インタビュー時年齢:28歳(2019年9月)
障害の内容:精神障害(反復性うつ病)、発達障害(自閉症スペクトラム障害)
学校と専攻:大学・法学部(2010年度入学)
関東地方在住の女性。高校の時から、秋冬になると気分が落ち込む症状があった。大学入学後は秋になると大学に行けなくなり、2年生でカウンセリングを受け始めた。3年秋冬の就職活動がうまくいかず、その後大学院在学中に、春夏と秋冬で気分に波が出る「反復性うつ病」と、発達障害の「自閉症スペクトラム障害」と診断された。現在は社会人1年目で、一般企業の障害者雇用枠で働いている。
プロフィール詳細
綾子(あやこ・仮名)さんは、中部地方出身。両親と兄2人、妹の6人家族で育った。高校2年生頃から、春夏は大丈夫だが秋冬に気分が落ち込み、身の回りのことができなくなることがあったがなんとか暮らせていた。大学は、一人暮らしをしたくて関東で進学先を探した。専攻については、“国同士のいさかい”を解決する方法や法律に関心があったので法学部を選び、高校卒業後に予備校1年を経て、大学に入学した。浪人の時はちゃんと予備校にも通えており、秋冬になると落ち込む症状はもう大丈夫だと思って、大学生活の始まりはとても楽しみだった。
だが大学入学と同時に入った英語のディベート部が忙しく、初めての一人暮らしや授業も大変で、全てのことに完璧に取り組みがちな綾子さんは、気づいたら目いっぱいな日々になっていた。それでも春夏は大学に行けたが、秋頃から朝起きるのが辛くなり、徐々にやる気を持てなくなって通学できなくなった。
2年生には自動的に進級できて春はまた大学に行けるようになり、そのタイミングでサークルを辞めて、生活と勉強に集中したのでそれなりに単位は取得できたが、また秋には大学を休みがちになった。3年春にはまた元気になり、ゼミも始まって積極的に学んでいた。またこの頃から友人の勧めもあり、週に1度学生相談室のカウンセリングに通い始めた。カウンセリングで話すことは、悩みが整理され、すっきりするような思いを持てていた。しかし3年後期の就職活動では、冬ということもあり、エントリーした会社の面接に行けずうまくいかなかった。
3年から4年に上がる頃、綾子さんは、薬で症状が改善するかもしれないと思い、医療機関にかかって内服を始めた。その頃、卒論で取り組んだ国際連合に関するテーマが面白くて将来研究者になりたいと思うようになり、4年生の春夏学期は進路を考えるために休学をし、その間に大学院に進学しようと決めた。5年目で大学院の入試を受け不合格だったが、やはり大学院を諦めきれなかったので、勉強をし直して翌年合格し、そのまま大学院に進学した。
大学院進学後、一時期不安が強くなってしまい1年ほど引きこもる生活をした。大学院2年目に就職を考えた時、カウンセラーの勧めもあって障害者雇用での就職を検討し始めた。大学院3年目に医療機関で診断書を書いてもらい、この時初めて、秋冬にやる気がなくなってしまう「反復性うつ病」と、発達障害の「自閉症スペクトラム障害」と診断された。診断がついて、春夏と秋冬に波があることや、こだわりが強くコミュニケーションが苦手といった今までの生きづらさに説明がつき、納得した思いだった。
今年4月から、通院や服薬を続けながら、一般企業の障害者雇用枠で働き始めた。バリバリ働く友人を見ると自分はこれで良かったのかと思うこともあるが、職場では自分の得手不得手を伝えてしっかり配慮してもらえて、とても働きやすいので、障害者枠で就職した選択は良かったと思っている。これからの秋冬は少し心配だが、今は平日に定時で働いて、土日は映画館や美術館に行くようなリズムも持てている。
綾子さんは、診断が出た段階で両親に自分の障害のことを伝えた。最初父親は納得していなかったが、診断後に大学の保健センターの医師から両親にも説明があって、また実際綾子さんが働き始めてから帰省して父親と話すと、綾子さんの現在の様子には安心しているように思う。
また綾子さんは、大学在籍6年目の春から、大学主催で始まった学内の発達障害の人のためのグループワークに定期的に参加してきた。参加当時は明確な診断もなかったが、同じような悩みを持つ人の集まりでは自分のことを話しやすく、自分自身に対する気付きや具体的なアドバイスも多く得られた。このグループワークでの経験は、就職活動中や社会人になってからもとても役に立っており、学生時代の良かった思い出のひとつ。そこでのつながりは、現在も続いていて心強い。将来は、自分の経験を役に立てて、障害や病気を持つ人の就労を支援するような仕事ができたらと思っている。
だが大学入学と同時に入った英語のディベート部が忙しく、初めての一人暮らしや授業も大変で、全てのことに完璧に取り組みがちな綾子さんは、気づいたら目いっぱいな日々になっていた。それでも春夏は大学に行けたが、秋頃から朝起きるのが辛くなり、徐々にやる気を持てなくなって通学できなくなった。
2年生には自動的に進級できて春はまた大学に行けるようになり、そのタイミングでサークルを辞めて、生活と勉強に集中したのでそれなりに単位は取得できたが、また秋には大学を休みがちになった。3年春にはまた元気になり、ゼミも始まって積極的に学んでいた。またこの頃から友人の勧めもあり、週に1度学生相談室のカウンセリングに通い始めた。カウンセリングで話すことは、悩みが整理され、すっきりするような思いを持てていた。しかし3年後期の就職活動では、冬ということもあり、エントリーした会社の面接に行けずうまくいかなかった。
3年から4年に上がる頃、綾子さんは、薬で症状が改善するかもしれないと思い、医療機関にかかって内服を始めた。その頃、卒論で取り組んだ国際連合に関するテーマが面白くて将来研究者になりたいと思うようになり、4年生の春夏学期は進路を考えるために休学をし、その間に大学院に進学しようと決めた。5年目で大学院の入試を受け不合格だったが、やはり大学院を諦めきれなかったので、勉強をし直して翌年合格し、そのまま大学院に進学した。
大学院進学後、一時期不安が強くなってしまい1年ほど引きこもる生活をした。大学院2年目に就職を考えた時、カウンセラーの勧めもあって障害者雇用での就職を検討し始めた。大学院3年目に医療機関で診断書を書いてもらい、この時初めて、秋冬にやる気がなくなってしまう「反復性うつ病」と、発達障害の「自閉症スペクトラム障害」と診断された。診断がついて、春夏と秋冬に波があることや、こだわりが強くコミュニケーションが苦手といった今までの生きづらさに説明がつき、納得した思いだった。
今年4月から、通院や服薬を続けながら、一般企業の障害者雇用枠で働き始めた。バリバリ働く友人を見ると自分はこれで良かったのかと思うこともあるが、職場では自分の得手不得手を伝えてしっかり配慮してもらえて、とても働きやすいので、障害者枠で就職した選択は良かったと思っている。これからの秋冬は少し心配だが、今は平日に定時で働いて、土日は映画館や美術館に行くようなリズムも持てている。
綾子さんは、診断が出た段階で両親に自分の障害のことを伝えた。最初父親は納得していなかったが、診断後に大学の保健センターの医師から両親にも説明があって、また実際綾子さんが働き始めてから帰省して父親と話すと、綾子さんの現在の様子には安心しているように思う。
また綾子さんは、大学在籍6年目の春から、大学主催で始まった学内の発達障害の人のためのグループワークに定期的に参加してきた。参加当時は明確な診断もなかったが、同じような悩みを持つ人の集まりでは自分のことを話しやすく、自分自身に対する気付きや具体的なアドバイスも多く得られた。このグループワークでの経験は、就職活動中や社会人になってからもとても役に立っており、学生時代の良かった思い出のひとつ。そこでのつながりは、現在も続いていて心強い。将来は、自分の経験を役に立てて、障害や病気を持つ人の就労を支援するような仕事ができたらと思っている。
インタビュー32
- 障害者雇用を専門に扱っているエージェントや大学のキャリア支援室等で面接の練習をして、15社くらいにエントリーして、内定をもらえた1社に就職した(音声のみ)
- 就活の際に自分でノートを作って、カウンセリングにかかった時期やうまく行ったこと、行かなかったこと等を整理したことが、会社で配慮をお願いするのに役立った(音声のみ)
- 障害者雇用を勧められ、主治医に診断書を書いてもらい手帳を取得した。診断にも納得し、職場も配慮があり働きやすいが、バリバリ働く同級生との違いを感じたこともあった(音声のみ)
- 学生相談室などに相談できるといい。相談することで、他の資源につながることもあるし、相談することは、自分の障害について理解し、得意不得意を知ることになる(音声のみ)
- 大学のグループワークに参加するまで、自閉症スペクトラム障害について全く知識がなかった。もっと発達障害や精神障害について学べる機会があるといい(音声のみ)
- 学生相談室のほかに、保健センターやキャリア支援室など様々な相談窓口があったが、相互にあまり連携が取れていなかった。お互いが連携を取れるといいと思う(音声のみ)
- 自分は障害者雇用で就活をしたが、大学には障害者雇用に関する知識を持った人が少なく、キャリア支援室も、障害者雇用については知らないことが多いと感じた(音声のみ)
- 初めて一人暮らしをしたときは授業の力配分も分からず、部活や家事などもあって苦労したが、2年生になると手の抜き方もわかってきて生活面は楽になった(音声のみ)
- 当時は自分が発達障害だという意識はなかったが、似たような悩みを持つ人とのグループワークでは自分の悩みも話しやすく、具体的なことを学べたのも良かった(音声のみ)
- 最初に学生相談のカウンセリングに通い始めた時は、男性カウンセラーで話しづらいこともあり、行けなくなった。次の時には、女性のカウンセラーをお願いした(音声のみ)
- 父親は診断名を聞いても「だらけているだけ」と思っていたようだが、その後、大学の保健センターの人から話を聞いて考えが変わり、障害者雇用も理解してくれた(音声のみ)
- 大学を休みがちになっても、実家にいる親にはそのことを言わなかった。心配をかけたくない思いもあり、また出来ない自分を見せたくなかったようにも思う(音声のみ)