
インタビュー時年齢:25歳(2019年7月)
障害の内容:肢体不自由(脳性麻痺)
学校と専攻:大学・教育(2014年度入学)
関西地方出身の男性。脳性麻痺による肢体不自由で、手動車椅子を使用している。小中高までは普通学校で過ごし、大学は特別支援教育を学べる大学に進学した。山の上にあった大学はバリアも多かったが、約2か月の教育実習も行い、充実した学生生活を送った。自分が当事者として感じてきたことをもっと深めたいと思い、現在は関東地方の大学院で肢体不自由者について学んでいる。
プロフィール詳細
大樹(だいき・仮名)さんは、関西地方出身。脳性麻痺による肢体不自由。現在は、家の中では手動車椅子、外では前輪部分にモーターをつけて電動として使っている。両親と弟の4人家族で育った。親の意向と、生まれ育った地域がインクルーシブ教育の盛んな土地柄ということもあり、小学校からは普通学校に通った。高校はエレベーターがある学校という理由で進学先を選んだので、大学は自分のやりたいことをやろうと思い、特別支援教育が学べる大学を選んだ。オープンキャンパスで大学を見に行ったとき、山の上にあり、「坂がすごい」と思ったが、その大学は国立で、もう「合理的配慮の時代」なので大丈夫だろうと思ってそのまま受験し合格した。
入学前に障害学生支援コーディネーターと相談し、毎日の通学が難しそうだと思って、宿舎で寮生活をすることにした。宿舎生活を開始するにあたっては多目的トイレを増設してもらい、ドラム式洗濯機も新たに設置してもらって、入学と同時に宿舎に入った。初めての一人暮らしは「パラダイス」で、最初は自分でヘルパーの手配をしなくてはいけないなどはあったが、自分で何でも決められる自由な暮らしは非常にいい経験だった。大学時代は週に2回ほどヘルパーを入れて、入浴介助や掃除等をやってもらっていた。日常的な授業では、実技をレポートに振り替えてもらうような調整があった。
大樹さんは、小学校と特別支援学校の教員免許を取得するために、合計で約2か月間の教育実習が必要だった。通常教育実習は、受け入れ可能な地域の学校で行った。それまでの学内での配慮申請は、学内のスタッフと対話を続けていくなかで調整をしていたが、実習先では、「このような形ならできる」など、ただ困っていることを伝えるだけでなく、より相手に分かりやすく具体的に表現する必要性を感じた。実習は、自分が誰と協働してどのように働くかを実際に考えられる非常に良い経験だった。始まる前は不安も強く、何が不安かも分からない状態だったが、様々なサポートがあってなんとか終えることができたし、かけがえのない経験となった。
大樹さんの幼い頃の疑問の一つに、支援を要請する時の「しづらさ」があった。その「しづらさ」という現象を明らかにして、障害を持つ人の支援につなげたいと思い、また他にも、幼い頃から障害を当事者として感じてきた様々な思いをより深く考えたいと思って、大学3年生くらいから大学院への進学を考えていた。具体的な進学先に関しては、肢体不自由者について研究する研究者がいる関東地方の大学院を選択した。学部時代に寮生活をして実家から離れる自信がついたことも、進学先を選択した理由になった。現在修士課程2年に在籍し、研究を続けている。
大樹さんは中学校から大学まで陸上競技をやっており、そこでは中途障害の当事者の先輩たちと、多く交流を持っていた。そこで会った人たちはとても素敵な人たちで、何か人に依頼するときに関西風に笑いを取りながら依頼するなど、その人たちからは本当に色々なことを教わった。自分が一番年下だったこともあって可愛がってもらったように思う。もともと人が好きで、またすぐにどこかへ行きたくなるタイプでもあり、大学の時は友人と特急を使って夕飯を食べに行く「弾丸ツアー」をよくやっていた。またサークルも、病院で病児と遊ぶサークルや、手話サークルに入って活動しており、楽しかった思い出がある。
将来について、今はまだ迷っているが、できれば教員として働きたいし、働けるような環境を作りたいと思っている。
入学前に障害学生支援コーディネーターと相談し、毎日の通学が難しそうだと思って、宿舎で寮生活をすることにした。宿舎生活を開始するにあたっては多目的トイレを増設してもらい、ドラム式洗濯機も新たに設置してもらって、入学と同時に宿舎に入った。初めての一人暮らしは「パラダイス」で、最初は自分でヘルパーの手配をしなくてはいけないなどはあったが、自分で何でも決められる自由な暮らしは非常にいい経験だった。大学時代は週に2回ほどヘルパーを入れて、入浴介助や掃除等をやってもらっていた。日常的な授業では、実技をレポートに振り替えてもらうような調整があった。
大樹さんは、小学校と特別支援学校の教員免許を取得するために、合計で約2か月間の教育実習が必要だった。通常教育実習は、受け入れ可能な地域の学校で行った。それまでの学内での配慮申請は、学内のスタッフと対話を続けていくなかで調整をしていたが、実習先では、「このような形ならできる」など、ただ困っていることを伝えるだけでなく、より相手に分かりやすく具体的に表現する必要性を感じた。実習は、自分が誰と協働してどのように働くかを実際に考えられる非常に良い経験だった。始まる前は不安も強く、何が不安かも分からない状態だったが、様々なサポートがあってなんとか終えることができたし、かけがえのない経験となった。
大樹さんの幼い頃の疑問の一つに、支援を要請する時の「しづらさ」があった。その「しづらさ」という現象を明らかにして、障害を持つ人の支援につなげたいと思い、また他にも、幼い頃から障害を当事者として感じてきた様々な思いをより深く考えたいと思って、大学3年生くらいから大学院への進学を考えていた。具体的な進学先に関しては、肢体不自由者について研究する研究者がいる関東地方の大学院を選択した。学部時代に寮生活をして実家から離れる自信がついたことも、進学先を選択した理由になった。現在修士課程2年に在籍し、研究を続けている。
大樹さんは中学校から大学まで陸上競技をやっており、そこでは中途障害の当事者の先輩たちと、多く交流を持っていた。そこで会った人たちはとても素敵な人たちで、何か人に依頼するときに関西風に笑いを取りながら依頼するなど、その人たちからは本当に色々なことを教わった。自分が一番年下だったこともあって可愛がってもらったように思う。もともと人が好きで、またすぐにどこかへ行きたくなるタイプでもあり、大学の時は友人と特急を使って夕飯を食べに行く「弾丸ツアー」をよくやっていた。またサークルも、病院で病児と遊ぶサークルや、手話サークルに入って活動しており、楽しかった思い出がある。
将来について、今はまだ迷っているが、できれば教員として働きたいし、働けるような環境を作りたいと思っている。
インタビュー25体験談一覧
- 肢体不自由のために、別室受験と時間延長などの配慮を受けた。拡大されたマークシート用紙が扱いにくく、2年目はクリップを持ち込んだ
- オープンキャンパスの時、大学に行くまでが、すごい山だなと思ったが、合理的配慮の時代に入っていたので、何とかなるだろうと思っていた
- 学内では必要な配慮内容を伝えればいいが、実習場面だとなかなか伝わらない。困ることだけでなく、「ここならこういうふうにできます」という申し出も必要だと感じる
- 入学当初は自分が困っていることしか言わず、配慮が受けられないと「どうしてできないのか」と憤っていたが、徐々に大学側と妥協点を探っていくことが必要だと気づいた
- 科目試験に関しては、90分で800字を超えると手では書けないので、レポートに替えるなど別の方法にしてもらっていた。その文字数は、センター試験を参考にしていた
- 教育実習が1年生の頃からあったので、早くからとことん話して対応してもらった。服装の変更や、福祉タクシーで実習先の学校まで行くことなどを配慮申請した
- 実習では大変なこともいっぱいあったが、誰と協働してどう働いていくかというイメージを積み上げられた1か月だったので、本当に行って良かったと思った
- 中学の時に始めた車椅子の50メートル走とスラロームを大学まで続けてやっていて、その中でたくさんのことを教わった
- これから大学に入る人は、できるかできないかより、やりたいかを先に考えてほしい。子どもたちにも、まず何がやりたいかということを、大事にしてほしいと思っている
- 週に2回、1回2時間、総合支援法のもとで宿舎にヘルパーに来てもらい、入浴介助と洗濯と掃除をしてもらった。食事は大学の食堂があり困ることはなかった