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インタビュー時年齢:30歳(2019年2月)
障害の内容:視覚障害(弱視・色盲)
学校と専攻:大学・外国語学部(2007年度入学)
関西地方出身の女性。先天性の弱視で、色盲がある。小学校は普通学校で学んだが、中高は、盲学校に通った。中高ごろからとても興味があった英語を学びたいと思い、外国語学部に進学した。3年生の海外実習では困ることがあったが、周囲にサポートされて充実した時間を過ごせた。現在は、一般企業で働いている。
語りの内容
まあ、就職活動について具体的な話が出だしたのはやはり大学3年生に入ったときですね。最初は大学側のキャリアセンターが、開催している、例えば自己分析ですとか、業界の大まかな概要ですとか、就職活動の心構えのような、全学生向けのセミナーに出て、何となく情報収集をしているという感じでしたね。
で、それと並行して、えーっと、障害者向けの就職セミナーっていうのも、幾つかあるんですよね。有名なところでは、サーナとか、クローバーとかいわれている、就職情報サービスが当時は非常に有名だったので、その、主にその2社のセミナーなどにも参加しまして、障害者採用の情報収集も始めていました。
えー、最初のころはとにかく大学側、大学にも、うちは東海地方でそこそこ大きい大学だったのもあるんで、某超大手自動車メーカーの、こう、系列会社ですとかね・・・を中心に、たくさんの企業が、説明会を大学で開催していました。なので、その大学で開催されている説明会などに出て、まずはどのような業界が世の中にあるのかとか、そういう情報収集をしていました。
それと並行して、いわゆる障害者向けの就職集団説明会にも顔を出して、どういう企業が集まってるのかとか、どういう職種が募集されてるのかというふうなことの情報収集をしていました。もうその障害、障害者向けの就職説明会の、会場では、高校の同級生にもよく会いましたね。それぞれ大学、バラバラに大学に行っていた同級生たちがまた集まってきているというふうなこともありました。
そうですね、で、そうやっていろんなセミナーに片っ端から行く中で、とあるセミナーで、こう、自己分析をするようなワークを通して、やっぱりそういう人の役に立ちたいとか、困っている人の力になりたいというのが、私の働く上での大きなモチベーションかなというふうなところから、医薬品業界は私の、やりたいことに近いんじゃないかということ、それから、医薬翻訳っていう翻訳の分野があって、自分が今、興味持って勉強している翻訳っていう仕事も、スキルも活かせるんじゃないかというところで、そういう医薬品メーカーで、そういう翻訳の仕事ができたらいいなというふうな希望がだんだん固まってきたのが、3年生の夏ぐらいかなだと思いますね。
で、その辺りから、いわゆる大手の就職情報サイト、これは一般学生向けですよね。何ちゃらナビ、何ちゃらナビとかいろいろあるような、大手の就職情報サイトで、とにかく情報がないので、医薬品、いや、医薬品じゃないや、えーっと、医療ドラマのエンドロールに、制作協力って出てくるメーカーの名前を片っ端からメモして、片っ端から検索したりとか、いろんな形で、とにかくどんな会社があるのかというふうに情報を集めまして、正直ちょっと、そういうメーカーは募集が早いので、ちょっと動き始め遅い感じだったので、説明会の空席なんかも少なかったのでですね、とにかく空席があるとなったらどこにでも行きましたね。一番遠いのは九州まで行きました。行ってとにかく説明会に出て話を聞いて、情報をひたすら集めるというふうな形で活動をしていました。
インタビュー08
- 予備校は、集団だと難しいと思ったので個別指導の学習塾を選んだ。参考書も、自分が見やすいものを選んでいた
- 大学受験に力を入れている高校(盲学校)だったので、入試の際の配慮申請にサポートがあって、センター試験も二次試験もいい条件で受験ができたと思う
- オープンキャンパスで、弱視のことや必要な配慮を説明した時、対応が芳しくない学校は行かなくていいと思っていたが、先輩方のおかげで快く話を聞いてくれた大学が多かった
- 大学側にまず文書で申し入れて、その後、大学側の教務課と高校の進路指導の先生、両親と自分で直接会って、話し合った。高校の先生が慣れていて心強かった
- 履修を検討していた科目が、顕微鏡を覗く授業だった。覗いてみたら弱視でよく見えず諦めてしまったが、後から考えると顕微鏡をモニターにつなぐ方法も試してみればよかった
- 科目の試験は、時間延長と問題の拡大コピーをしてもらった。実際やってみると、用紙がとても大きくて笑えるようなこともあったが、自分としては見やすくて良かった
- 大学3年の時実習でアメリカへ行ったが、慣れない土地でファストフード店などに入るときなど、周囲の人の動きに合わせて行動することが難しく、友人のサポートが必要だった
- 履歴書に盲学校と書くのでそんなに簡単にバイトはできないと思っていたが、スーパーで採用された。「丁寧な仕事で、安心して任せられる」と褒められて、自信を得ることができた
- 最初は大学のキャリアセンターが開催しているセミナー等と並行して障害者向けの就職セミナーでも情報収集をした。医薬翻訳をやりたくて片端から関連企業の説明会に参加した
- 自分の視力障害を説明した文書をつけていろんな自治体に応募した。小さい自治体からは断られたが、県庁では充実したインターンシップを経験することができた
- 就職説明会では前方の席の用意、マークシート方式の解答方法の変更、個人用資料の提供の3点に絞って、事前に配慮をお願いして参加するようにした
- 授業などの自己紹介の機会には、自分は弱視で人に援助を求めることがあるといった話をした。また、構内ですれ違っても自分は気づかないから声をかけてほしいとも伝えていた
- 本格的な一人暮らしは大学が初めてで、自炊は大変だったが工夫もしていた。次第に、自炊に疲れると近所のごはん屋さんへ行くというサイクルもできて落ちついた