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インタビュー時年齢:31歳(2019年6月)
障害の内容:肢体不自由(脳性麻痺)・言語障害
学校と専攻:教養学部(2009年度入学)
首都圏在住の男性。脳性麻痺による肢体不自由で、言語障害がある。介助用車椅子で生活している。子どもの頃は、九州地方で育った。小中は普通学校。高校が通信制で、そこで自分の時間が持てたことが新鮮だったので、大学も通信制を選び、人文学を専攻した。大学では芸術系の科目がとても面白かった。趣味の映画やライブに行くためにヘルパーを探し、そのことがきっかけで、現在は24時間のヘルパーを付けて一人暮らしをしている。
語りの内容
――一人暮らしをしようっていって決めて準備を実際してみて、どんなことがご自身にとっては大変だったなっていうのは何かありますか。
うーん、いろいろ、あったけど…、まずは…、あの、役所との交渉が、大変でした。自分が一人暮らしする場合はヘルパーさんに、多く、入ってもらわなきゃいけないんで。その、時間数の確保のために、何度も役所に通ってましたね。最初に行ってから、一人暮らしできるような体制になるまで、3年はかかりました。
――それは、こう制度的に何ていうんですかね、ご自身がこう24時間ヘルパーを付けて一人暮らしをするっていうことは、もうできている制度ではなくて、ご自身が交渉するっていう、そんな感じだったんですか?
そう、そうでした。うん。もちろん、ヘルパーを利用して一人暮らし、されている、か、方がいらっしゃるんですけど。まだ数は少ないっていうか、定着して…。そのように制度が…、あ、制度が使いやすくなってない。ので…、3年間は、そこを、うまく自分に合ったような工夫…、工夫をしてもらうために話し合いをしました。
――その場所探しみたいなのはスムーズにいかれたんですか?
それもやはり難しくて、まず…、障害があるっていうだけで、入居を断られるっていうケースもありました。うん。あと…、不動産屋さん自体が全く障害がある人間は、入居を想定していないんで。その辺に行った時点で、「ちょっと、うちは難しいですね」って言われちゃうから。そんなこともありました。
――で、そこで難しいというふうに言われてしまうとき、どんな思いになるんですか。
うーん、素直にかなりへこみます。うーん、そうですね。それを言われた日は、1日ブルーです。
――それでも、何回もそうやって、そういう断られたりしながら、やっぱり次に、次にっていうふうに、交渉をしていくというか、そういう感じだったんでしょうか。
はい。やっぱり、周りのヘルパーさんだったり、そういう、支援してくれる方たちが励ましてくれる。っていうのは一番大きかったです。それがなければ果たして最後に、最後までできたかっていうのは、分からないです。
インタビュー22
- 高校卒業時には、文章を書いたりカメラで映像を撮りたいと思ったが、バリアフリーでない専門学校で、満足に学べなかったら困ると思った
- 面接では最初に自分で話し、言語障害のためにうまく伝わらない部分をパソコンで入力して伝えた
- 高校受験の時に受験した高校から入学拒否に遭い、訴えるようなエネルギーもその時はなかったので、通信制の高校を選んだ(次のクリップに続く)
- 高校3年間通信制で学び、その時に自分の時間を大切にするという感覚を身に付け、これも悪くないと思って大学も通信制に決めた
- 高校で普通校に行っていた時は、周りに合わせるので精一杯だった。大学では自分で時間を作って学ぶことで、自分が興味のあることや好きなことを自覚することが出来た
- 大学以前は、健常者に合わせたカリキュラムの中で遅れたらいけないと思っていた。大学は自分で学んでいく場なので、障害のある人は自分らしさを見つめ直せると思う
- 自分の事業所のヘルパーは、指示なしでは動いてはいけないが、最初は指示の出し方もわからなかった。徐々に自分にできることが増え、実家では感じなかった満足感を感じる
- それまでは、学校でも人に負けたくないという意地があったが、障害のある他の人に会って人それぞれの頑張り方があることを知ったことで、自分自身をしっかり見つめ直せた
- スクーリングの際に会った人たちは年上が多く、自分が車椅子なので話しかけてくれるようなことがあった。年上の人から人生経験などを聞けたのが良かった
- 子どもの頃は、親も自分もひとりの時間が全く持てず、それが10代半ばくらいでだんだん辛くなり、親と離れて暮らしたいという気持ちが芽生えていった
- 当時は24時間ヘルパーをつけて一人暮らしをしている人も少なく、役所との交渉も大変だった。不動産屋で断られるととても落ち込んだが、周囲の人にとても励まされた