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インタビュー時年齢:28歳(2019年3月)
障害の内容:内部障害(小腸機能障害による短腸症候群)
学校と専攻:大学・社会福祉(2008年度入学)
中部地方在住の男性。生後3日で中腸軸捻転のため小腸を17センチ残して切除し、それ以降ずっと、夜間に栄養点滴を行う生活をしている。社会福祉を専攻した大学ではサークル活動にのめり込み、とても楽しんだ。就職は、体力や福利厚生の面から公務員を選択し、現在は小学校の事務員として働いている。美味しいものを食べることが趣味。
語りの内容
ノートテークという情報保障のボランティアをやっていました。聴覚に障害のある学生さんが、大学にはたくさんいたので、その方々が授業を受けるときに、先生の話していることを隣でパソコンやパソコンで入力したりとか、あとは手書きで文字にして伝えるというボランティアをずっとやってました。
――それは、何かきっかけがあって始めたんですか?
うーん。特にマインド的なものの部分はないんですけれども、パソコンをずっと、小さい頃からいじってたので、パソコンでできるボランティアってあるんだっていうのを先に、そこで知って、試しにやってみようかなっていう結構軽い気持ちで始めたボランティアでした。
――パソコンを小さい頃からいじっていらしたっていうのは何かこうおうちに、あったとか、何か、それもきっかけがあったんですか?
そうですね。やっぱり、まあ、病院にいたりだとか、うちで療養したりとかっていうことがあったので、父がパソコンを、1台、自分用にお下がりでくれたものがあったので、結構、ひたすら文章を打ったりとかっていうことをずっと小学校3年生ぐらいから、やっていたのでタイピングだけは自信があったんですが。そこで、ただ、それで何かつながるのかなっていうのはずっと疑問だったんですけれども、でも大学に入って、あ、こんなのあるんだっていうきっかけで始めました。
1年生のときに入ったんですけど、私の上は4年生の先輩しかいなくて、私が継がなかったら自動的に廃部になってた、んですけど。大学としてもあったんですが、まあ、そこだけでなくて、もっと勉強会をしようっていうので同好会がつくられたみたいなんですけれども、まだ校内に認知があまり広まって、認知度が高くなかったもので、なんで1年生の後半には自動的に1人だけ部長になってしまっていて、さあ、どうしようって思っていたりしたんですが。
まあ、卒業する頃には40人ぐらいの後輩がうまく、引き継いでくれて、で、今も結構活動はしているようです。なんで、できて10年ぐらい、ちょうどたつのかなと思いますけれど。
インタビュー13
- 長い療養生活でパソコンに慣れていたので、大学ではノートテイクのボランティアサークルに参加した。廃部寸前だったが、1年生で部長になり卒業するまでに立て直すことができた
- 体調を崩して休学したときに代わりにサークルの運営を担った後輩以外には病気のことは話していなかったが、それは障害があってもやろうと思えばできるということでもあった
- 卒業論文では「高等教育機関におけるノートテイクサークル」をテーマに、アンケートを行い、外のNPOにも出かけていってノウハウを学んだ(次のクリップに続く)
- サークルで取り組んだ調査の結果や勉強会での学びを、卒業論文として体系立ててまとめた。自分が卒業した後も廃れていかないようにという思いがあった
- 同僚などのソフト面も大事だが、同時に、社会の制度を根本的に変える必要がある。例えば障害者雇用で入っても、責任ある仕事をさせてもらえないことなどは、課題だと感じる
- 短腸症は、指定難病の検討会で検討されたが落ちてしまい、地域の制度が使えない場合は通常の三割負担になる。そのため常に経済的なことが、自分の生活にかかわってくる
- 患者会に行き自分の症状が重いことに気付いたが、自分より症状が軽くても不安になっている子どもや、親御さんもいた。一つの例として、自分のことを話すのが大事だと思った