう電話も必要なんだなと思って、そこから、まあ、自分が必要だと思って、もう自分が頑張ったっていう感じでしたね。んー。

例えば一番、どこの会社でもあると思うんですけど、言った言わないっていう問題って大きくて、例えば僕の仕事は営業さんから仕事をもらって、それを図面を描いて、で、建物が建つか、契約ができるかどうかとか、そういうのがやっぱ一つのおっきな流れなんですけど、やっぱこう、お客さんの要望を営業さんが聞いて、営業さんがそれを伝えてくれるときに、口で言うと何も残らないので、自分がノートに書くんですけど、どこかでこう間違えて、聞き間違えて理解してしまうと、あの、営業さんは「そんなこと言ってないよ」っていう話になると、後々、出戻りが多くなることがありました。それだけでも例えば1日、無駄にしてしまうとか、そういう経験もたくさんあって。そうなるともう、それで終わる話じゃなくて、無駄にしてしまったことをいろんな人に迷惑を、掛けてしまうことにつながるので、後でこう、怒られたりとか、原因を誰かがこう探したりとか、そういうのがどこ、どこか起きて、起きてしまうんですよね。だからそういうミス、まあ、ミスっていうのを増やさないように、やっぱり自分が理解した内容は相手にもう一回ちょっと確認したりとか、そういうことを徹底的にやらないと、ほんとに自分が後々、苦しくなるっていうのは感じてます。ま、そういった経験がありました。

障害学生の語り

入社当初は目がよく見えないのに、現場で実機を触りながら大規模なシステムを組み上げる仕事で苦労した。上司と相談して設計や企画などオフィスでの業務に変えてもらった

――それからその、就職された後、職場での何か配慮というのは今、受けてらっしゃいますか。

あ、そうですね。ま、基本的なデスクワークに関しては、パソコンを使う仕事に関しては、特に問題はないんですけれども。やっぱり、現場仕事っていうのが入ってくると、ま、ちょっと、できない部分といいますか、結構大変なところも出てくるので。まあ、極力そういう、現場寄りの仕事ではなくて、オフィスで何かこう、企画したり、戦略を考えたりっていうような仕事のほうに回してもらっています。

――今までお仕事されてくる中で、何か一番こう、大きなハードルというか、大変だったなと思うようなことって、何かエピソードとかってありますか。

最初はですね、結構、現場寄りのお仕事をしてました。で、現場寄りって何をするかっていうと、実際にシステムを現地でこう組み立てる、作っていくっていうお仕事なんですけども。まあ、それをやるとですね、まあ、どうしても、何百台ものパソコンを、LANケーブルでいろいろつないだりですとか、あとネットワーク機器をいろいろつないで設定をしてって、かなり、こう、ほんとに実機を触りながら、現場で大規模なシステムを組み上げていくっていうお仕事を最初していました。
で、そのときにやっぱり、目が悪い分、そこに対してかなり、難しさというのが出てきたのと。あとは、まあ、見えない中でそういうことをすること自体に対して、かなり危機感であるとか、精神的な負担であるとか、そういったものがあったので。まあ、経験した上で、上司の方と相談をさせていただいて、そういう現場での仕事ではなくて、もっとオフィスのほうで、設計をしたり、考えたりっていうような、お仕事のほうに回してもらったという経緯はございます。

――なるほど。そういったときには、やっぱり相談する相手というのは自分の直属の上司ということになりますかね。

そうですね。はい。なので、直属の上司に相談さしていただいて。

――会社の中にはそういう、障害を持っている社員の方たちに対する、何か特別な対応をするような部署というのはあるんでしょうか。

そういう部署そのものは多分ないと思いますけれども、もう毎年一定数の、障害者雇用は行っているので。まあ、何かこう、困ったときには、例えば人事部に相談するとかっていう、その環境は整っていると思います。

障害学生の語り

大学では法人向けプランでUDトークを購入してもらったが、会議の際に字幕を出してもらったことはない。おそらく障害のある本人が使うものだと誤解しているのではないか

――現在、お勤めの職場の大学のほうでは、何らかのそういった、合理的配慮っていうのは、例えば、会議をするときに、何かこう、そういう文字通訳をつけるとか、何かをする、そういった配慮は行われていますか。

はい、これにつきましては、会議によって異なるのですけれども。ま、学科などの小さいレベルの会議では、マイクを使っていただきまして、そのマイクのスピーカーを私の席の近くにちょっと置いていただいてっていう形で、配慮いただきました。

――あとは、いただいた(事前)アンケートのほうで、「UDトークの導入はしていただきましたが、使われていないです」って書いてあるんですけど、ちょっとこれはどういうことなのか教えていただけますか。

ああ、UDトークは、大学のほうで、(法人向けプランで)購入をしていただいてるのですけれども、それが会議等で、現在はちょっと使われてないという状況です。ですので、私がスマートフォンに、UDトークを入れて、会議等に私が持ち込んで使っているっていうことは、ありますが、例えば、字幕を出してもらうとか、そこまではちょっと現在はいたっていません。

――じゃ、UDトークは何のために導入されたんでしょうか。

そうですね。やっぱり、UDトークを障害のある本人が、持ち歩いて使うものなんだっていうふうに、もしかすると誤解をしてる可能性はあるかもしれません。私自身は、使ってもらえないので、私が持ち運んで、持ち込んで使っていってるんですけれども。恐らくそれを見て、周りの方は、「あ、これは本人が、障害のある本人が使うもんなんだ」っていうふうに誤解をされているのかもしれないですね。ですから、会議等で、これまで、使われたっていう実績がほとんど、購入されてるにも関わらず使われてないっていう状況です。*
で、あと、障害学生、聴覚障害学生が今在籍しているんで、そちらに活用できるといいなと思って。自分自身の授業では、UDトークですとか、その他のツールを使って、字幕をスライドに出すってことはやっています。

――というのは、ちょっと具体的にどんなふうな仕組みになるのか。UDトーク、ご存じない方もいらっしゃると思うので、ちょっとどういうふうに、その授業で使われるときはどういうふうに使われているのか、教えていただいてよろしいですか。

はい。まずはUDトークというツールがあるということを、説明しまして、文字が出るということで、このツールを使ってプレゼンをしてもらって、その結果がみんなで共有されるように使ったり、それからスクリーンに認識の結果が出るようにしたりして、プレゼンのときに活用したってことはありました。

*UDトークは個人がスマホやタブレットに入れて字幕を表示することもできますが、自動音声認識で話者の言葉が正しく認識されないこともあります。法人契約の場合は、会議を開催する側がそうした誤認識部分を手入力で修正する担当の人を置いて、修正後の字幕をプロジェクターや参加者のスマホに表示させるのが正しい使い方ですが、この女性の職場ではそのような使い方がされていなかったようです。

障害学生の語り

WEB会議では秘書的な役割の人に話の内容をチャットに書いてもらって内容を理解しながら参加しているが、専門用語についてはタイプミスも多くなってわかりづらい

この3年ぐらいですかね。で、またちょっと1段階2段階ぐらい、聴力が低下いたしまして、まあ、結構狭い部屋で話してるミーティングとかでも、何を言ってるか分かんなくなってしまったりとか、普通に対面で話すことでも、まあ、人によってというか、結構多数の人で、やっぱり聞き取れないっていう状況になってしまいました。で、ま、やはり、その、すごい、そうなりますと、何でしょう。ま、意思疎通にすごい問題が出てくるので、やはりミーティングなどではそういう、ノートテイカーというか、誰が何話したかみたいのを書いてくださる方が、一応、いらっしゃいます。それ専用の方ってわけじゃないんですけど、普通の、あの、担当のされてる方が、そのミーティング中に、ノートテイカーの役割を担っていただいてるって感じです。多分その速記って意味では、特殊な技能が必要だったかと思うんですけど、そのウェブ会議をすることが多いので、まあ、会話の内容を、タイピングしていただくってことだと、まあ、そこまで多分、専門的なことはいらなかったから、できたんじゃないかとは思っているんですけども。まあ、今はそういうふうに、その内容をその方が、チャットに書いていただいて、内容を理解しながら参加をするっていう方式で、ま、参加させていただいております。

実際はそのノートテイカーは、職場の、何でしょう、秘書さんっていうか、アシスタントの方というか、そういう補助業務、総務とかを担当してくださっている方が、担当していただいています。はい。

――ありがとうございます。で、実際に、受けてみて、その、物足りないとか、不満とかっていう、もっと専門家の人が付いてほしいとか、そういうことはありますか。

ま、やはり、その、難しいこととしては、専門的な内容の打ち合わせっていうのがやっぱり多い、ってか、それがほとんど全てですので、そうなると単語が当然、ご存じでないのが、とかっていうのが結構あるとは思っていて。そういうもんとかだとちょっとなんか言われても、その正しく、その方が聞き取れていなかったりとか、あとは、当然タイピングするんで変換することになるんですけど、なんか全然ちょっと違う変換、変換っていうか、なんか片仮名の言葉なのに、なんか途中まで漢字になって変換されたものがやっぱ出てくるとか、そこはちょっとこう書いてあるけこういうことなのかなっていうふうにその場で、なんか頭ん中で切り、置き換えてく必要があって、そこがやっぱり、少し、難しいとこではあるとは思います。やっぱりその、専門的な知識がある方がある程度やらないと、ノートテイクという意味では、ま、完璧なものにはならないとは思います。

障害学生の語り

打ち合わせでは2人の人に協力してもらって、1人にはTeamsのコメント欄に内容を要約してもらい、もう1人にはスマホのGoogle音声認識アプリの字幕を表示してもらっている

僕も、UDトークがあの、話題になったときに、これすごいちょっと頑張って、使ってみようと思って、ま、会社でもちょっと利用してみたんですけど、どうしてもやっぱり、識字率が悪くて。で、悪い理由はいろいろあるんですけど、一番おっきいのは建築の専門の言葉が拾えないんですよね。で、ほんとに全く訳の分からない言葉が、いっぱいこう並んでくるときもあって、あと、ネットの回線、回線の問題で、たまに、途切れることもあって、だからこう、今はどっちかっていうと、人に頼んで、要約してもらうほうがミスが少なく、そっちのほうが助かってる状況です。

――ということは、要約してもらうというのは、打ち合わせとかが終わった後にそれをもらうような、あ、その場で?

打ち合わせを終わった後に要約をしてもらうことは基本的になく、なぜかというと、それは打ち合わせに参加した意味がないのが1つと、みんなも忙しいので、頭を早く切り替えたいんですよね、みんなも。そうすると、みんなが大変になるので。ただ、打ち合わせのときに僕も参加してるなら、僕も意見が言えるようにしないといけなくて、そうすると、要約してくれる方が今2人お願いしてるんですけど、1人はTeamsで、コメントに簡単に、内容を書いてくれて、で、もう1人は、実はこれちょっと最近、使われ始めたアプリなんですけど、Googleの音声認識アプリっていうのがありまして、アンドロイド対応なんですけど、これがすごい、識字率が良くて。で、それをそのもう一人の人に、あのアンドロイドを使ってる人に、こういうところにこう提示してもらって、こうやってリアルタイムで、みんなが話してる内容が表示される。で、プラス、コメントがここにこう、人がこう打ってる内容が分かる。ま、その2つを拾って、話の流れをつかむっていうことをしてます。

――その方たちは同僚というか、一緒にその会議に参加してる方たちっていうことですかね。

はい、同じ部署の人なので、当然こう、専門の用語も分かってる人なので、はい。

障害学生の語り

健聴者に配慮を求めながら対等な関係を保つためには、議事録になるような形でノートテイクをしてもらうなど、相手にもメリットがあるような提案をする必要がある

――それをやっていただくようになるまでっていうか、今はすごく素晴らしいチームワークだなと思うんですけど、そこにたどり着くにはどういうふうにされたのかなっていう。

ああ、もう、基本はもう人間関係がもう全てですね、仕事は。もう僕自身も、いろんな人に配慮を求めるってことは、いろんな人の、手を借りる、借りるってことなので、やっぱりそう、気を遣って、うまくこう、バランスを取って、例えばこう、会議の後にお礼を言ったり、何かこう渡したりとか、そんな感じで、もう相手に対する、感謝の気持ちを忘れないように仕事はやってます。

実はそのことで、ちょっと一つ、エピソードがあるんですけど、健聴の人の情報、情報っていうか、理解度とかってこの辺(右手を目の高さに挙げる身振り)だとすると、自分がここ、ここ (左手を肩の高さに挙げる身振り)になりますよね。で、相手に助けを求めちゃうと、健聴の人がどうしてもこのレベル(肩の高さ)まで、下げなきゃいけないんですよね。それってほんとに周りの人にとって、実を言うとメリットがないんですよね。僕も相手もマイナス。ゼロじゃなくてゼロから、ゼロが健聴の基準で、理解の基準、基準でそれを、助けてもらうことで、ちょっとこう、ここ下に下がるんですけど、そうじゃなくて、自分も相手もこう、自分が、あの、相手に配慮を求めながらゼロに近付くには、相手もメリットがあることを、自分から探して提案しないといけないんですよね。それは仕事の中ですごく、実感してて。
まあ、例えば、ノートテイクをした内容が議事録になると、それは健聴の世界でもメリットにつながりますよね。ま、それが一番分かりやすいんですけど、ただ、紙でこう書いて渡されたら、相手に何も残らないのでこう(目の高さに置いた右手を肩の高さに置いた左手に近寄せるマイナスの手振り)なっちゃうんですよね。でも、パソコンを使ってこう自分がこう求める、相手も議事録になるし、周りの人の会議に参加してない人に対しても、いい記録、記録につながるならこう(左手を右手の高さに上げるプラスの手振り)なんですよね。で、僕はもうほんとにこれ(下から上のプラスの手振り)が必要だと思ってて、それはほんとに、世の中みんな、全部がそうなってほしいと思ってるんです。そうなんです。それ、それがゼロになることだと思ってます。こう(下から上のプラスの手振り)、こうです。

障害学生の語り

学生たちは研究室に入ってくる時点で、自分の目のこともわかっている。顕微鏡を使う時にはその原理が理解できるよう説明しているので、学生からの評判は悪くない

そうですね、うちらは画像を見る、まあ、僕は画像を見ることが多いんですけど、画像を見て理解するっていうのは、まあ、真っ先に捨てましたね。結局、まあ、いろんな工夫をして、例えば凹凸(おうとつ)で見るとか、そういうこともできなくはないと思うんですよ。なんですけど、学生を介して見るほうが速いですし。で、学生に対しても、その画像っていうのはどう理解したらいいのか、どういうことが、まあ、実験やってるうちに、どういうことが期待できるかっていうのが意識できるようになるんですよね。だから、学生の研究の理解を深めるためにも、結局は学生に画面情報を言葉にしてもらう、言語化してもらうっていう作業が一番いいのかなと思いましたね、はい。

――その学生さんたちにとっては、その、先生のご研究にそうやって、そういう形で協力すること自体が、学びの場になっている、あるいは彼らも何かその、対価として何か、アルバイトみたいな形になっているのか。それとも学びとしてやっているのか、どっちなんでしょうか。

あ、学びです、はい。やってるのは卒業研究の一環ですので、普通に理工系の大学で、研究室に所属して、先生の研究テーマをお手伝いするっていう。まあ、それと全く同じです、はい。

――そうしますと、その学生さんたちにとって先生の、その教授法って、まあ、ある意味、特殊な教授法なのかもしれないなという気もするんですけれども。その辺は、どういうふうに受け止められてると感じておられますか。

まず学生はですね、僕の目の状態をある程度知って入ってきます。ですので、僕の研究室に入ってきた時点で、まあ、何かしら僕の補助というか、目のことは必ず問題になるっていうのは分かっています。で、実際ですね、まあ、顕微鏡をですね、学生が使ってる、そのそばで指導をしながらやっていくっていうスタイルなんですけど。僕は、学生からの評判は悪くないと思ってます。というのはですね、顕微鏡を使ってるときに、まあ、ここをちょっと動かしてとか、まあ、ここのねじを回してとかいうことを指示するんですけど。そのときになぜそれをやってるのか、要するに、顕微鏡の原理をきちんと理解できるように説明しているんですよね。まあ、そうすることによって学生が、単に機械が使えればいいっていうわけじゃなくて、機械を使うからには、その原理をちゃんと理解しないといけないんだっていうことで、えっとですね、あの、学生の理解が深まってると僕は感じています。

障害学生の語り

何をやっても歩けるようにはならないと自覚して、研究は諦めて別の仕事の可能性を考えたが、電動車椅子で精力的に活躍している研究者を知って再び挑戦することにした

あの、日本に帰ってきてまだ希望は持っていたんですね。何でも自分でインターネットで調べる口だったんで、「あ、こういう治療法があるんだ」とか、「これをやれば治るかもしれない」みたいなのを思っていて。でも、実際に帰ってきて、いろんな治療をして、何をやってもやっぱり歩けるようにはならないんだっていうのを自覚して、もう研究はできないんだと思って、でもやっぱ、だいぶ落ち込んで、多分うつにもなってたと思うんですが、ま、そのうち、やっぱりとにかく何か食べていかなきゃってことで、研究者はもう1回完全に諦めました。それで、いろんな他の仕事の可能性を考えました。
で、えー、幾つか考えたんですけれども、例えば1つは、学術系出版の、何かライターって、これは応募もしたりして、駄目だったんですけれども、今思うと、案外、障害とか病気に関することをちょっとネガティブに、ネガティブっていうか、その、あまり、正直に書いたんですけども、あの、ただ書いただけで、何でしょう、…ネガティブな印象があったのかな。ちょっとうまく言えないですけど、あの、書類で落ちてしまいました。
で、その後はですね、何かジョブ…何でした、…あの、就職、転職するサイト、そういうのに、登録をして、いろいろ、何です、コーディネーターの方と何か、アメリカにいるときもスカイプで何か相談したりとか、そうして、で、1つ、コンサルタントです。…で、もう1つはその、製薬会社で、新しい仕事ができて、何か、メディカル・サイエンス・ライターとか、メディカルリエゾンとかいう職業なんですけども、これまでのそのMR、結構伝統的な製薬会社の、そういった業務だと、自分の会社の、商品を宣伝したり、ただ何かディオバン事件とかいろいろあって、あの、えーっと、あんまり、その会社の営業部門と独立したようなポジションで、薬に関する科学的な、あの、事実に基づいて、あの、文章を書くっていうような職業があって、その2つでいろいろ、人材の会社と相談したり、応募もしたり、そういうこともしました。
…で、あの、転機になったのが、今の大学の、もともと勤めていたところのボスで、今の職場のボスでもあるんですけども、その人からちょっと、声を掛けていただいて、でも研究職は無理だと思ってたんですけども、その、ごめんなさい、元いた職場で、今いる職場でもあるんですけども、そこの職場のホームページを見て、そしたら、車椅子で、研究をされてる先生が、すごいアクティブに活躍されてる先生で、メディアとかにもよく出られてるんですけども、電動車椅子で、脳性まひで、常にこう、支援者がついてるような、先生でも、先生が、研究を実際されてるってことを知ったのが、一番の、何ですか、きっかけといいますか、また研究者もやってみようかなと思った、あの、…そうですね、きっかけになりました。

や、ほんとに、その、完全、何て言うか、一応言い方があれですけど、もう1回人生を諦めて、そういった心持ちからしたら、また、研究の世界でできるんだったらちょっと、できるところまで、やってみようかなという、何かうまく言えてるか分かりませんけど、特に、その、やっぱり、…その、車椅子で、研究をしてるような先生のところにもちょっと、何だろう、お知り合いになりたいというか、あの(笑)、いろいろ学べるところがあるのかなと思ったのが、…そうですね、その、研究を再開する経緯になります。

障害学生の語り

帰国後民間で就職しようと思って仕事を探したが、博士号を持ち英語が堪能でも全く決まらず、高等教育機関のほうが自分を評価してくれるのはないかと考えて高専に応募した

就職活動はですね、結果から言うとですね、かなり苦労しました。というのはですね、まあ、そのときにですね、大学院の恩師は、まあ実際、僕が日本にいるときに唯一あれですよね、あの、目の障害のことを話した相手だったわけですね。で、僕はそのときから、まあ、実は企業とか民間含めてですね、えー、障害者枠ってあるのを知ってたんですよ。知っていてですね、で、教授と相談して、ぱっと見は、やっぱりそんな障害者に見えないし、ちゃんとパソコンとかできるんです。だったら、障害枠で仕事を探したらどうだっていう話があって、障害枠で仕事を探し始めました。
で、まあ、専門のですね、会社があるんですよね、障害者をですね、紹介する専門のエージェントっていうのがあって。まず、そこに登録をしました。そこに登録したら、えーとですね、紹介があるわけですね。で、面接まで行くんですね。で、そのときに私は、生命科学の博士号を持ってるってことと、あと、アメリカに6年いたので英語はそこそこできるっていうことで、声が掛かるだろうと思っていたんですね。で、最初のうちは確かに声がちょこちょこ掛かったんですね。ただですね、面接を受けてもですね、通らないんです。通らなくて、通らなくて、通らなくて、気が付くとですね、選択肢が減っていってですね。で、そのエージェントのほうからも、「すいません、もう残ってる仕事っていうのは、在宅でできる英語の翻訳とかなんですけど」っていう状態までなりました。
で、これではいかんなっていうことで、民間で就職しようと思って…しかも正社員で…と思っていたんですけど、ちょっとこれは無理だなって思って考えたときに、うん、もう障害者枠は関係なしに、やっぱり大学とかそういう高等教育機関っていうのが、自分のことをちゃんと評価してくれるんじゃないかと思って、えーと、もうあれですね。その年の12月ですね、ぐらいに、もう方向転換して。民間は取りあえず捨てて、大学関係に応募しようと決めて、実際、今、応募してここにいるわけですよね。結局、でもですね、大学関係に出すって決めたんですけど、出したのは今いる場所だけです、はい。運よく採用されて、今ここにいるという。これも、首の皮一枚つながった話ですね、はい。

障害学生の語り

右目の視力を失ったときはショックが大きくて、リハビリにも打ち込めなかったが、白杖を突きながら復職すると周囲の教職員の対応が変わり、ずっと働きやすくなった

2017年の5月にですね、そのリハビリ施設に入ったんですけど。えっと、もう、1カ月ちょいたったときですね。6月末ぐらいですかね。何か一度、家に戻ったんですよね、ええ。何か、何でリハビリしてるか意味が分からない。白杖訓練とか、まあ、白い杖、つく訓練とかは分かるんですけど、例えばパソコン訓練って、まあ、音声、読み上げてくれるとか、あるいはロービジョン訓練で目の使い方をやるとか言われても、これが果たして、仕事に戻るときにどこまで役立つのか。特に僕は、自分は顕微鏡学者なので、僕は顕微鏡学者でものすごい目を使っている。で、この程度の訓練で戻れるわけないだろうみたいなことがあって、実は1回ですね、リハビリ、僕、打ち切ってるんですよ。
打ち切って結局、何したかっていうと、もう家の中に引きこもっていたんです、実は。で、引きこもってる間にも、当事者団体の人たちから心配して声が掛かってきてっていうことで。で、僕もだんだん、2カ月ぐらい引きこもってる間に、もういつまで引きこもっても意味がないと。取りあえず、あれなんですよ。復職するためのリハビリっていう考え方を、まず捨てました。取りあえず、リハビリを終わらせる。で、それから考えるっていうふうに決めて。で、8月、盆すぎにですね、そのリハビリ施設に戻りました。

――ご自身としてはそんなに自信もない、自信が得られないまま復職されて、こう、徐々に現場で自信を付けられていったという、そういった感じだったんでしょうか。

そうです。まさにそのとおりです。あの、徐々に自信が戻ってきたっていうことになります。あの、きっかけとなる出来事があったわけではないです。ただ、あれですよ。リハビリ施設に入って、それから、戻ってきた私は常に白杖を学内でもつくようになったわけです。そうすると、周りから見て、視覚障害者だってぱっと分かるわけですよね。で、その情報も、私が復職するときに当たって、全教職員に共有しました、はい。そうすると、教職員の方もすごい、気、使ってくれるようになったわけですね。まあ、「この仕事、先生はちょっと難しいか」、「この仕事、何か手伝い、ありますか」っていうことで。
要するに、まあ、情報を共有することによって、僕の働きやすさが変わったんですね。環境が、すごい良くなったわけですよね。周りの理解が得られるっていうことで、結局、まあ、自分が障害を持ってるっていうことを、まあ、言ってはいたんですけど、まあ、具体的にどういう障害でどういう困難があって、どういう支援が必要になるのかっていうのを明確にしてなかったので、働きづらさっていうか、何か、まあ、感じてたわけです。
それを知ってもらった今は、ちゃんと、「ああ、こういった仕事はできますか」とか、自分に確認が来て、「はい、できます」とかいうふうにやっていくうちに、「あ、働き続けられるかも」と、どんどん、どんどん思うようになってきて。で、今の状態ですよね。これは、まあ視覚障害があっても、まあ、ちゃんとそういった周りからの支援と。あと、まあ、1つ必要なのが工夫なんですけど、自分での。工夫があれば働き続けるようになるんだなっていうのは、復職して1年後ぐらいに、ようやくそういう心境に達しました、はい。