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インタビュー時年齢:29歳(2019年5月)
障害の内容:聴覚障害(難聴)
学校と専攻:大学・人間科学部(2008年度入学)
首都圏在住の女性。小学校2年生で難聴と診断された。高校までは九州地方で、両親と妹二人の5人家族で育った。大学入学を機に上京し、初めて聞こえない人と交流して手話を覚えた。大学ではライフセービングに熱中した。大学卒業後、専門学校で言語聴覚士の資格を取り、現在は大学で障害学生支援の仕事をしている。夫と息子と3人暮らし。
語りの内容
――大学時代に、あの手話サークルには入らなくて、えーと、ライフセービングに。
ライフセービング。
――熱中していたっていう話だったんですけど、ちょっと、せっかく大学生のことを聞いているので、サークルの話もちょっと伺いたいんですが、ライフセービングって何ですか。
あ、多分イメージするのは海水浴場での監視活動、おぼれた人を助けるんでしょう、みたいなことはよく言われるんですけど、おぼれた人を助ける以前に、まず事故が起こらないようにするっていうのが一番の目標で…。で、夏だけじゃなくて年間を通して活動をするんですけど…。ねえ、どんな…。まあ、メインの活動は海水浴場開設期間中の監視活動、1カ月半ぐらい、7月から8月にかけてやっていて、で、もう、その期間はもう毎日クラブハウスに寝泊まりして朝から晩まで、もう海に行っているって、そういうことをやり。で、監視、監視期間の前後は、まあ、週末海に行って練習会をやったりとか、そういうことをやっていました。
――元々、それは何で始めたんですか。
勧誘されたため。何か、うん、自分の家も海に近かったのもあって海は抵抗なかったですし、あとは、結構チャラチャラしているっていうよりは、ちょっと何か真剣にできるものがいいなって思って、で、何となく入って、真っ黒になってっていう。
海水浴場開設期間以外も週末はそこに、クラブハウスに行って金曜日の夜に入り、土日と海で練習をするんですね。まあ例えば、ボードをこぐとか、スイムするとか、あとは救急、応急手当とか。心肺蘇生とか、いろんな練習を…、やる。
――実際に、そこで事故が起きたら助けに行くんですよね。
そうです、そうです、いろんな。でも、まあ、事故、まあ、死亡事故は幸いにないんですけど、やっぱりちょっとおぼれて助けに行くとか、あとは…、サーファーも多かったので、サーファー、サーフボードのあのフィンがこう、ざっくりこう当たって、そういうFA(First Aid)的なことをやったりとか、そういうのはありました。
――それは、どのぐらい、何、最初入学したときぐらいから何年間か。
あ、もう、卒業するっていうか、まあ、卒業するまで海に行き続けていたので。
――も、もう楽しかったっていう感じ。
楽しかったですね。まあ、しんどいんですけど、良かったなと思います、入って。
――元々、そういう体を動かすこととかいうのが好きなんですか。
いえ、いや。運動神経はそこまでよくないんですけど。でも、泳ぐことも抵抗なく、まあ…、やっぱり聞こえない中では結構大変な活動だったなと今思えばあるんです。例えば、トランシーバーでやり取りとかするんですね、監視中って。それもすごい聞くしかないから、頑張って聞き、周り見つつ動いたりとか。まあ、頑張り過ぎると体調にもやっぱ、すぐ影響は出るので無理せずの範囲で。例えば、私はもう海に入らず浜辺のほうで、まあ、ファーストエイドとか、迷子の対応とか、そういうふうに特化して頑張るとか、そういう、こううまく、こう自分ができる範囲で関わってき続けたかなとは思います。
インタビュー19
- 中学のとき初めて言語聴覚士の人に会った。それまで自分に能力がなくてできないのか聞こえなくてできないのか分からなかったが、その人と話し、心が軽くなった
- 聴覚障害があるが、高校まで普通学校で、配慮や支援について何も知らなかった。センター入試で初めて配慮のことを知って申請し、個別の試験でも別室受験などの配慮を受けた
- 入学後は配慮なしで授業を受けるものだと思っていたが、たまたま入学手続きの書類の中に障害学生支援室のパンフレットを見つけ、母親が問い合わせて、大学側と面接をした
- ノートテイクは自分が申請した授業に全てついた。支援者は基本的に2名だが、ゼミで両側から支援者に挟まれるとゼミ生と壁ができるので、場所を工夫した
- 実習は全部で6カ所回った。最初に行った総合病院の耳鼻科では、自分の聴力検査をしたり、補聴器を試したりして、自分の「聞こえの紹介状」を作れるほど様々な体験をした(音声のみ)
- ライフセービングに熱中し、夏は毎日海水浴場の監視活動、それ以外の時期も毎週末練習で海に行っていた。トランシーバーでのやりとりは難しかったが、できる範囲で頑張った
- 最近は支援体制が整いつつあるが、支援があるだけでは自分の能力は発揮できないので、用意された支援で満足せずに、自分に必要な支援を伝えていってほしい
- 周囲から「○○さんは聞こえるし話せる」と見られることもあり、自分は聴覚障害のイメージから離れていると思う。だが自分も困ることはあり、個として見てほしいと感じる
- 大学に入って、手話を覚えたことは衝撃的だった。また、自分と同じような境遇の、聞こえる人たちの中で育った聞こえない人に会えて、自分だけではないと思い、嬉しかった