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インタビュー時年齢:49歳(2019年4月)
障害の内容:視覚障害(全盲)
学校と専攻:大学・社会学部(1991年度入学)、大学院(1995年度入学)
関東地方在住の女性。小学校2年生まで普通学校に通い、その後中3まで盲学校。高校は普通学校に進学した。大学で一人暮らしを始め、盲導犬と一緒に暮らし始めた。大学院の時に、全盲学生で初めて東京都立の一般の高校で初めて教育実習を受けた。自分の母校の高校での実習はとても大変だったが、かけがえのない時間となった。現在は、全国的な当事者ネットワークである「全国障害学生支援センター」の事務局長をしている。
語りの内容
普通はホームルームを受け持つのは(授業をするのと)同じ学年って決まっているんですけど、ちょっと私だけ例外で、私が(母校の高校)1年生のときに受け持ってくださった先生も残ってて、その先生が「うちのクラスを持て」って急に言って。「うちのクラスを持て」って何か言われて、1年生なんですけど、そのクラスを持つことになって。授業を持っていないクラスなんですけど1年生の授業じゃない、ホームルームを持って。
しかも、あの合唱祭っていうのがうちの学校はあって、その合唱祭の練習は実習生の役目っていうか、実習生が当たるホームルームのとこは、(実習生の)先生が教えなきゃいけない、指導しなきゃいけないんです。合唱祭だったらすごいラッキーで、指導しました、すごい本気で。そうしたら、(担当した)1年生で一番得点が上がっちゃって、優勝しちゃったの、1年生で。
で 、その合唱祭の次の日が教育実習の最後の日だったんですね。教育実習最後に何か反省会みたいなのがあるんですよ、実習生とその、何か全体で。で、あの反省会みたいのがあって、まあ、そこに出席しなきゃいけないから出席して終わったら何か、その私の持った1年生のクラスの子が、外で待っているって言うんですよ、その廊下で1人。
で、「先生、ちょっとよかったら来てほしいんですけど」って言われて、教室に呼ばれたんです。もう5時半ぐらいだったんですよ。もうとっくにみんな帰っている時間だと思ったんだけど、行ったら1人欠けることなく全員で残って、待っていてくれて。で、そこで何か花束と、あのカセットテープをくれたんですよ。
「先生、絶対これはおうちに帰ってから聞いてね」って言われて、家に帰ってそのカセットテープを聞いたら、その日ね、その最終日の日に全員で示し合わせて集まって、1人ずつそのカセットテープの前に出てメッセージを全員が入れてくれて。
しかも途中、誰か1人号泣しちゃったら、もうその後、もう何かクラスで全部号泣しちゃって、それで、その後「ちょっと中断」とか言って、また「再開」とか言って、そのカセットテープに入ってて全員、男の子も女の子も全部ですよ。全員入ってて。
しかもみんなの前でだからね、何かすごい大変だと思うんですよ、みんなの前で順番に何か出席番号順にずっと何かしゃべって、しゃべってくみたいな感じでずっとしゃべってって。何かもう1人泣いたら、みんな泣いちゃう。男の子だったんでね、しかも泣き始めちゃったのは。それで何か、泣いちゃってみたいな感じで「中断します」とか言って、「再開します」とか言って、何か入れてくれてて。
しかも、それを渡すためにみんなで、待っててくれて、最後に「先生、頑張ってね。先生になってね」とか言って。多分その先生になれないかもしれない、(当時は、)その教職の免許を取れるかも分かんないし、ましてや教員に採用されることだってもう多分ないんじゃないかなって思ってて、それも生徒に話したことがあるんですよね。現実は分からないんですって、その制度的にまだ整ってないからって。
そうしたら何か、そういうのもテープで何か「(先生が免許を取れることが)そういうことがなかったとしても、僕たちにとっては先生は先生です」とか言って、言ってくれて。「もう先生は先生だから、もし先生が教職を取れなかったり何か先生として、仕事に就けなかったとしても、先生は1年うん組の先生です」って言ってくれたのが本当にうれしかったっていう。
インタビュー15
- 20年以上前の当時は、点字受験を認めているところしか受験せず、時間も“点字受験イコール1.5倍の時間延長”とほぼ決まっていたので、事前に大学側と交渉することはなかった
- 点字受験が可能かどうか1件1件電話で問い合わせて、受験できるところを受けた
- 自分の進学先はもともと既に視覚障害の方が在学されていて、自分の入学に際しても、大学側は四苦八苦しなかった
- 母校で行った教育実習では、ひとクラスを受け持って、合唱の指導も行った。最終日に生徒全員がメッセージを吹き込んだカセットテープをくれた
- 盲導犬の話を含めて自分の経験を語ったことがあり、これを聞いた人からの講師としての講演依頼をきっかけとして、いろいろな学校で有償で話をしたり授業をしたりするようになった
- 大学時代の友達の話から、障害のない人が、障害のある人に接することは大きな学びになることだと思った。だから、障害のある学生は堂々とキャンパスにいたらいいと思う
- 学校を動かすといった大がかりなことよりも、直接教員のところに行って質問をし、個別でやりとりをする方が心地よかったので、自分はそんなやりとりを続けていた
- 親の方針で高校生からボランティアとのやりとりは自分でやっていたので、大学でも困らなかった。ボランティアの人とは子どもや孫ほど年が離れており、大切にしてもらった
- 当時大学の教科書を読んでもらうのに地域の対面朗読のサービスを使っていたが、その最後の時間で、料理本のレシピや一人暮らし先に届く私信などを読んでもらっていた
- 大学で一人暮らしを始めたが、最初は電話や暖房器具もなくてそれを揃えるところから始めた。スープを作ろうと思ってコショウを一瓶分いれてしまったこともあった