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インタビュー時年齢:49歳(2019年4月)
障害の内容:視覚障害(全盲)
学校と専攻:大学・社会学部(1991年度入学)、大学院(1995年度入学)
関東地方在住の女性。小学校2年生まで普通学校に通い、その後中3まで盲学校。高校は普通学校に進学した。大学で一人暮らしを始め、盲導犬と一緒に暮らし始めた。大学院の時に、全盲学生で初めて東京都立の一般の高校で初めて教育実習を受けた。自分の母校の高校での実習はとても大変だったが、かけがえのない時間となった。現在は、全国的な当事者ネットワークである「全国障害学生支援センター」の事務局長をしている。
語りの内容
で、最初は何もなくて、炊飯器しかなかった。炊飯器だけしかなかった、電化製品。
――じゃあ、そこから徐々にそろえて?
そう。で、炊飯器しかなかったんで、1カ月ぐらい缶詰めと、缶詰め…、基本は。昼ご飯は学食だったんで、缶詰めとかで。電話も1カ月引けなかった。当時は電話、権利金っていうのが何か高かった、7万ぐらいしましたよね。引けない。だから電話もなく、炊飯器しかなかったんで…。
暖房器具もなくて、すごい寒いんですよ。そして、お金もないから…、ストーブが欲しいと思って、電気ストーブね、危ないから。生協で電気ストーブが何か5,000円ぐらいで売ってたんだけど、5,000円は買えないなと思ってずっと電気ストーブの前に立ってたら、生協のおばさんが「どうしたの?」、電気ストーブ欲しいんだけどって。で、「幾らだったら買える?」って、うーん、3,000円かなとか言って、「いいよ、3,000円で持っていきな」とか言って、2,980円か3,000円で持っていって、持っていっていいよって言って。
――すごい話(笑)。
とかね、そんな感じです。
――もう、でも本当にそんな、あの何ていう、ある意味サバイバルな感じで一人暮らしを始められて。
そう。それでおばあちゃんが、私、おばあちゃんっ子で1カ月電話引かなかったから電話をしなかったんで、電話引いたら毎日しばらく電話かかってきて、心配で。それで何かスープを、「スープがいい。スープは安い。ざ、材料安くてコンソメ1個あってお水があれば、お野菜何でもいいから入れてスープ作りな」って、「何日でも食べれるから、冬は」って言って。冬っていうか、まあ4月、5月だからね。4月。いや、もっと前に越して、冬に越したのかな。
それで、うんって言ってスープ作ったんだけど、その、コショウ。コショウの瓶は、上をふたをこう持ち上げて、ぱっぱって振るじゃないですか。分かります? 上のふたを上げてぱっぱって振るようになって。
あれを上げずに回して外して、分かります? 入れちゃったんです、分かんないから。
――ちょっと…、うん。あの、想像ができました。
すっごい入っちゃって、超辛くなって。でも、鍋いっぱい作っちゃったから電話して、おばあちゃんに、どうしたらいいんだ、「牛乳入れな」って言われて、で、アパートから歩いて一生懸命牛乳を1本買ってきて突っ込んで取りあえずマイルドになったかなみたいな、そういう生活。
インタビュー15
- 20年以上前の当時は、点字受験を認めているところしか受験せず、時間も“点字受験イコール1.5倍の時間延長”とほぼ決まっていたので、事前に大学側と交渉することはなかった
- 点字受験が可能かどうか1件1件電話で問い合わせて、受験できるところを受けた
- 自分の進学先はもともと既に視覚障害の方が在学されていて、自分の入学に際しても、大学側は四苦八苦しなかった
- 母校で行った教育実習では、ひとクラスを受け持って、合唱の指導も行った。最終日に生徒全員がメッセージを吹き込んだカセットテープをくれた
- 盲導犬の話を含めて自分の経験を語ったことがあり、これを聞いた人からの講師としての講演依頼をきっかけとして、いろいろな学校で有償で話をしたり授業をしたりするようになった
- 大学時代の友達の話から、障害のない人が、障害のある人に接することは大きな学びになることだと思った。だから、障害のある学生は堂々とキャンパスにいたらいいと思う
- 学校を動かすといった大がかりなことよりも、直接教員のところに行って質問をし、個別でやりとりをする方が心地よかったので、自分はそんなやりとりを続けていた
- 親の方針で高校生からボランティアとのやりとりは自分でやっていたので、大学でも困らなかった。ボランティアの人とは子どもや孫ほど年が離れており、大切にしてもらった
- 当時大学の教科書を読んでもらうのに地域の対面朗読のサービスを使っていたが、その最後の時間で、料理本のレシピや一人暮らし先に届く私信などを読んでもらっていた
- 大学で一人暮らしを始めたが、最初は電話や暖房器具もなくてそれを揃えるところから始めた。スープを作ろうと思ってコショウを一瓶分いれてしまったこともあった