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インタビュー時年齢:29歳(2021年8月)
障害の内容:内部障害(卒業後に線維筋痛症と診断された)
学校と専攻:大学・文学部(2012年度入学)
関東地方出身の女性。入学当初は元気だったが、1年生の秋から体に痛みが出始め、様々な医療機関にかかるも2年生で徐々に症状が悪化して、3年生で休学した。休学3年目に大学と相談してオンライン授業で復学し、一時は通学もしたがやはり体力的に難しく、再度の休学を挟んで2020年3月に卒業した。卒業後に、病名が分からない人を診ている医療機関で線維筋痛症と診断された。
語りの内容
実は「線維筋痛症の友の会」っていう、線維筋痛症の方がやってらっしゃる、患者会なのかな、月に2、数カ月に1回冊子送ってくれて、ときどき患者会をやったりとか、線維筋痛症を診てらっしゃる先生と一緒に講演会をやったりとか、病気の知識を深めるための講演会やったりとかっていうのをやってる患者の会があって、そちらにはこう参加してて。1回だけその講演会のほうにも去年足を運んだりはしたんですけれども、私自身、そういうところに行って、皆さんを励ますことができたらと思う気持ちもある一方で、やっぱり暗い雰囲気なんじゃないかなっていう気持ちがありまして。
去年患者会行ったときも、やっぱり皆さん、私よりも重い症状の方が多くて、皆さん先生のほう、お医者さんにすごく熱心に相談してらしたんですけど、私、こんなに、実際私はちょっとずつ良くはなってきてて、ただ、ほかの方はもう何年も、何十年も線維筋痛症で悩んでて、もうどの薬飲んでも効かなくてっていう感じで暗い面持ちで患者会とかその講演会に来てらしたので、ちょっと私良くなってるし、割と能天気なので、なんかそういう人たちからしたらちょっと疎ましい存在なんじゃないかなっていうふうな不安もあったり。実際私が行って、その人たちに何かできることあるのかな…私の言葉がちゃんと受け取ってもらえるのかな、気持ちがあるので、あんまり熱心に線維筋痛症の当事者の人とコミュニケーションしてないと、感じですね、今は。
インタビュー37
- リハビリの一環で通っていたプールで、シニアの人たちに会った。膝や腰に痛みがあっても明るく笑っている様子を見て、自分もうまく痛みと付き合えるようになりたいと思った(NEW)
- 患者会には症状が重い人が多く、医師に熱心に相談していた。自分は少しずつ良くなっているので、患者会に参加する人にとって自分は疎ましいのではないかと不安になった(NEW)
- 大学では、今まで通学が無理で諦めていた人もオンライン授業なら横になってでも講義に参加できる。また社会にも、もっとフレキシブルに働ける環境づくりを行ってほしい(NEW)
- 病気をしたことで自分はイレギュラーな存在だと感じ、自分は自分のやり方でやっていくしかないと思った。病気になったことで、個としての自分を打ち出していいと分かった(NEW)
- 病気になってから哲学の本を読んだ時、今まで読めなかった本が理解できるようになっていて驚いた。苦しい思いしてるからこそ芸術や哲学などが自分のものとして感じられた(NEW)
- ずっと診断名が分からなかったことで、父親からは体の痛みを理解されず、普通に卒業できるだろうとプレッシャーがあった。それもあり学生のうちに結婚して家を離れた(NEW)
- 自分にはオンライン授業の方が合っていたように思うが、普通の学生に戻りたい思いもあり、授業の雰囲気や校舎の空気を感じることも大事で、頑張って通学することを選んだ(NEW)
- どうしても電車に乗って大学に行くのは厳しいと先生に相談したところ、オンライン授業で単位を取れるようにしてくれた。一回途切れた学校生活がまた始まるという感じだった(NEW)