インタビュー時年齢:30歳(2020年12月)
障害の内容:視覚障害(弱視)
学校と専攻:大学・工学部(2012年度入学)、大学院・都市交通工学(2014年度入学)
首都圏在住の男性。先天性の網膜疾患で右目は視力ゼロ、左目は0.07程度。小・中学校時代は普通学級で学び、将来的にバリアフリーに関する仕事に就きたいと考え、工業高等専門学校に進学。さらに編入試験を受けて大学に進んで土木工学を学び、大学院で修士号を取得した。就職ではIT系企業の総合職として採用され、現在はITを使って誰にでも住みやすいまちを作る仕事に従事している。
プロフィール詳細
一将(かずまさ・本名)さんは、生まれつき片目の視力がなく、見える方も視力0.07程度だったが、小・中学校は普通学級で、単眼鏡や拡大プリントを使って授業を受け、殆ど自分の障害を意識することがなかった。しかし、高校進学にあたって、志望校に障害があることを伝えると、前例がないなどの理由で複数の高校に断られ、障害に対する配慮を受けられる工業高等専門学校に進学した。当時からバリアフリーのまちづくりに関心があったことも高専を選んだ理由の一つだった。
高専では非常に手厚い配慮が提供されたが、逆に特別扱いされることで周囲の生徒から隔離されてしまうような感覚があった。受け身で消極的になってしまう自分を変えたいと思い、アメリカに1年間留学することにした。現地では障害があることは個性の一つくらいに捉えられていて、過剰な気遣いはされず、必要なときには助けてもらえるということで、とても生きやすいと感じた。
帰国後は高専から編入試験で大学に進み、土木建築を学んだ。土木の場合、製図や実験、測量などをやる必要があるが、製図に関しては両手を使えるように眼鏡屋で虫眼鏡をレンズに埋め込んだ眼鏡を作ってもらったり、実験や測量では教授やチームのメンバーに理解を求めて、記録係に回ったり、レポートを担当したりしてこなした。
大学院では、高齢化率の高い過疎地域の交通サービスのあり方を検討するような研究をして、修士号を取得した。就職活動では、障害者採用を専門に扱う就活イベントを中心に、総合職として採用してくれる企業を探した。初めは専門である土木業界の企業を当たったが、安全第一の職場なので目が悪いということを理由に苦戦が続き、ずっと勉強してきた業界で就職できないってどうすればいいんだろう、と途方に暮れた。しかし、そこで考えを変えて、土木にこだわらずに、障害者を含め困っている人を支援できるような仕事ができればと、IT業界の企業を受けてみたところ、視覚障害についてどうこう言われることもなく、留学経験などこれまでの活動を評価してもらえて、その中で一番行きたいと思うところに就職することができた。
仕事では当初現場寄りの仕事で、何百台ものパソコンやネットワーク機器をつないで大規模なシステムを組み上げなくてはならず、見えない中でそれをこなすことはかなりの精神的な負担になっていた。そこで、上司に相談して設計などオフィスワーク中心の仕事に回してもらうことができ、現在はITを活用したまちづくり、いわゆる「スマートシティ」構想にかかわる仕事に従事している。
小学校から大学・大学院までずっと国立だったこともあり、教育の面ではずっと合理的配慮を受けることができていたが、学生時代のアルバイトも含め、就労の面になるとまだまだバリアが少なくないと感じる。受け入れる側の環境や基盤が整っていないことで自分が排除されてしまう経験は本当に辛いものだったが、そこに執着していてもしょうがないので、もっと広い視野を持って別の選択肢を探してみることが大事だと思う。そのためにも普段からいろいろなことに挑戦していくことが必要だろう。
高専では非常に手厚い配慮が提供されたが、逆に特別扱いされることで周囲の生徒から隔離されてしまうような感覚があった。受け身で消極的になってしまう自分を変えたいと思い、アメリカに1年間留学することにした。現地では障害があることは個性の一つくらいに捉えられていて、過剰な気遣いはされず、必要なときには助けてもらえるということで、とても生きやすいと感じた。
帰国後は高専から編入試験で大学に進み、土木建築を学んだ。土木の場合、製図や実験、測量などをやる必要があるが、製図に関しては両手を使えるように眼鏡屋で虫眼鏡をレンズに埋め込んだ眼鏡を作ってもらったり、実験や測量では教授やチームのメンバーに理解を求めて、記録係に回ったり、レポートを担当したりしてこなした。
大学院では、高齢化率の高い過疎地域の交通サービスのあり方を検討するような研究をして、修士号を取得した。就職活動では、障害者採用を専門に扱う就活イベントを中心に、総合職として採用してくれる企業を探した。初めは専門である土木業界の企業を当たったが、安全第一の職場なので目が悪いということを理由に苦戦が続き、ずっと勉強してきた業界で就職できないってどうすればいいんだろう、と途方に暮れた。しかし、そこで考えを変えて、土木にこだわらずに、障害者を含め困っている人を支援できるような仕事ができればと、IT業界の企業を受けてみたところ、視覚障害についてどうこう言われることもなく、留学経験などこれまでの活動を評価してもらえて、その中で一番行きたいと思うところに就職することができた。
仕事では当初現場寄りの仕事で、何百台ものパソコンやネットワーク機器をつないで大規模なシステムを組み上げなくてはならず、見えない中でそれをこなすことはかなりの精神的な負担になっていた。そこで、上司に相談して設計などオフィスワーク中心の仕事に回してもらうことができ、現在はITを活用したまちづくり、いわゆる「スマートシティ」構想にかかわる仕事に従事している。
小学校から大学・大学院までずっと国立だったこともあり、教育の面ではずっと合理的配慮を受けることができていたが、学生時代のアルバイトも含め、就労の面になるとまだまだバリアが少なくないと感じる。受け入れる側の環境や基盤が整っていないことで自分が排除されてしまう経験は本当に辛いものだったが、そこに執着していてもしょうがないので、もっと広い視野を持って別の選択肢を探してみることが大事だと思う。そのためにも普段からいろいろなことに挑戦していくことが必要だろう。
理工系インタビュー10
- IT技術を応用してすべての人に住みやすいスマートシティの開発に携わっているが、当事者だからこそ、使ってもらう側の気持ちに寄り添うことができるのではないかと思う
- 入社当初は目がよく見えないのに、現場で実機を触りながら大規模なシステムを組み上げる仕事で苦労した。上司と相談して設計や企画などオフィスでの業務に変えてもらった
- 障害者雇用には総合職ではない簡単な仕事を任せる雇用と、障害者枠でも総合職として他の人と同じように働いてもらうという雇用があると思っていて、自分は後者を探していた
- 就活では最初は専門である土木系の会社を回っていたが、目が悪いというだけで門前払いされた。会社の中には様々な仕事があるのに初めから排除するのは何か違うと思う
- 講義では単眼鏡だが、製図の時は両手がふさがるのでメガネに虫眼鏡を埋め込んだものを使った。実験や測量は、できるところまでやり、できないところは記録係に回るなどした(NEW)
- 高専に入ってから学校側がものすごく手厚く配慮してくれて、逆に周りと違う扱いを受けたことで差別感を抱いた。自分に対してネガティブになる感覚を変えたくて留学を決めた
- 留学先の学校のクラスでは、とてもフランクに受け止められた。日本では配慮が手厚く、できることを奪われる経験も多かったが、できないときに助けてくれる環境は嬉しかった(NEW)
- アルバイトの採用は苦労したが、障害を理解した上で雇ってくれたラーメン屋で接客をした。就活では、バイトの実績が裏付けになって「障害があってもできます」と伝えられた(NEW)
- 留学して、自分が障害をもっていることを何とも思わなくなり、自分の胸に抱えていたマイナスな部分を発散できた。帰国後は自分から、配慮を断るようなこともした(NEW)
- 高校進学の際、進学を考えた高校は配慮に後ろ向きだったが、高専は前向きだった。当事者ならではのバリアフリーな街作りに関心があり、高専を選び、その後大学に編入学した(NEW)