えー、私の理解ではなんですけれども、ま、実験をですね、やろうと思えばできたんだと思います。どちらかというと、私が結局、最終的に入った研究室のほうが「これ、車椅子には難しくない?」っていうことを結構やってたところだったんですね。でも、まあ、やらせてもらえたと。じゃあなんでその(初めに希望を出した研究室の)先生が、私をこう受け入れなかったかというと、もうここは推測なんですが、おそらくもうリスクを負いたくなかったんだと思います。まあ、ある程度こう、先ほど申し上げたように成績はいい学生だったので、ある程度、何だろうな。その、実験の成果とか出す可能性は、もしかしたらあるかもしれないけれども、かといって、そういう可能性よりも何か問題起こすリスクのほうが、あるいはそのけがをする、されるリスクとかのほうが高いじゃないですか。ま、じゃないですかっていうか、そう考えてもおかしくはないと。今になって思うとですね。なので、そういうことを、総論賛成各論反対じゃないですけども、まあ、どこかにそういう学生がいるのは非常にいいことだ、ただしうちはやだよ、というようなところが、2つの教室に断られた理由じゃないかなというふうに考えています。
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1つ、転機といいますか、大学の、研究所の方針でですね、実際に、私ですとか、障害のある人が使えることができる実験室を造りましょうというような話をいただいて、今は、元の研究室を改善するような方向性ではなくて、もともとアクセシブルな実験室を造るという方向で、取り組んでいます。
で、その中で、いろいろ今試行錯誤をしているんですけれども、実際には、その、…アクセシブルな実験室を造る、ちょっと私の個人的な考え方かもしれないですけれども、実験室造ることができても、やっぱり1個しか造れないので、そこをどういうふうに生かしていくかというと、やっぱり、全国の、他の大学でもアクセシブルな実験室を造るときに、実際にどういうふうに造るのかというのは、そういう何か家で言うとモデルルームみたいな、そういったものがあると1つはいいんじゃないかと。
あとはやっぱり、1つ思ってるのが、世の中の空気ですね。やっぱり、インクルーシブな教育環境の価値みたいなのを伝えるようなことができればいいんじゃないかと。
海外では、インクルーシブな教育環境についてのガイドラインですとか、事例とかが多くあって、それに比べると、日本ではそういった話は知られていないですとか、あまり文書も作られていないというのがありますので、ほんとに、ま、言ったら海外のまねをするだけなんですけども。科学だったらもう全くまねするのは意味ないんですけども、この、何だろう、全くそういうことは関係なしに、日本でできてないけれども、いいものは何でも取り入れていく。ま、しばらくは多分、あの、海外のまねをすることになると思うんですけども。ま、そこで、例えば日本の文化も法律も違うので、そこの調整を多分仕事としてはできればいいのかなと思ってます。
――そのラボのほうなんですけども、どういう点を今までと違うものを造られた。その辺のことをちょっとお話しいだけますか。工夫された点というか。
あの、2つの方向性があって、1つはアクセシブルな実験室、誰でも使いやすい環境をつくる。で、その点に関してはまだ実物を造っていなくて、これから造る予定ですけれども、いろんな事例ですとか、ガイドラインを、整理しているような状態です。で、もう1つは、障害のある人が使える…環境の一例として、例えば私が、以前と同じような実験ですとか、研究ができるかどうかっていうのを、いろいろ試していまして、例えば…実験室で、設備が、車椅子を使っていることによって、アクセスできないってことがありますけれども、例えば、実験室の顕微鏡をですね、電動で昇降する台に載せたりですとか、あとは物によっては、動かすといけないような装置もありますけれども、例えばそれは今はちょっとここにないですけれども、立位を取れるような車椅子を使ったりをして、それで、高さのある実験装置でもアクセスする、できるようにしています。で、もう1つ考えているのが、あの、物の移動をさっきも、物を運ぶのが難しいというような話ありましたけれども、例えば、自分についてくる、お伴してくれるようなロボットですとか、それで、工具ですとか、試薬を運んでくれるようなものがあれば、とても便利になるのかなと考えています。
――その実験器具とかですね、そういうもので、既存の実験器具じゃなくて、ちょっと自分のために工夫が必要だとか、変えたとか、その辺りがあれば教えていただきたいんですけれども。
はい、これ、そうですね。すごい、死活問題というか重要なあれで。あれですね、ま、生命科学系の分野だと必ずそのピペットマンっていう、液体を吸って、それを別のものに移して出してみたいな、なんかその液体を扱うための、まあ、基本になる、ほんともうほぼ毎日使う、というか、絶対使わない日は…実験あれば使わない日はないっていう、そういう器具があるんですけども。そのピペットマンっていうのに関して、一般的に結構、流通してるタイプのメーカーのやつがすごい重たくて、普通の人が使っても時々なんかその腱鞘(けんしょう)炎になるような、やり過ぎて腱鞘炎になるような、そういうなんか異様な、でもそれが一番、いろんな研究室で使われてるっていうものがあるんですけども、それがもう僕の場合はもう全然使えないんで。
1回その業者に相談して、いろんなメーカーのやつを、全部、あのー、えーっと、サンプル品として取り寄せて、それで全部使って自分の手で確かめて、一番、負担がなく扱いやすいやつっていうのを、ま、選んで。そのいいやつが見つかったので、それを。で、それがちょっと若干値段が上がるんですよね。で、それはその先生のほうが理解をしてくれたので、それを、追加で購入するということになって、で、まあ、それを使い出してからはもう、そこに関してはほぼ、問題なくやれるようになったということで。
これ実際、例えば今、研究の分野でも、女性の研究者とか、ま、もちろん増えてきて、でもなんか普通にその女の人でも、一番広く使われてるやつはやっぱりつらいって人、多くて。で、ま、そういうのもあって、最近やっぱりそのー、もっと、負担の少ないタイプのピペットマンってのが結構、着目されてきているみたいなんですけど。で、そうですね。で、そう、そういうのをやっぱりちゃんと、探して買うと。ま、他にもそうですね、なんか、すごいなんか使いにくい機械とかが、まあ、あって、その、自分用だけじゃないものってどうしてもやっぱり、あのー、フィットさせられないんで、ま、それはちょっと他の人にお願いして作業、代わりにやってもらうとか、ま、そういう感じにはなりますかね。
いわゆるその実験といったことも、全くしてなくはないんですけども、多くの研究、多くの作業ってか、多くの時間は、基本的にコンピューターの前で、プログラムを書いたりとか、その解析をするといった作業がメインですので、あんまりそんな実験室でどうこうっていったことには問題がないですけど。ま、でも当然、聴力障害というか、聴力の問題になるのは、やっぱり1人でやる作業はそんなに問題にならないので、どちらかというと、やっぱコミュニケーションが問題になってくるので、作業って意味ではあんまり、困ることは多くはないと。
ただ、それこそ実験室とかにいると、あのー、アラーム音が聞こえないっていうのが少し困ったことで、例えばあのー、えっと、冷蔵庫のふたが開いたとしたら、すごい大変なことになるとは思うんですけど、それでも普通はアラームがピピピって鳴るんですけど、ま、聞こえない。で、まあ、冷蔵庫開けっ放しだったら、すごい中身が溶けて大損害が食らうところで済むんですけど、例えば今度はそのCO2濃度が高く、えーと、二酸化炭素濃度が高くなった、で、アラームが鳴った、それが聞こえないのは、ほんとに、死亡事故とかにつながってしまうので、そういったのはちょっと困る点ではあります。はい、困る点ではあるとは思います。
――そのために何かこう、そのアラームだけじゃなくて、ライトで分かるとか、そういうようなこと、必要なんじゃないんでしょうかね、変えることが。その辺はお話し合いとかは、なさってらっしゃいますか。
そのCO2濃度とかってレベルになってくると、結構ほんとに死亡事故につながってしまうので、あのー、ライトでの、ライトっていうか、その部屋中、部屋ごと、ライトが点滅するみたいな対応はあると思うんですけど、冷蔵庫とか開けっ放しぐらいになってくると、ま、当然、ライトは光ってますけど、見てなきゃ見えないので、そこがちょっとやっぱり難しいですね。もう、機器も1個じゃないので、たくさん、例えば冷蔵庫があるとか、たくさんそういったなんか、アラームが鳴るものがあって。で、まあ、見れば分かりますけど、見ないと分からないっていう。音の場合は見てなくても分かるじゃないですか。で、目で見ないといけないと、見ないと分かんないので、そこがちょっと気になりますね。だから結構、だから例えば、1人で実験して、終わったときとかは、そういった何かエラーが出てないかとかって、もう1個1個その実験機器の前をちょっとぐるっと回って、特に何もエラー出てないなってことを確認しないと、ちょっと不安になってしまったりとか、そういうことはあります。
私がですね、会社に入ったのが2005年ということで、研究志望で入って、まあ、場合によってはシステム系に移るかなということも、ちょっと思っていたんですけど、幸いこう、研究職として採用されました。で、その中で、かなり、少し遠い将来のことをやるような部署。直近のこう、開発というよりは、研究っていうとこに配属されてですね、ま、何て言いますか。よく分からないものを研究するような、んー、何て言うんだろうな。えー、世の中には眉唾ものはいっぱいあるけれども、眉唾ものは場合によっちゃあ、すげえいいものもあるかもしれないみたいなですね、そういうスタンスもあって。それをほんとに科学的に研究してやってみようみたいな感じの部署で、まあ、あんまりお金にならなくても、ほんとに意味あるものであればやっとこうみたいな、ま、そういうようなスタンスの部署に配属されました。
そこでいろいろ、こう、やっていったんですが、まあ、研究テーマもいろいろある中なので、自分がやれる研究を、与えてくれてというか、ま、逆に言うと自分で見つけて、そういう研究をしていったという感じだったので、特にこう、これといって困るっていうことはあんまり感じませんでした。薬品を扱うときとかも、別に、あのー、何だろうな。高いとこにあったりすれば、まあ取ってもらうとかってあったかもしれないですけど、そういうこともあんまりなく、何だろうな。ま、ドラフト、ドラフトって言って、こう、何て言うんですかね。空気を吸うやつですね(実験で発生する有害な気体が室内に漏れないようにして排出する装置のこと)。ドラフトチャンバーの前に廃液の瓶が置いてあって使いにくいときは、周りの人が動かしてくれました。あと、実験の机は膝が入りにくいタイプのものがあるので、専用の机を用意したり、新たに机を導入するときは引き出しが備え付けでなくてコロのついたものを採用したりしました。
あと、水栓金具の立ち上げの位置がシンクから遠い位置にあると使いにくいだろうということで、シンクから近い位置に立ち上げ直してくれました。まああんまり、こう、改善もせずに大体こう、何だろうな。自分のやりたいことは大体できたよっていう感じでした。ただ、何て言うんですかね。こう、ダイヤモンドカッターとかいろいろあって、こう、チェーンソーみたいな刃が付いていて、で、ウィーンってこう切って、機材を切るとかっていうことはあるんですけど、まあさすがにそれはちょっとこう、何だろな。まあ、まあ、それこそリスクがあるのでやらしてもらえず、まあ別に「代わりにやってくれる人がいるんだったら、その人にやってもらって」みたいな感じでやってもらってですね。ま、逆に言うとその辺は分担だったので、切るだけができなかったら、その人にもうお願いすればいいっていう感じで。まあ、そういうふうな形で進めてったという感じですね。
ま、誰でもできるんだけど、車椅子だと結構リスクがあるようなこととかは、当番は私には回ってこないとかですね、そういうのはありましたね。まあ、何だろうな。例えばこう妊婦の方に対して、妊婦の方もやっぱり研究してる方もいるんですけど、配慮をするじゃないですか。まあ、それが常時続いてるぐらいな感じで、「これはできるよね」みたいなことを言って、「あ、それはできます」とか「これはできないです」とかって言って、まあそんなような関係なので、何だろうな。いつも全体通じて「これは絶対にやりません」とか、そういうよりも、まあ、何となく、「あ、これいいよね」とかそんな関係でやれてるっていう感じですね。
こないだ、大学の障害をもってる方の支援の部局があるんですけれども、相談さしていただいたことがあって。そこで私が普段できないことっていうのを、あの、幾つかお願いして、幾つか対応していただけることになりました。
というのは、私は物が移動できないとか言ったら、あの、ごみが拾えない、床に落ちてるものを拾えないとか、ま、そういう細かい、何かそれを仕事としてお願いするような程度のことではないんですけれども、細かいいろいろできないことがあって、…あの学会で、大きな紙、ポスターを例えば張ったりして発表するんですけれども、そのポスターを張ることができないとか、そういう細かいことがいっぱいあるんですけれども。例えば、1つは、おんなじグループの人にお願いをしたらいいですよね、というのがありますけれども、何かほんとに毎日ですとか、毎回お願いするのもちょっと、まあ、なかなか。時にはちょっと苦手だなと思うことがありまして。で、その支援の部局の方に相談しましたところ、そういう不定期で短時間お願いするときにも、来てくださるようなサービスが、大学の他の部局では実施されているみたいで、その同じサービスを、私がいるキャンパスでも実施していただけるようになりました。
われわれ実験をする際に、幾つか法律がありまして、試薬ですとか、毒物を使う際には必ず、曝露(ばくろ)したときに洗浄できるように設備を設置することが義務付けられているんですが、例えば、その、緊急用シャワーですとか、洗眼機です。で、こちら、標準的な設備ですと、あの、緊急シャワーの操作部の位置がとても高いところに設置されていまして、車椅子の方ですとか、低身長の方は利用することができないんです。で、このまま、実験を行うと例えば法令違反になるんですけれども、こちらの設備を改修していただいて、シャワーに、床まで垂れるチェーンを取り付けていただきまして、それで、車椅子の私のような場合でも使用できるように、改修をしていただきました。
杖で大変なのは、移動はできるんですけども、物が、全く持てないというのが一番大変でした。…実験ですとかはほとんどしていなかったんですけれども、サンプルが例えば運べなかったりですとか、あの、何か溶液を調整するときにも、あの、1つの溶液を作るのに例えば10本ぐらい、10種類ぐらい試薬が必要な場合、例えばボトルをこう、例えば10往復するのかっていうようなことが多分、例えばあります。そんときは、持って来てもらったりですとか、…ま、人にお手伝いをお願いをしていました。
車椅子を使うようになった後の話ですけれども、基本的に、部屋の中が狭くて通れないですとか、あとは、ごみ袋とか、あの、比較的小さな機材が置いてあったりですとか、多分それも、歩ける人、ちょっと僕も歩けてたときに全然(気にならなかった)、だから、もともと自分が使ってた研究室なんですけれども、やっぱり、その、…非常に普通の人にとっては、ある意味使いやすいように使ってそういう状況になってると思うんですけども、ほんとに私、車椅子だと通れない。やっぱ何回か、ほんとにメールとか口でお願いしても、やっぱり、どうしても、何か、やっぱ物がずっと置いてあるような状態になってしまうのが。ま、それはほんとに、悪意とか全くなくてそういうふうになってしまうのだな、そういう何かジレンマといいますか、そういうの苦労したところです。
――やはり、変えてほしいって言うっていうことは、何かすごくハードルはありますか。
いや、すごいある。そう、ある。だから、やったらいいじゃないという話、そういう話になることもあるんですけど、やっぱり…何でしょう、多分、多分心理的なことなんですかね。ちょっとすごい言いづらいっていうのはありますね。
……何か例えば他にもできないことはいっぱいありますし、自分自身で物が移動できないですし、掃除も難しい。あの、ごみ捨てとかも、そういう、何だろう、皆さん、みんながやるべきことも担当できないですとか、基本的に何やるにもちょっとお願いしないとできないですよね。あとはさっきも話ししましたけども、やっぱ今あるデザインが皆さんが決めてきたことなので、自分が、例えば自分が使いやすいようにしたいつったら、基本的に全部変えないといけない。理想的には全部変えるべきなんですけども、その中でどこまで、何だろう、交渉の余地があるのかっていうのは、そう、…例えばそれを、何だろう、話す、議論できる人もいない。自分しかこう、何ですか、判断できる人がいないのもあるのかもしれないです。何か自分一人の判断で、自信がないようなこともありますよね。それは何か話せる、分かる人が、周りにいないのも原因なのかもしれないです。
大学の研究というのは基本的に、実験をして結果をまとめて、それでまあ、教授とかいろんな先輩とか後輩とかいろんな人に話して、また次の実験計画とかそういうのをどうやってやってくかということを、いろいろ話し合って決めてくんですが、とにかく、体の調子が悪いので、あんまり長く仕事ができないという時期がありまして、……しかもそのときにはまだ病気が何だか分かっていないので、まあ、ごまかしながらやっていたというときがありました。…まあ、毎週1回、研究室の人たちが全員集まって話し合い、ゼミをするんですが、ま、そのときに1週間どういうことをやったっていう話をしないといけないので、…何とかそこは……何て言うんですかね。ごまかしながらというか…やっていた時期がありました。
ただ、私の場合は、まあ、幸いというか、病気が自覚症状が出てから3カ月ぐらいで、病名が分かりましたので、長い人だと数年かかるという話も聞いてますが、まあ3カ月ぐらいで分かりまして、それ事情を話しまして、その後は多少体調も良くなりまして、まあ、割と普通にというか、まあ、歩くのはちょっと大変でしたけど、それ以外基本的には、座って実験するところなので、ま、ゆっくりやりながら一応、研究生活は何とか送っておりました。……まあ、困ったこと、どういうことがあったかな。…まあ、歩きづらいんですが、逆に研究室が狭かったので、あちらこちら、伝い歩きというか、まあ、つかまるところはありましたので、そういう意味では、かえって狭い研究室なので楽だったんですが、やはり危険な物を、薬品とか、まあ、ガラス器具とかいろいろ扱う分野でしたので、やはりけがをしないように、ちょっと注意しながらやっていた時期はありました。
――ていうことはそのために、何か特別な配慮というか、実験器具の種類を変えるとか、あるいは置く場所を変えるとか、何かそういう、配慮というかは、まあ、ご自身で考えてやって工夫された部分もあるかもしれないと思うんですけど、教室のほうで、あ、研究室のほうで対応してもらえたこととか、そういうことは何かあるんですか。
一切ありません。…まあ当時あの法律でそういう、何ですか、まあ、合理的配慮とかそういうもの一切なかった時代でしたので、まあ周りの人も多分考えなかったですし、私も考えなかったですね。
――自分のほうからそれを言い出すことってのも、思い付かない時代ってことですね。
そうですね。しかも、あのー、まあ大学、別にエレベーターもなかったですし、入っていくところが最初は階段でしたので、まあ、最後はかなり上がるの大変でしたね。
――ご自身がこう、病気の事自体を今、研究されていて、ご自身が病気になられた意味っていうのを、今あえて言葉にするとどんな感じかなとか、あとは、例えばこの先、どういうふうに、研究をしていきたいかなとか、なんかそこら辺があればお聞かせいただけますか。
そうですね、意味っていうと…そう、ま、やっぱり、さっきその研究するときに、患者の視点をきちんと生かした、研究の方向性が考えられるっていうのが、意外と、なんか別にそれは第三者でもそんなに難しいことではないような気はしてたんですけど、結構その現行のそういういろんな研究見てると、その僕の病気に限らずなんですけど、なんかひとまずできることをやるっていうスタンスでやっぱやる、やってる研究が多分、多いんですよね。だから、かなり研究って競争もあるし、なんか技術を、とりあえず使って、なんかとりあえずやれることをどんどんやってくみたいな。で、他のグループよりも、その、早く研究成果を出すとか、なんかそういうふうな感じのところがやっぱどうしてもあって。意外とだからそういうほんとに例えばなんか治療法を研究して、なんか成果が出たって。で、それで、なんか発表されてる研究あるし、論文とかでも、こういうことが分かってこれは治療に生かせるかもしれないみたいな、その結論にそういうことが書いてあったりするんですけど、なんかほんとにそうなのかなって。ほんと、とりあえずその定型文として、締めの言葉として使ってるような。なんかそういう論文、結構、研究って結構あって、それでもうなんか、とりあえずそういう結果が出たからそれ、そういうふうにまとめ上げたっていう。なんかそういうのが見えてくるんすね。
それもそれで、もちろん何かの役に立つとは思うんですけど、ま、それだと多分ほんとになんか例えば治療の研究するんだったら、まあ、それが患者に届くかどうか分からないし、例えば実はその、そういうの「なんかこれ治療に使えるかもしれないっていうのが分かった」っていっても、それを実際やるとして、すごい多分なんかデメリットがたくさんあるってのはちょっと考えると分かる、なんかその、そこを抑えると別のところも、普通に考えたらなんか影響出て悪いことになりそうだなみたいな。だから絶対それ治療にするには厳しいだろうなみたいな、なんかそういうのを読んでて分かるんですけど。でも結局、治療を受けるのは患者で、研究者としては「まあ、あるこういうことを見つけたからそれを、それは治療につながるかもしれない」って、なんかそういう意識で書いてるんですけど、やっぱそこ、ちょっと結構、乖離(かいり)があるというか、距離が、研究者と患者の間に距離があって、まあ、なんかそれは自分、もちろんそれは、まあ、もちろん重要なんですけど、自分がやるならやっぱりそういう結論、そういうようなふうになるような研究じゃなくて、ほんとにほんとになんか治療の研究するなら、ちゃんと使えるし、あと、いわゆるデメリットみたいなのまでちゃんと見据えて、ま、そういうのが無いものを見つけていきたいっていうふうにやっぱ思うんで、なんかその、そういう方向性を整えるのにはすごい、まあ、その患者で、実際に自分が患者であって、自分に例えば使われるかもしれないって思ったときに、なんかその、まあ、ちゃんと考える、なんか、ことができるのかなというふうには思います。
――その診断を受けられたときに、その診断結果でこう、この自分のこの先、研究者としてやっていくかどうかってことについての不安とかはお持ちになりましたか。
まあ、あの、進行性の病気ということもありまして、いつまでできるか分からないというのがありましたが、ま、取りあえずやれるとこまでやってみようということもありましたし、また当時その病気についてほとんど、特効薬というか、治療薬がなかったので、たまたま私はそういう薬を作るような研究に就いてましたので、それなら、まあ、自分で作ろうっていう、そういう目標も持ってやろうかなと思って研究しておりました。
学生の頃は、まあ、卒業したらそういう製薬会社とか、ま、化学会社に勤めて、研究をやりたいという考えはあったんですが、まあ、病気が進行するにつれて、ちょっとこれはもう研究やってるような状態じゃないなというふうに思いまして、えー、まあ、博士号取ってもうやめようと、そういうふうに思いました。
ま、2004年の3月に博士課程を修了しまして、その時点では、就職活動は少しはしていたんですが、残念ながら就職先が決まらず、で、その後、ま、障害者向けのそういう就職セミナーとかそういうの受けたのですが、ま、全然採用されることもなく、面接を受けることもなく、2年ぐらいかかったんですかね。で、そのときにたまたま新聞か何か区の広報か、何かで見た、IT技術者の、在宅で受けられるそういう、…ま、コンピューターの基礎を学んで、その後、就職につなげるという、そういう講座がありましたので、そこを受けまして。で、それを2年間ありまして、…その2年間の講習を受けた後に、今の職場を紹介されて、ええ、そこで仕事をするようになりました。
まあ、当時、そうですね。障害者向けのそういう就職セミナーというのがあったのですが、職種はもう取りあえず、何かできそうなものがあれば何でもいいやというところは、ま、いい加減だったのもあるんですが。面接受けてる人を見ると、車椅子の人と、目の不自由な白い杖持った人は誰もいなかったというのがありましたね。…ま、それで、ま、2年ぐらいそれで就職活動したんですが、ま、これは多分、何年やっても駄目だろうというところで、ちょっと諦めかけたときもありました。