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インタビュー時年齢:32歳(2020年11月)
障害の内容:聴覚障害(先天性難聴)
学校と専攻:大学・産業技術学部(2007年度入学) 大学院・建築デザイン専攻(2011年度入学)
首都圏在住の男性。4歳のときに先天性の難聴と診断され、補聴器を使う生活が始まった。小中高と普通校で学んだが、大学進学にあたって聴覚障害者に特化した教育を行っている大学を選び、そこで手話を覚えた。子どものころから絵を描くのが好きだったので、大学・大学院では建築を学び、建設会社に就職した。設計の仕事は様々な立場の人とコミュニケーションをとる必要があり、電話や会議で苦労することもあるが、相手と良い関係性を作っていく努力が鍵だと考えている。
語りの内容
あと、サークルなんですけど、大学生の4年間と、4年間と大学院の2年間の6年間ずっと続けて、ダンスをずーっとやってたんですね。大学入ってやっぱり、かっこいい先輩が踊ってるのを見て、はまったんですけど。やっぱりダンスをやるってことは、何だろうな。すごいほんとに、耳、音楽を使うので、耳が悪くても、踊れるっていうことを発信するのが、ほんとにやっぱ楽しくて、もう一つは、普通のT(大学院の時の大学名)、 普通の健聴の大学の人と、ダンスの仲間をつくってて、やっぱその健聴の人と一緒に踊ると、音の取り方とかいろいろ考え方が違ってて、健聴の人のほうが、細かい、音を拾って、表現とかもすごい細かくなってくるので、そういうことを教えてくれると、なんかすごい音楽の視野がすごい広がって踊りも楽しくなって(ました)。
――なんかあのダンスのお話がすごい、ああっと思ったんですけど、ダンスってやっぱりストリート系のダンスですか。
そうです。
――ああ、やっぱり。ソーシャルダンスじゃないだろうなと思ったんですけど。
そうですね。
――そういうときは音楽はやっぱり、かけていて、それに聞こえる範囲でそれに合わせて踊るということですか。
はい。ダンスのジャンルもそうなんですけど、ポップス系の音楽で、ドン、ドンパンドンパンっていうのがはっきりするので、やっぱりそれに合わせて踊るみたいな感じがあって、すごく体に響くので、音楽のリズムをつかみやすかったっていうのがあります。
――当時は同じ聴覚障害を持ってる方で、そのダンスをしてる人っていうのはいらっしゃったんですか。
いました、いました。大学の中に、そのダンスの聴覚障害の学生が集まってサークルがあって、そこに入っておりました。
――その後、大学院に行かれてからは、耳が聞こえる方たちと一緒になさってたということですね。
そうです。はい。大学院の中でもサークルがあったので、そこに入って過ごしました。
理工系インタビュー08
- 大学院のゼミでは健聴者ばかりのディスカッションについていけなくて苦労した。代わりに先生とマンツーマンで指導を受けながら研究を頑張り、学年トップの成績を修めた
- 健聴者に配慮を求めながら対等な関係を保つためには、議事録になるような形でノートテイクをしてもらうなど、相手にもメリットがあるような提案をする必要がある
- 打ち合わせでは2人の人に協力してもらって、1人にはTeamsのコメント欄に内容を要約してもらい、もう1人にはスマホのGoogle音声認識アプリの字幕を表示してもらっている
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- 大学から大学院まで6年間、ダンスを楽しんだ。音楽は聞こえなくても踊れるのを発信するのが楽しく、特に大学院では健聴の人たちと一緒に踊り音楽の幅が広がって楽しかった(NEW)
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