※写真をクリックすると、動画の再生が始まります。
インタビュー時年齢:42歳(2019年4月)
障害の内容:聴覚障害(難聴)
学校と専攻:大学・政治学(1996年度入学)、大学院(2000年度入学)、アメリカPh.D.プログラム(2006年度入学)
関東地方在住の女性。小学校低学年の時に、担任の先生に言われて感音性難聴だと分かり、中学あたりで徐々に聴力が下がった。小さい頃から政治に関心が強く、研究者になることを決めていた。大学では政治学を専攻し、勉強以外ではサークルやアルバイトも楽しみ、その後、大学院に進学して日本とアメリカの両方で博士号を取得した。現在は、大学に研究職・教員として勤務。夫と聴導犬と一緒に暮らしている。
語りの内容
私、ずっと、中学校ぐらいのときから、政治に興味があって、で、政治学の研究者になりたいと思ってたので、なんで高校からもう既に政治学の研究するために大学行きたいと思ったので、学部も政治学を学べる学部に行きたいと思って、日本では法学部が多いので、あと政治経済学部とかはありますけど、まあ、法学部に絞って大学行こうとしました。
で、やっぱ研究するからには、研究環境がいいトップレベルの大学に行きたいなと思って、そうやって大学選びました。うん。
で、1回で合格できなくてやっぱり一浪したんですけれども、一浪するときもやっぱり、その研究するからにはちゃんと研究環境が、整っているトップレベルのとこに行ったほうがいいと思って、それで浪人して大学受験しました。
――分かりました。もともと何で、何でもともと政治学を勉強したいなって思ったんですか。
何か、説明付かないんですけど、結構小学校ぐらいのときから国会ごっことか、新聞読んだりして、何かあと憲法を友達と一緒に、同じ年の友達ですけど、小学生同士で憲法を作ったりして遊んでて、何か昔から政治に興味があって、で、そのまま興味が途切れることなく中学、高校ときたので、うん、今も政治の話とか楽しいですね。
うーんと、そもそも学部を選ぶときの話になるんですけど、やっぱり病院の先生に「大学行くなら理系がいい」って言われたんです。うん。で、何でだろうと思って入ってから分かったんですけれども、取りあえず法学部の授業へ行って先生がひたすらしゃべっているので、それ全部聴かなきゃいけないからすごく負担が大きい。
そこ大人数の授業なので、先生が個々の学習を見てくれる理系だと研究室に所属したりして面倒見がいいけれども、法学部はそんなのなくて、ゼミも所属しなきゃいけない義務とかもなかったので、それで、あ、そういうことだったのかって大学入ってから、なぜ理系を勧めたかを分かったんですけど。
でもやっぱ自分の興味は政治学だったので、まあ、選択を誤ったとは思わなかったですけれども、やっぱ法学部は、聴覚障害者には結構きついかなと思います。
インタビュー14
- 病院の先生に、(聴覚障害があることで)大学に行くなら理系がいいと言われたが、自分の興味は政治学だったので、選択を誤ったとは思わなかった
- 事前に聴覚障害のことを大学に伝えたところ、英語のリスニング試験でいきなり、英単語の間のスペースを除いた英文を渡され、あとは全て他の学生と同じでとても困った
- 授業では、個人的に先生にFMマイクを付けてほしいとその都度お願いしていた。他の学生と違うのは遅刻しないで授業へ行っていたくらいで、他は思いつかなかった
- 英語のリスニング試験は、なぜかヘッドホンをつけたら聞こえると思われていた。結局2年間、音は聞こえるが何を言っているかはわからないまま、別室受験を続けた
- 耳が悪く留学は無理だと思っていたが、アメリカで博士号(Ph.D.)を取った指導教官に影響されて挑戦した。障害学生のためのサービスを知り、自分も留学できると思えた
- アメリカでは、耳が聞こえない人が使うサービスがすでにメニュー化されていて、その中から選べばいいという状態だったので楽だった。日本とは学生の負担が違うと感じた
- 最初に目指していた大学院については、「聞こえないからはねられた可能性もある」という話もあった。だが結果的には、受け入れてくれた大学で学べて良かったと思っている
- それまで全く未経験だったがバスケットボールのサークルに入った。聞こえないことで周りが困ったかもしれないが、単に「鈍い人」みたいな感じでやっていて、自分はそれなりに楽しかった
- 自分に障害があって人から何かしてもらうことも多いけれど、自分も何かしてあげられるかもしれないと思ったのが、介助のアルバイトを始めたきっかけだった
- アメリカの大学では、1対1なら手話通訳なしで大丈夫で、電話ができなくても代わりにチャットで会話できると、何ができるかを積極的にアピールするようアドバイスを受けた
- 今の障害学生は支援があって恵まれているかもしれないが、支援があるために言い訳ができないといった苦労もあるので、昔と比較して、昔よりましだと思う必要はない