インタビュー時年齢:21歳(2019年3月)
障害の内容:発達障害(LD:学習障害、ディスレクシア(書字障害)、ADHD:注意欠陥多動性障害)
学校と専攻:大学・医療工学(2016年度入学)
関西地方在住の男性。保育園の時にLD、小学校でディスレクシア、中学校でADHDと診断された。もともと「ものづくり」が好きだったが、大学入試に向けた資格取得をきっかけに、福祉に関心を持つようになった。現在は、大学に在籍しながら、当事者の視点であらゆる社会課題解決を目指し、様々なプロジェクトを行う個人事業主をしている。母親と弟の2人の4人暮らし。
プロフィール詳細
Ten(ニックネーム)さんは、保育園の時にLDと診断された。小学校3年生ごろにディスレクシアであること、その後、中学校でADHDであると診断された。小学校3年生で普通学校の中の特別支援学級に移ってから、クラスになじめずいじめを受けた。周りができることができないことで自分の中に大きな葛藤もあって、学校の窓から飛び降りて死のうとしたことがあった。親はそのことをきっかけに学校に働きかけてくれて、それ以降は、少しずつサポートを得るようになった。中高では、漢字検定の受験のために、週1回放課後に残って漢字を教えてくれる先生がいたことなど、自分の特性に合わせた勉強の仕方を工夫してもらった。
小学5年生の頃、読書をきっかけに薬の開発に関心を持つようになったが、理科の元素記号などは全く覚えられなかったので理数系は難しいと思っていた。その頃、レゴがとても得意だったので、「医療×ものづくり」で何かできないかと思っていた時に、医療工学技士の国家資格が取れる大学を塾の先生に教えてもらい、今の大学を目指した。大学入試に、指定資格一覧からどれかを取得してエントリーする「資格AO」という制度があり、高校の先生に勧められて「同行援護従事者」という視覚障害者向けガイドヘルパーの資格を取得して、入試を受けた。この「同行援助従事者」の資格を取る過程で、障害に関する講義を受け、初めて、自分の障害に向き合う機会を得た。講義を受けながら、自分自身も障害のことで、親や先生、作業療法士などから様々なサポートを受けてきたことを思い返し、今度は自分がサポートする側になりたいと思って、障害者福祉の世界に関心を持つようになった。
その後、まず実際に福祉領域で働いてみようと障害児が通う放課後デイサービスや、知的障害者の外出援助などを行った。だが障害を持つ人が、障害のために自己否定をしたり自分に蓋をするような場面に出くわし、自分がイメージしていた福祉の世界と違うと感じた。自分はもっと、障害があることを価値に変えて、障害があることで可能性を広げていけるような活動をしたいと思った。そんな時に「医療福祉エンターテインメント」というコンセプトで活動しているNPOを見つけ、自分もテクノロジーを使って、楽しみながら「福祉×ものづくり」で何かやりたいと思いながら大学へ入学した。
Tenさんは、ディスレクシアのため、脳から手へのアウトプットがうまくできないような感覚がある。手書きだと、文字の一字一字の形を思い出しながら書いているため、氏名や住所は書けるが、それ以外の文字を書くにはかなり時間がかかってしまう。それがパソコンを使うと、書きたい文章がどんどん出てくる感覚があり、人からは、「手書きの文章とパソコンで書いた文章、全然文章力違うな」と言われてきた。大学では、担当教員や障害のある学生向け窓口に相談し、授業中や試験でパソコンを使わせてもらっている。
1回生の時からゼミに所属して、2回生で、発達障害の子ども向けの字を書く学習教材の開発を行った。それがきっかけで、もっと「福祉×ものづくり」で何かをしようと、1年前に個人事業主になり、「可能性をクリエイトする」をコンセプトに、様々な社会課題の解決を目指す事業を始めた。これまで、障害のある人と一緒に「当事者トーク」と題したイベントを主催することや、障害のある子とない子が一緒にものづくりを行うワークショップの開催、引きこもりの子どもなど福祉制度の訪問サービスを使えない人たちに対する自費の訪問サービスを行ってきた。自分が行っている活動は、障害を持つ自分が提供されたいサービスで、「福祉っぽくない」と言ってもらえることが、自分は一番嬉しい。自分も、やはりどうしても障害のことで悩んだり可能性を狭めてしまったりすることがあるので、活動を続けている原動力は、「自分自身を何とかしたい」という思いだと感じている。
「障害」は、違いを認められない人が作り出しているもの。違いを認めて、その違いをどうしていくかを考え続けたい。大学卒業後は、障害者の支援活動は続けていきたいが、どうやって続けていくか、大学院に進学するか、就職するかなど、いま非常に迷っている。
家族とはあまり活動や障害のことは話さないが、高校の時に、友人に初めて自分の障害のことを話したとき、「なんでもっと早く言ってくれなかったんだ」と言われたことがある。大学に入ってからも、バイト先で自分の障害のことを伝えたら、すぐに受け入れてもらえて心底ほっとした。障害を持つ子ども達に対しては、自分をちゃんと理解してくれる友達を見つけて、障害のことも理解してもらえる関係性を作ることが重要だと伝えたい。
小学5年生の頃、読書をきっかけに薬の開発に関心を持つようになったが、理科の元素記号などは全く覚えられなかったので理数系は難しいと思っていた。その頃、レゴがとても得意だったので、「医療×ものづくり」で何かできないかと思っていた時に、医療工学技士の国家資格が取れる大学を塾の先生に教えてもらい、今の大学を目指した。大学入試に、指定資格一覧からどれかを取得してエントリーする「資格AO」という制度があり、高校の先生に勧められて「同行援護従事者」という視覚障害者向けガイドヘルパーの資格を取得して、入試を受けた。この「同行援助従事者」の資格を取る過程で、障害に関する講義を受け、初めて、自分の障害に向き合う機会を得た。講義を受けながら、自分自身も障害のことで、親や先生、作業療法士などから様々なサポートを受けてきたことを思い返し、今度は自分がサポートする側になりたいと思って、障害者福祉の世界に関心を持つようになった。
その後、まず実際に福祉領域で働いてみようと障害児が通う放課後デイサービスや、知的障害者の外出援助などを行った。だが障害を持つ人が、障害のために自己否定をしたり自分に蓋をするような場面に出くわし、自分がイメージしていた福祉の世界と違うと感じた。自分はもっと、障害があることを価値に変えて、障害があることで可能性を広げていけるような活動をしたいと思った。そんな時に「医療福祉エンターテインメント」というコンセプトで活動しているNPOを見つけ、自分もテクノロジーを使って、楽しみながら「福祉×ものづくり」で何かやりたいと思いながら大学へ入学した。
Tenさんは、ディスレクシアのため、脳から手へのアウトプットがうまくできないような感覚がある。手書きだと、文字の一字一字の形を思い出しながら書いているため、氏名や住所は書けるが、それ以外の文字を書くにはかなり時間がかかってしまう。それがパソコンを使うと、書きたい文章がどんどん出てくる感覚があり、人からは、「手書きの文章とパソコンで書いた文章、全然文章力違うな」と言われてきた。大学では、担当教員や障害のある学生向け窓口に相談し、授業中や試験でパソコンを使わせてもらっている。
1回生の時からゼミに所属して、2回生で、発達障害の子ども向けの字を書く学習教材の開発を行った。それがきっかけで、もっと「福祉×ものづくり」で何かをしようと、1年前に個人事業主になり、「可能性をクリエイトする」をコンセプトに、様々な社会課題の解決を目指す事業を始めた。これまで、障害のある人と一緒に「当事者トーク」と題したイベントを主催することや、障害のある子とない子が一緒にものづくりを行うワークショップの開催、引きこもりの子どもなど福祉制度の訪問サービスを使えない人たちに対する自費の訪問サービスを行ってきた。自分が行っている活動は、障害を持つ自分が提供されたいサービスで、「福祉っぽくない」と言ってもらえることが、自分は一番嬉しい。自分も、やはりどうしても障害のことで悩んだり可能性を狭めてしまったりすることがあるので、活動を続けている原動力は、「自分自身を何とかしたい」という思いだと感じている。
「障害」は、違いを認められない人が作り出しているもの。違いを認めて、その違いをどうしていくかを考え続けたい。大学卒業後は、障害者の支援活動は続けていきたいが、どうやって続けていくか、大学院に進学するか、就職するかなど、いま非常に迷っている。
家族とはあまり活動や障害のことは話さないが、高校の時に、友人に初めて自分の障害のことを話したとき、「なんでもっと早く言ってくれなかったんだ」と言われたことがある。大学に入ってからも、バイト先で自分の障害のことを伝えたら、すぐに受け入れてもらえて心底ほっとした。障害を持つ子ども達に対しては、自分をちゃんと理解してくれる友達を見つけて、障害のことも理解してもらえる関係性を作ることが重要だと伝えたい。
インタビュー11
- AO入試では、「資格AO」のために福祉資格を取得し、「論文AO」のために論文の準備をした。ディスレクシア(書字障害)があり、論文の手書きが大変だった(音声のみ)
- 大学では白紙のA4用紙1枚にレポートを書くという試験があったが、テスト時間内では手書きでその分量の文章は書けないので、パソコンを使わせてもらっていた(音声のみ)
- 専門科目の試験については、同じように自分が困っていることを伝えても、先生によってサポートを受け入れてくれる人もいれば、そうでない人もいた(音声のみ)
- 同行援護従事者の資格を取った時、せっかくならそれを活かそうと思い、そこから福祉系のアルバイトを始め、徐々にもっと深めたいと思って個人事業を始めた(音声のみ)(次に続く)
- 自分で個人事業を立ち上げ、障害や病気を持つ人と一緒に企画する講演会や、障害のある子とない子が一緒に行うモノづくりなどの活動を行っている(音声のみ)