※写真をクリックすると、動画の再生が始まります。
インタビュー時年齢:29歳(2021年8月)
障害の内容:内部障害(卒業後に線維筋痛症と診断された)
学校と専攻:大学・文学部(2012年度入学)
関東地方出身の女性。入学当初は元気だったが、1年生の秋から体に痛みが出始め、様々な医療機関にかかるも2年生で徐々に症状が悪化して、3年生で休学した。休学3年目に大学と相談してオンライン授業で復学し、一時は通学もしたがやはり体力的に難しく、再度の休学を挟んで2020年3月に卒業した。卒業後に、病名が分からない人を診ている医療機関で線維筋痛症と診断された。
語りの内容
最後の1年間は、実は学生結婚をその年にしまして。あんまり実家にいるのが良くないんだなってことに気づきまして。実家にいると体が休まらないぞ、心も休まらないぞってことに気づいて、最後の大学生活の最後の1年間学生結婚して親と離れて、パートナーの人と一緒に住むようになったんですけど、そうしたら、実家にいるときよりもちゃんと休みも取れるし、気持ち的に焦ることもないなって思って。なのでちょっと、少し家の家事とかもしないといけなく、実家にいるときよりは家事とかしないといけないってのはあったんですけど、実家にいるときよりも逆に自分のペースで生活できるようになったので、ちょっと休みつつ家事をしながらちょろちょろ大学に行くっていう感じで過ごしてました。
やっぱり両親の、主に父親ですかね、父親の大学を卒業しろっていうプレッシャーがすごいかかってて。なんか実際私の病名がはっきり分からなかったのもあって、なんか父親からはあんまり理解を得られなくて。体が痛くて大学に通えていないっていう状況に対する理解があんまり得られなくて、なんか普通に行って卒業できるだろうみたいなプレッシャーっていうのはすごい。
実際に結構オンラインで講義を受けてるときくらいからもずっと感じてたので、これは逆にこんなプレッシャー、プレッシャーを感じると、ついつい私は頑張って、無理をするくらい頑張ってしまうタイプなんですけど、多分それの繰り返しで体を壊してしまったんだなってことにもうそのときは気づいていたので、なんか大学卒業したかったら逆に親元を離れなきゃ駄目だし、両親のところに一緒にいると、無理をして頑張るっていうのはずっと止められないままだなって思ったので、ここは決断しなきゃと思って、家を離れる、ま、結婚という形で家を離れることを決めたってことですね。
インタビュー37
- リハビリの一環で通っていたプールで、シニアの人たちに会った。膝や腰に痛みがあっても明るく笑っている様子を見て、自分もうまく痛みと付き合えるようになりたいと思った(NEW)
- 患者会には症状が重い人が多く、医師に熱心に相談していた。自分は少しずつ良くなっているので、患者会に参加する人にとって自分は疎ましいのではないかと不安になった(NEW)
- 大学では、今まで通学が無理で諦めていた人もオンライン授業なら横になってでも講義に参加できる。また社会にも、もっとフレキシブルに働ける環境づくりを行ってほしい(NEW)
- 病気をしたことで自分はイレギュラーな存在だと感じ、自分は自分のやり方でやっていくしかないと思った。病気になったことで、個としての自分を打ち出していいと分かった(NEW)
- 病気になってから哲学の本を読んだ時、今まで読めなかった本が理解できるようになっていて驚いた。苦しい思いしてるからこそ芸術や哲学などが自分のものとして感じられた(NEW)
- ずっと診断名が分からなかったことで、父親からは体の痛みを理解されず、普通に卒業できるだろうとプレッシャーがあった。それもあり学生のうちに結婚して家を離れた(NEW)
- 自分にはオンライン授業の方が合っていたように思うが、普通の学生に戻りたい思いもあり、授業の雰囲気や校舎の空気を感じることも大事で、頑張って通学することを選んだ(NEW)
- どうしても電車に乗って大学に行くのは厳しいと先生に相談したところ、オンライン授業で単位を取れるようにしてくれた。一回途切れた学校生活がまた始まるという感じだった(NEW)