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インタビュー時年齢:24歳(2019年8月)
障害の内容:肢体不自由(脳性麻痺)
学校と専攻:大学・人文科学(2014年度入学)
関東地方在住の男性。脳性麻痺で上下肢に障害があり、介助用車椅子を使用している。小中高は普通学校に通った。大学では英語を深く学びたいと思い、人文科学系の学部に入学した。翻訳ゼミに所属して翻訳をしたり、論文を書いたり、ゼミ仲間と外に出かけるなど、在学中は勉強だけでなく、とても多くの経験を積むことができた。現在は、自立生活センターで当事者スタッフをしている。
語りの内容
授業のときは母親が大体ノートテイクとか、代筆とか、試験の代筆もしてくれた・・・ していましたね、ずっと母が。
入学するときに大学側から、そういう大学側からヘルパーは出せませんよと、万が一のことがあったら大変ですし、責任はちょっと取れないのでということで、ずっと母がノートテイクしたり、僕の身の回りの介助だったりをやってくれました。
――ご自身としては、大学側から、万が一のことがあるかもしれないからヘルパーは付けられないというふうに言われるときに、言われたときに、どんなふうに思われるんですか。
うーん、そうですね。何で付けないかなと思ったし、それでは母が大変、大変…、大変だなというのはちょっと感じましたね。
――ずっと一緒に通学をして、一緒に授業を受けていらしたお母さんに対して、どんなふうに今思われますか。
本当に、僕なんかのために学校をずっと付いて来てくれてありがとうという気持ちと、本当に何か申し訳ないなというか、申し訳ない気持ちと感謝の気持ちが、半々ぐらいですかね。
インタビュー29
- 知らない言語に触れるのは新鮮で、もともと英語が得意だった。また社会や歴史も幅広く学びたいと思い、リベラルアーツを選んだ
- 脳性まひによる体の緊張で汗をかきやすいが、面接ではヘルパーや母親の同席は認められず、汗がたくさん流れて大変だった
- オープンキャンパスに何か所か行き、車椅子でエレベーターや教室の設備などが使えるバリアフリーかどうかをチェックした
- 早くから車椅子での生活も含めて第一志望の大学に相談していたが、高2の夏に急に、受験しても合格にはできないと言われた
- 自分は大学に対して配慮をなかなか求められず、大学側から意見を求められて初めて伝えるような状態だった。でも後輩には、もっと積極的に言ってほしい
- 中国語の授業の時に、自分だけテストをやらなくてもいいと言われたことがあり、なんで僕だけと思いつつ、半分はテストをやらなくていいのだと思って嬉しかった
- 自分も皆と同じように就活できると思っていたが、障害者雇用枠での就職をめざして説明会に通っても、ヘルパーを使っての就労は認められず、うまく行かなかった
- ゼミ論文は、まず本を読まなくてはいけないのが大変で、母親に手伝ってもらったが時間の制限もありなかなか進まなかった。代筆も、とても時間がかかった
- 当初英語を学びたいという思いで大学へ行ったが、実際には、小中高では習わなかった社会全体のことを学んだ。例えば仕事や対人関係について、深く考えることができた
- 入学からしばらく友達ができなかった時期があり、母親が介助で隣にいることで話しかけづらいようにも感じていた。だが徐々にゼミ仲間もでき、友達と話すことが増えた
- 大学からはヘルパーは出せないと言われてしまい、授業中のノートテイクや代筆、身の回りの介助をやってくれた。母親に対しては、感謝の気持ちと申し訳ない思いの半々だった