インタビュー時年齢:38歳(2020年1月)
障害の内容:多発性硬化症による肢体不自由(下肢障害)・電動車椅子を使用
学校と専攻:大学・理学部(2000年度入学)、大学院・理学系研究科(2004年度入学)、障害を負ったのは社会人になってから。
関東地方在住の男性。博士号取得後都内の大学で働いていた頃から異常を感じていたものの診断はつかず、米国で研究生活を送っていたときに歩行が困難になり、2015年に多発性硬化症の診断を受けた。一度は研究職を諦めかけたが、帰国後元の職場の上司に声をかけられて2016年に復職した。当初車椅子に抵抗感があって杖を使っていたが、翌年から車椅子を利用するようになり、現在は本業である虫の研究の傍ら実験室のバリアフリー化の研究を進めている。
プロフィール詳細
丈志(仮名・たけし)さんは、虫の神経行動学の研究者である。大学院を卒業するまでは大きな健康上の問題を経験することなく研究活動に没頭していたが、就職して2年目の終わり頃、帰省中に突然脳炎のような症状に襲われ、入院を余儀なくされた。都内の病院に転院して検査を受けたものの、その時点では原因は特定されなかった。2013年からアメリカで研究生活を送る機会に恵まれたが、次第に歩行が困難になり、2015年に一時帰国して入院検査の末、多発性硬化症の診断を受けた。
当時は車椅子に乗って研究を続けるということは全く思いもよらず、アメリカの研究所を引き払った後は別の仕事を探すしかないと思って就職活動もしていたが、元の職場の上司が声を掛けてくれて、さらに同じ職場に車椅子の研究者がいることも知って、復職を決意した。復職時に産業医と面接してフルタイム勤務は可能といった話はしたが、介助者をつけるかどうかといった合理的配慮については大学側と話し合うことは思いもよらなかった。しばらくは車椅子に乗ることには抵抗があり、2本杖で仕事をしていたが、両手がふさがっているので物を持つことができず、実験室では非常に苦労した。
復職した翌年から車椅子を使うようになったが、数人で利用していた実験室はテーブルや機材が車椅子が通れるような配置になっていなかった。配置の変更を要望したこともあったがなかなか対応してもらえず、自分もゴミ捨てや掃除などを分担することができないことから、心理的に強くは言えなかった。その後意を決して、実験のために新たなスペースが欲しいと申し出たところ認められ、さらに2018年には研究所の事業として、科学研究のバリアフリーを進めるプロジェクトが立ち上がったことから、今は自分が使える実験室の開発に取り組んでいる。具体的には車椅子でも操作できるように実験装置の高さを変えられるようにしたり、車椅子の後ろについて荷物を運んでくれるロボットを開発したり、いずれ他大学でもアクセシブルな実験室を作るときの「モデルルーム」になったらいいと思い、いろいろ試行錯誤をしている。
自分はもともと人見知りなところがあったが、車椅子に乗るようになって、それが大きく変わったと感じている。そもそも普通の車椅子には乗りたくなかったので、ネットで海外の情報を集めてセグウェイを改造した車椅子があることを知り、これなら「乗ってて楽しい」と思えるのではないかと思い、購入した。2本杖で歩いていたときには子どもに「お化けだ」と言われてショックを受けたことがあったが、この車椅子になってからは「カッコいい」と子どもに大人気で、町の中でも知らない人と自然に挨拶を交わすことができるようになった。障害を持って一度は研究者としての人生を完全に諦めたが、今は障害者になったからこそ、いろんな可能性に挑戦できるようになったと感じている。
今思っているのは、インクルーシブな教育環境の価値を世の中に伝えたいということ。この職場に来て初めて障害を持つ人の支援を研究してご飯を食べている人がいることを知った。あるシンポジウムでアメリカの全盲の科学者が「障害を持つことが科学関係のキャリアを諦めることになってはならない」と話しているのを聞き、以前の自分にはそういう考え方はなかったので、国内で広めていきたいと思った。そのために海外の事例やガイドラインを集めて整理し、日本の文化や法律に適応させていくことにも、仕事として取り組んでいきたいとい考えている。
当時は車椅子に乗って研究を続けるということは全く思いもよらず、アメリカの研究所を引き払った後は別の仕事を探すしかないと思って就職活動もしていたが、元の職場の上司が声を掛けてくれて、さらに同じ職場に車椅子の研究者がいることも知って、復職を決意した。復職時に産業医と面接してフルタイム勤務は可能といった話はしたが、介助者をつけるかどうかといった合理的配慮については大学側と話し合うことは思いもよらなかった。しばらくは車椅子に乗ることには抵抗があり、2本杖で仕事をしていたが、両手がふさがっているので物を持つことができず、実験室では非常に苦労した。
復職した翌年から車椅子を使うようになったが、数人で利用していた実験室はテーブルや機材が車椅子が通れるような配置になっていなかった。配置の変更を要望したこともあったがなかなか対応してもらえず、自分もゴミ捨てや掃除などを分担することができないことから、心理的に強くは言えなかった。その後意を決して、実験のために新たなスペースが欲しいと申し出たところ認められ、さらに2018年には研究所の事業として、科学研究のバリアフリーを進めるプロジェクトが立ち上がったことから、今は自分が使える実験室の開発に取り組んでいる。具体的には車椅子でも操作できるように実験装置の高さを変えられるようにしたり、車椅子の後ろについて荷物を運んでくれるロボットを開発したり、いずれ他大学でもアクセシブルな実験室を作るときの「モデルルーム」になったらいいと思い、いろいろ試行錯誤をしている。
自分はもともと人見知りなところがあったが、車椅子に乗るようになって、それが大きく変わったと感じている。そもそも普通の車椅子には乗りたくなかったので、ネットで海外の情報を集めてセグウェイを改造した車椅子があることを知り、これなら「乗ってて楽しい」と思えるのではないかと思い、購入した。2本杖で歩いていたときには子どもに「お化けだ」と言われてショックを受けたことがあったが、この車椅子になってからは「カッコいい」と子どもに大人気で、町の中でも知らない人と自然に挨拶を交わすことができるようになった。障害を持って一度は研究者としての人生を完全に諦めたが、今は障害者になったからこそ、いろんな可能性に挑戦できるようになったと感じている。
今思っているのは、インクルーシブな教育環境の価値を世の中に伝えたいということ。この職場に来て初めて障害を持つ人の支援を研究してご飯を食べている人がいることを知った。あるシンポジウムでアメリカの全盲の科学者が「障害を持つことが科学関係のキャリアを諦めることになってはならない」と話しているのを聞き、以前の自分にはそういう考え方はなかったので、国内で広めていきたいと思った。そのために海外の事例やガイドラインを集めて整理し、日本の文化や法律に適応させていくことにも、仕事として取り組んでいきたいとい考えている。
理工系インタビュー01
- 杖では物を持ち運べないし、狭い部屋は車椅子では通れない。周りの人には使いやすいようにデザインされている配置だと思うと、自分のためだけに変えてほしいと言いづらい
- 障害者支援部局に相談したら、学会発表でポスターを貼ったりするような不定期な支援も頼めるようになり、実験室の緊急シャワーも車椅子でも使えるように改修してもらえた
- 研究所の方針で自分のような障害のある人が使える実験室を作る取り組みをしている。それがモデルルームのようになって全国の大学でも作られるようになったらいいと思う
- 人生を諦めたつもりだったがセグウェイを改造した車椅子を見つけ、これならと思った。段差での揺れが少なく歩くのに近い感覚で移動でき、両手が空くので重い扉も開けられる
- 車椅子に乗るようになって変わった。杖で歩いていたときは子どもにお化けと言われたが、今はかっこいいと大人気になり、見知らぬ人とのコミュニケーションもしやすくなった
- 何をやっても歩けるようにはならないと自覚して、研究は諦めて別の仕事の可能性を考えたが、電動車椅子で精力的に活躍している研究者を知って再び挑戦することにした