インタビュー時年齢:21歳(2021年1月)
障害の内容:吃音
学校と専攻:大学・看護学部(2018年度入学)
関東地方在住の男性。小学校低学年の時に気づいたら「きこえとことばの教室」へ通っており、自分に吃音の症状があることを自覚していった。言葉が出にくいことで、同級生や、時には先生に笑われるという経験を繰り返したが、吃音は治らないと思って考え方を変えた。また、カナダの高校に1年間留学したことが大きな自信になった。ハンディキャップがある人に関心があり、高校時代に高齢者施設でボランティアをしたことがきっかけで、医療や福祉に関心を持ち、看護学部に進学して学んでいる。
プロフィール詳細
孝(たかし・仮名)さんは、両親から特に説明されたことはなかったが、小学校低学年の時に、気づいたら難聴や言語障害のある子どもが通う「きこえとことばの教室」に通っており、徐々に自分に、話し始めようとする最初の言葉が出にくく、同じ音を繰り返す吃音の症状があることを自覚していった。小学校から高校までずっと、流暢に話せないことで同級生に笑われることがよくあり、時には、吃音のことを知らない学校の先生も自分の話し方を笑うことがあった。それはとにかく嫌だったが、周囲が大人になっていくにつれて、そういった“からかい”は少なくなった。また大きな転機になったのは、高校でかねてより関心があった海外留学をして1年間カナダの高校に通ったことだった。そこでは日常的に様々な障害のある人と接する機会があり、自分が吃音でもそれを理由に笑われたり特別扱いされたりすることはなかった。また、吃音の人によく言われることだが、自分も日本語に比べて英語のほうが吃音が出にくいことも感じて、とても楽しい日常生活を送ることができた経験は、大きな自信になった。さらに、小学校の時から通っている吃音の自助会は、「ここではいくらどもってもいい」という安全な場所だった。吃音の先輩からは、例えば受験の面接の時にどうするといった話を聞くことができ、自分が吃音と付き合う上で大きな力になったと感じている。
自分にハンディキャップがあることで、他のハンディキャップを持っている人に関心があり、高校時代に高齢者施設のボランティアをしたことがきっかけで医療や福祉に関心を持ち、大学は看護学部へ進学した。特に配慮などは受けていないが、人間関係ができていないうちは緊張して話しづらかったり、グループワークが多く、かつ、同級生に男性が少ないので発表役が回ってくると流暢に話せなくて大変だと思ったりすることはあった。だが徐々に、自然と親しい友人に実は吃音だと伝えることもあり、また話してもそれによって何か変わるわけではなく、自然に受け入れてもらっているように思う。
看護の実習では、忙しい現場の看護師に実習内容を報告する際、緊張して言葉が出なかったり、低学年の頃はまだ自分に自信がなく余計に緊張して言葉が出にくくなってしまい困ったりするという経験をした。またオンライン実習では、相手の反応が分からないまま話すことで不安になり、言葉が出にくいということもある。だが一生懸命伝えようとすることで、相手は伝えたいことがあると察してくれるようなこともだんだん分かってきたため、言葉が出にくくても伝える努力や、なるべく緊張しないようにあらかじめ伝えたいことを紙に書くといった努力を続けてきている。
学生生活では、複数の大学メンバーが所属するインカレの音楽系サークルを楽しみ、サービス付き高齢者向け住宅で食事配膳のバイトもしている。バイトは当初、別の接客業に応募した際、吃音があることを伝えると難色を示され、それが理由であるかは分からないが、不採用であったときは悔しかったが、仕方ないかなという思いもあった。今続けている高齢者住宅でのアルバイトでは、様々な障害のある高齢者と接しているが、高齢者は自分の吃音も全く気にしないし、自分が自然に相手に合わせて話をしたり動けるようになっていることなどを感じる。アルバイトを通じて様々なことを学んでおり、とても楽しんでいる。
吃音は、見えない障害で理解されにくいし、認知度も低いが、何か特別なことをしてほしいというわけではなく、ただ言葉を発するのに時間がかかるので、待っていてほしいと思っている。自助会を通じて、吃音が自分だけではないと思ったことや、留学で自信を得た高校生の時くらいから、吃音を治すことを諦め、「付き合っていくもの」だと少し考え方を変えられた。たとえ多くの人に笑われていたとしても、少数であっても自分をありのまま受けいれてくれる友達などに救われてきた。今も全ての人に理解してもらうことは難しいが、自分が少しずつでも周囲の人に伝えていくことで、徐々に吃音のことを理解していく人が増えたらいいと感じている。
自分にハンディキャップがあることで、他のハンディキャップを持っている人に関心があり、高校時代に高齢者施設のボランティアをしたことがきっかけで医療や福祉に関心を持ち、大学は看護学部へ進学した。特に配慮などは受けていないが、人間関係ができていないうちは緊張して話しづらかったり、グループワークが多く、かつ、同級生に男性が少ないので発表役が回ってくると流暢に話せなくて大変だと思ったりすることはあった。だが徐々に、自然と親しい友人に実は吃音だと伝えることもあり、また話してもそれによって何か変わるわけではなく、自然に受け入れてもらっているように思う。
看護の実習では、忙しい現場の看護師に実習内容を報告する際、緊張して言葉が出なかったり、低学年の頃はまだ自分に自信がなく余計に緊張して言葉が出にくくなってしまい困ったりするという経験をした。またオンライン実習では、相手の反応が分からないまま話すことで不安になり、言葉が出にくいということもある。だが一生懸命伝えようとすることで、相手は伝えたいことがあると察してくれるようなこともだんだん分かってきたため、言葉が出にくくても伝える努力や、なるべく緊張しないようにあらかじめ伝えたいことを紙に書くといった努力を続けてきている。
学生生活では、複数の大学メンバーが所属するインカレの音楽系サークルを楽しみ、サービス付き高齢者向け住宅で食事配膳のバイトもしている。バイトは当初、別の接客業に応募した際、吃音があることを伝えると難色を示され、それが理由であるかは分からないが、不採用であったときは悔しかったが、仕方ないかなという思いもあった。今続けている高齢者住宅でのアルバイトでは、様々な障害のある高齢者と接しているが、高齢者は自分の吃音も全く気にしないし、自分が自然に相手に合わせて話をしたり動けるようになっていることなどを感じる。アルバイトを通じて様々なことを学んでおり、とても楽しんでいる。
吃音は、見えない障害で理解されにくいし、認知度も低いが、何か特別なことをしてほしいというわけではなく、ただ言葉を発するのに時間がかかるので、待っていてほしいと思っている。自助会を通じて、吃音が自分だけではないと思ったことや、留学で自信を得た高校生の時くらいから、吃音を治すことを諦め、「付き合っていくもの」だと少し考え方を変えられた。たとえ多くの人に笑われていたとしても、少数であっても自分をありのまま受けいれてくれる友達などに救われてきた。今も全ての人に理解してもらうことは難しいが、自分が少しずつでも周囲の人に伝えていくことで、徐々に吃音のことを理解していく人が増えたらいいと感じている。
インタビュー35
- 小学校から通う自助会でスタッフをしている。話し方を笑われ一番辛い時期の小学生には心のケアをしていきたい。また、中高生にも、発達段階や状況に応じたかかわりをしている(NEW)
- 吃音の人は話すのに時間がかかるが、何もする必要はなく、ただ普通の人よりも多くの時間があればいいということを周囲が知ると、社会が良くなるように感じている(NEW)
- 入学してから徐々に周囲と関係性ができてくると、自分のことを話すようになった。吃音は特別なことをして欲しいわけでなく、何も言わずに時間をくれればいいと伝えている(NEW)
- 高齢者住宅でのアルバイトでは、自分が少しどもったくらいでとやかく言う人はいない。アルバイトを通じて様々な人がいることを知り、当たり前の気遣いを学んでいる(NEW)
- 接客業のバイトの面接で吃音のことを伝えると険しい顔をされて不採用のことが何度かあった。悔しい思いもあるが、自分と相性のいいところを頑張って探すようにした(NEW)
- 合唱とバンドとミュージカルができるインカレのサークルに入っているが、歌っている時は全くどもらず、楽器の演奏は話さないということもあり、とても活動を楽しんでいる(NEW)
- 不思議と日本語より英語のほうがしっかり話せる感覚があった。また同じ授業や学校の中にも障害のある人が普通に溶け込んでいて、自分の吃音も気にされることがなかった(NEW)
- オンライン実習での発表では先生やクラスメイトが見てくるので緊張してしまう。また自分が話すときの反応が分からない時も緊張して話せないこともあり、大変だと思っている(NEW)
- グループワークで発表が回ってくるとすごく困ることはあった。緊張すると余計に話せなくなるので、時間がある時は原稿を先に書いて読むだけにするなど対処していた(NEW)
- 面接は吃音の症状でどうしても詰まってしまうので、高校の先生に何回も練習してもらった。とても大変だった思いがあるが、その分、他の試験科目でカバーしようとも思っていた(NEW)