インタビュー時年齢:25歳(2018年12月)
障害の内容:聴覚障害(ろう)
学校と専攻:大学・看護学(2011年度入学)、大学院(2015年度入学)
関東地方在住の女性。生まれつきのろうで、両親もろうの家に育った。中学2年生の時に看護師になりたいと思い、看護大学に進学した。大学では、ノートテイクや手話通訳のサポートを得ながら講義や演習、実習をこなし、看護師の国家資格を得た。その後大学院に進学し、ろうの利用者が集まる施設で看護職として働いたり、ろう団体から依頼されて講演活動などをしている。
プロフィール詳細
弥生(仮名・やよい)さんは、ろう者の両親のもと、ろう者として生まれ、手話で育った。家で名前を呼ぶときは、声ではなく、電気をパチパチさせたり、肩を叩いたりするなど、「ろう文化」と呼ばれる、視覚、触覚に依拠した生活様式の中で過ごしてきた。小中高は普通学校に通い、聞こえる人と一緒に教育を受けてきた。中学校2年生頃にろうの薬剤師の存在を知って、自分も看護師を目指すようになった。
大学受験では、支援してくれるといった学校のうち、入試面接で普通の高校生に聞くような内容を聞いてくれて印象がとても良く、障害学生のサポート経験がある私立大学へ入学することを決めた。
講義ではノートテイク(パソコンテイクを含む)を付けてもらったが、ノートテイクが間に合わない時は、他の学生にサポートしてもらった。個別に教員にも質問をしていたので、授業内容をカバーすることができた。また演習では、教員から、「どうしたい?」と聞いてもらって相談しながら学習を進めた。聴診器の使用に関しても、教員や業者の人と相談し自分に合った聴診器を選び、聴診の代わりになるような方法も相談した。教員に、「聴診だけでものを判断するわけではないから、視たり、触ったりしながら、総合的に判断する技術を磨いていけばいい」と言ってもらったことは、今でもよく覚えている。
実習では、聞こえないことで患者さんとのコミュニケーションが難しく、どうやったらきちんと患者さんの安全を守れるかなど、悩んだ時期もあった。でも悩んだからこそ、その後は細心の注意を払い、患者さんと気持ちを伝え合えるよう工夫できた。一番長い半年間の実習では、手話通訳の資格を持つ看護師の方についてもらった。精神科での実習でLGBTの患者さんを受け持った時に、自分はろうで聞こえないことは「普通」だけれど社会からするとマイノリティだということについて、その患者さんと通じ合えたのが印象深かった。
学校生活は、友人との関係を含めて本当に楽しかった。友人には自分の状況を説明し、理解してもらっていた。手話に興味を持ってくれる友人には手話を教えることがあり、ノートテイクを手伝ってもらうこともあった。また、大学生らしく恋愛話や美味しいものの話も楽しかった。
卒後は病院の看護師になりたくてインターンシップにも行ったが、雇用は難しいと言われることが多かった。毎日泣いて、これが現実だと知った。同級生が、看護部長になったら自分を採用すると言ってくれて、とても嬉しかったのを覚えている。その後は、ろう者に対する健康医療情報の在り方を学ぶために、大学院に進学した。院生の時には、ろう者に特化した老人ホームで看護師として働く機会を得て、世界が広がった。今は、ろうの団体から講演の仕事を受けたり、手話で健康情報を伝える仕事をしている。ろう者の世界で、看護師としてできる仕事がたくさんあると感じている。
自分は多くの人のおかげで学ぶことができた。大学からも「あなたのおかげで、今後多様な学生を受け入れる自信になった」と言ってもらい、嬉しかった。みんなが学ぶ権利がある。その権利を大事に、自分のニーズを説明しながら、勉強できる環境をうまくつくっていけたらいいと思う。
大学受験では、支援してくれるといった学校のうち、入試面接で普通の高校生に聞くような内容を聞いてくれて印象がとても良く、障害学生のサポート経験がある私立大学へ入学することを決めた。
講義ではノートテイク(パソコンテイクを含む)を付けてもらったが、ノートテイクが間に合わない時は、他の学生にサポートしてもらった。個別に教員にも質問をしていたので、授業内容をカバーすることができた。また演習では、教員から、「どうしたい?」と聞いてもらって相談しながら学習を進めた。聴診器の使用に関しても、教員や業者の人と相談し自分に合った聴診器を選び、聴診の代わりになるような方法も相談した。教員に、「聴診だけでものを判断するわけではないから、視たり、触ったりしながら、総合的に判断する技術を磨いていけばいい」と言ってもらったことは、今でもよく覚えている。
実習では、聞こえないことで患者さんとのコミュニケーションが難しく、どうやったらきちんと患者さんの安全を守れるかなど、悩んだ時期もあった。でも悩んだからこそ、その後は細心の注意を払い、患者さんと気持ちを伝え合えるよう工夫できた。一番長い半年間の実習では、手話通訳の資格を持つ看護師の方についてもらった。精神科での実習でLGBTの患者さんを受け持った時に、自分はろうで聞こえないことは「普通」だけれど社会からするとマイノリティだということについて、その患者さんと通じ合えたのが印象深かった。
学校生活は、友人との関係を含めて本当に楽しかった。友人には自分の状況を説明し、理解してもらっていた。手話に興味を持ってくれる友人には手話を教えることがあり、ノートテイクを手伝ってもらうこともあった。また、大学生らしく恋愛話や美味しいものの話も楽しかった。
卒後は病院の看護師になりたくてインターンシップにも行ったが、雇用は難しいと言われることが多かった。毎日泣いて、これが現実だと知った。同級生が、看護部長になったら自分を採用すると言ってくれて、とても嬉しかったのを覚えている。その後は、ろう者に対する健康医療情報の在り方を学ぶために、大学院に進学した。院生の時には、ろう者に特化した老人ホームで看護師として働く機会を得て、世界が広がった。今は、ろうの団体から講演の仕事を受けたり、手話で健康情報を伝える仕事をしている。ろう者の世界で、看護師としてできる仕事がたくさんあると感じている。
自分は多くの人のおかげで学ぶことができた。大学からも「あなたのおかげで、今後多様な学生を受け入れる自信になった」と言ってもらい、嬉しかった。みんなが学ぶ権利がある。その権利を大事に、自分のニーズを説明しながら、勉強できる環境をうまくつくっていけたらいいと思う。
インタビュー02
- 入試の際は、全部の大学に、自分はろう者だと伝えていた。試験では、試験官が話す内容を紙に書いてもらい、面接ではゆっくり話してもらった(手話)
- 「聴覚障害者が看護の免許なんか取るのは無理なんじゃない」と言われることもあり、初めて社会に壁を感じた。最終的には、普通の高校生として接してくれた大学を選んだ(手話)
- グループワークや演習・実習は入学前には想像することができなかった。入学後に演習担当の教員がどんな配慮が必要か聞いてくれたので、要望を伝えることができた(手話)
- 聴診器は本当に色々試して、音を大きくできるものを使うことにした。それでも聞こえないものもあったが、先生からは、聴診だけで判断するわけではないと言われた(手話)
- リハビリ中の患者さんを担当した時、患者さんが立ち上がろうとしたのを通訳に教えられて気づいたことがあった。自分は患者さんの安全を守れないとショックだった(手話)
- インターンをした病院で「手話通訳に依存していては仕事はできない」と言われた。通訳の費用の問題もあり、研究にも興味があったので大学院に進むことを決めた(手話)
- 教職員は大変だったと思うが、しっかり対話をしてもらった。卒業時には、聴覚障害の学生を受け入れたことが「私たちの自信になった」とも言われ、とても嬉しかった(手話)
- 小中高はそれほど楽しかった印象はないが、大学はとても楽しかった。入学式で自分が聞こえないことを伝えて、理解してもらうなど、とても良くしてもらった(手話)