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インタビュー時年齢:30歳(2019年2月)
障害の内容:視覚障害(弱視・色盲)
学校と専攻:大学・外国語学部(2007年度入学)
関西地方出身の女性。先天性の弱視で、色盲がある。小学校は普通学校で学んだが、中高は、盲学校に通った。中高ごろからとても興味があった英語を学びたいと思い、外国語学部に進学した。3年生の海外実習では困ることがあったが、周囲にサポートされて充実した時間を過ごせた。現在は、一般企業で働いている。
語りの内容
そうですね、えー、入試については、私が通っていた盲学校が非常に大学受験に力を入れていましたので、高校側からのサポートもありまして、かなりいい条件で受験ができたと思います。
えっと、大学入試には、センター試験と、それから学校別の入試がありますけれども、センター試験はセンター試験で、特別な配慮が必要な場合は申し込む必要がありますし、学校は学校で個別に申し込む必要がありました。
センター試験については実は、あの、募集要項の別紙というものがありまして、そちらで、特別な配慮が必要な場合はその別紙の要項を取り寄せまして、必要な配慮を申し込むという、形になります。
センター試験側としては、視覚障害に対しては確か、ある程度の試験時間の延長、それから、マークシート形式から、直接、解答用紙に数字を書き込む形式への変更、えー、それから問題用紙の拡大などが、例として提示されていました。
ただ、元から用意されていたメニューである、問題用紙の拡大コピー、それから、マークシート解答、私は、色盲ですので、薄い字で印刷されているマークシートはもう全然読めないんですね。なので、マークシートから、大きく、大きい四角が、こうずらっと並んでいるような、形の、解答用紙の使用、解答用紙に直接字を書く。
で、実は、別紙の要項に、解答用紙の大きさの見本が載っておりまして、その中から自分が見やすいものを選ぶというような形だったので、ま、選んで申し込んだというような感じだったと思います。
それから、えーっと、当然、問題用紙が大きくなると、紙、何て言うんだ、拡大コピーしてもらうと紙が大きくなりますね。そのA3の紙をですね、ベラベラめくって、こう、作業、問題を解くわけです。そしたらもう、普通の、大学入試センター試験だと、ニュースの映像で見るような大教室の狭い机じゃ、とてもじゃないけど作業ができないということなので、A3の紙を2枚も3枚も広げて、バサバサ作業をしても大丈夫なような大きい机を用意してほしいというような要望も出して、受け入れていただきました。
インタビュー08
- 予備校は、集団だと難しいと思ったので個別指導の学習塾を選んだ。参考書も、自分が見やすいものを選んでいた
- 大学受験に力を入れている高校(盲学校)だったので、入試の際の配慮申請にサポートがあって、センター試験も二次試験もいい条件で受験ができたと思う
- オープンキャンパスで、弱視のことや必要な配慮を説明した時、対応が芳しくない学校は行かなくていいと思っていたが、先輩方のおかげで快く話を聞いてくれた大学が多かった
- 大学側にまず文書で申し入れて、その後、大学側の教務課と高校の進路指導の先生、両親と自分で直接会って、話し合った。高校の先生が慣れていて心強かった
- 履修を検討していた科目が、顕微鏡を覗く授業だった。覗いてみたら弱視でよく見えず諦めてしまったが、後から考えると顕微鏡をモニターにつなぐ方法も試してみればよかった
- 科目の試験は、時間延長と問題の拡大コピーをしてもらった。実際やってみると、用紙がとても大きくて笑えるようなこともあったが、自分としては見やすくて良かった
- 大学3年の時実習でアメリカへ行ったが、慣れない土地でファストフード店などに入るときなど、周囲の人の動きに合わせて行動することが難しく、友人のサポートが必要だった
- 履歴書に盲学校と書くのでそんなに簡単にバイトはできないと思っていたが、スーパーで採用された。「丁寧な仕事で、安心して任せられる」と褒められて、自信を得ることができた
- 最初は大学のキャリアセンターが開催しているセミナー等と並行して障害者向けの就職セミナーでも情報収集をした。医薬翻訳をやりたくて片端から関連企業の説明会に参加した
- 自分の視力障害を説明した文書をつけていろんな自治体に応募した。小さい自治体からは断られたが、県庁では充実したインターンシップを経験することができた
- 就職説明会では前方の席の用意、マークシート方式の解答方法の変更、個人用資料の提供の3点に絞って、事前に配慮をお願いして参加するようにした
- 授業などの自己紹介の機会には、自分は弱視で人に援助を求めることがあるといった話をした。また、構内ですれ違っても自分は気づかないから声をかけてほしいとも伝えていた
- 本格的な一人暮らしは大学が初めてで、自炊は大変だったが工夫もしていた。次第に、自炊に疲れると近所のごはん屋さんへ行くというサイクルもできて落ちついた