※写真をクリックすると、動画の再生が始まります。
インタビュー時年齢:42歳(2019年4月)
障害の内容:聴覚障害(難聴)
学校と専攻:大学・政治学(1996年度入学)、大学院(2000年度入学)、アメリカPh.D.プログラム(2006年度入学)
関東地方在住の女性。小学校低学年の時に、担任の先生に言われて感音性難聴だと分かり、中学あたりで徐々に聴力が下がった。小さい頃から政治に関心が強く、研究者になることを決めていた。大学では政治学を専攻し、勉強以外ではサークルやアルバイトも楽しみ、その後、大学院に進学して日本とアメリカの両方で博士号を取得した。現在は、大学に研究職・教員として勤務。夫と聴導犬と一緒に暮らしている。
語りの内容
最初就職活動を始めたのがアメリカの大学だったので、アメリカのアドバイザーに言われたんですけれども、何ができないかじゃなくて、何ができるかを積極的にアピールしていけって言われたんですね。
だから電話ができないじゃなくて、電話の代わりにチャットで会話しますみたいな、そっちのほうを強くアピールするようにしろって言われたこととか、あとは…、手話通訳がいなくても、まあ…。本当は法律でこっちが要求すれば手話通訳付けなきゃいけないって決まっているんですけれども、やっぱりちっちゃい大学とか予算がない会社とかはどうしてもなかなか追い付かないところがあって。で、そういう支援が必要な人を雇うと余計な出費がというふうに考えるのが当然なので…。
なので、法律で守られているけれども一応、手話通訳とかない状態でどうやってコミュニケーションするかっていうのも考えてアピールするべきだって言われて。それでチャットでいけますとか、コンピューターがあれば、コンピューターを通して、会話をしますとか、手話通訳がなくても授業を教えられますとかそういうふうに、そういう方向で売り出せって教えてもらって。そうやってジョブインタビューとかもこなしてきたので。
で、アメリカでは実際にオファー何ももらえていないんですけれども、日本でもやっぱり同じように電話はできないけれども、メールとかで代替方法がありますし、だからファクシミリとか使わせてもらえば大丈夫ですしとか。あと、会議も1対1なら普通に聞こえて、べつに通訳とかは要らないと。だから会議も事前に資料とかあればある程度は分かるのでみたいな、そういう言い方で就職をするようにしたんですけれども、いろんな考え方がありますね。
何か、最初から完璧なサポートを求めなければ後でつらいからって、最初から通訳を求めるような人もいるので、何かこれは考え方の違いかなと。私の場合はこうやって支援がなくてもある程度ここまでできますみたいな売り方で就職活動していきました。うん。
――じゃあ、特に、その就職活動をするに当たっては支援を求めたっていうことはなかったんですか?
取りあえず就職してから支援の交渉を。最初にもうシャット・・・、就職できなかったら元も子もないので、ここまでできますみたいなことを言って取りあえず入れてもらって、その後でやっぱり筆記者がないととか、そういう感じで支援を求めていくんですけれども、やっぱこうやって入ると話が違うみたいになって、もめることもあるので最初から支援を必要と言ったほうがいいって言う人もいるので、どこでもめるかですね。最初でもめるか、後でもめるかみたいな感じですね、現状。
――ご自身としては、最初からは言わなかった
取りあえず就職、オファーをもらうほうが先でしたね。
インタビュー14
- 病院の先生に、(聴覚障害があることで)大学に行くなら理系がいいと言われたが、自分の興味は政治学だったので、選択を誤ったとは思わなかった
- 事前に聴覚障害のことを大学に伝えたところ、英語のリスニング試験でいきなり、英単語の間のスペースを除いた英文を渡され、あとは全て他の学生と同じでとても困った
- 授業では、個人的に先生にFMマイクを付けてほしいとその都度お願いしていた。他の学生と違うのは遅刻しないで授業へ行っていたくらいで、他は思いつかなかった
- 英語のリスニング試験は、なぜかヘッドホンをつけたら聞こえると思われていた。結局2年間、音は聞こえるが何を言っているかはわからないまま、別室受験を続けた
- 耳が悪く留学は無理だと思っていたが、アメリカで博士号(Ph.D.)を取った指導教官に影響されて挑戦した。障害学生のためのサービスを知り、自分も留学できると思えた
- アメリカでは、耳が聞こえない人が使うサービスがすでにメニュー化されていて、その中から選べばいいという状態だったので楽だった。日本とは学生の負担が違うと感じた
- 最初に目指していた大学院については、「聞こえないからはねられた可能性もある」という話もあった。だが結果的には、受け入れてくれた大学で学べて良かったと思っている
- それまで全く未経験だったがバスケットボールのサークルに入った。聞こえないことで周りが困ったかもしれないが、単に「鈍い人」みたいな感じでやっていて、自分はそれなりに楽しかった
- 自分に障害があって人から何かしてもらうことも多いけれど、自分も何かしてあげられるかもしれないと思ったのが、介助のアルバイトを始めたきっかけだった
- アメリカの大学では、1対1なら手話通訳なしで大丈夫で、電話ができなくても代わりにチャットで会話できると、何ができるかを積極的にアピールするようアドバイスを受けた
- 今の障害学生は支援があって恵まれているかもしれないが、支援があるために言い訳ができないといった苦労もあるので、昔と比較して、昔よりましだと思う必要はない