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インタビュー時年齢:22歳(2019年7月)
障害の内容:肢体不自由(脳性麻痺)
学校と専攻:大学・人間福祉学科(2015年度入学)
九州地方在住の男性。脳性麻痺による肢体不自由で、外では電動車椅子、自宅では手動車椅子で生活している。大学で社会福祉系の学部へ進学したが、大学側からの配慮が十分でなく、授業や実習、学生生活においてとても苦労した。だが、周囲の友人の大きな支えがあって卒業できたのは、とてもありがたかった。現在は社会福祉士の国家試験を目指して、勉強中。
語りの内容
今でもはっきり覚えてるんですけど、実習はもう、実はトイレ介助が必要で、トイレ介助とかいろいろなもろもろの支援が必要で、(介助が)必要な学生で、それ社会福祉士の相談援助実習に行くのは…、初だった。
もちろん今までいろんな、あなたとは違う車椅子の学生だったり、いろんな障害学生が実習に行ったけども、こういう支援がちょっと必要で実習に行くっていうのはあなたが初だと(大学から)言われて、ちょうど3年生に実習行ったんですけど、3年生に上がる前のちょうど2年生の終わりの春休みのときに…、あなたが初だから…、頑張ってねって軽い感じで知らされて…、うそでしょ(と思った)。
正直、自分の中では初って聞いて、初ってどういうことみたいな。だから、大学側は何も知らないから自分で頑張ってねみたいな…っていうことを春休みに一方的に言われて…、は?…、どういうことですか。初だから何もしないってどういうことですかって…、思って…。動揺したまま3年生始まって…、ほんとに、私だけ実習に当たっての面談を親と呼ばれて…、えっとー…、さっき話に出たこの障害学生を支援する部署の室長、学科の…、教授でもあるんですけど、その先生と指導教授と、そのー、支援する部署の職員になんかいきなり、実習に当たっての面談があります。なんかいきなり呼ばれて行って、「ほんとに行く気あるの、やる気あるの」っていきなり始まって、いや、あるから、あるからここにいるわけであって…、「実習は地獄だよ。並大抵のものじゃないよ」…って。そんなの分かってるし、「普通の職場体験じゃないんだからね」みたいな感じで言われて、いや、分かってますよ。分かってるからこっちにいるし、大変なのは知ってるから、知っててこっちにいるわけで…、…いるのに、何を言ってるんだろう。
当時、すごい眠れなかったんですよ、怖くて。もう手を借りないようにしないといけない。でも、実習が始まる。こんな長い期間、どうやって生き延びたらいいんだろうみたいなこともあって、私、何だろう。死ねって言われてるのかなっていう感じで…、もう途中から何のために実習をするのか分からなくなってくるんです…。
(実習の)日誌も、日誌も書いてるんですけど、取りあえず何事もなく後ろにつなげなきゃいけない。自分が失敗したらここで終わってしまう(後輩の当事者学生が実習行けなくなる)し、大学のメンツにも関わる…。失敗はできないから、何とかつないで、つないで意地でも終わらせなきゃいけない。これが私のもうなんか、やらなきゃいけないことみたいな感じになってしまってきて、何してるんだろう、これ…。
インタビュー23
- 車椅子で日常生活に介助が必要で、将来親がいなくなった後まずいんじゃないかなと思い、自分のために制度のことを知っておいたほうがいいと思った
- 小さい頃から一緒にリハビリなどをしていた車椅子の先輩がその大学にいて、困ったら助けてと言えると思い、その大学を選んだ
- 大学からは、介助をつけて実習に行く人が初めてなので頑張ってと言われてしまい、当時は夜も眠れず、後輩に迷惑がかかると思うと失敗もできないと思っていた
- 健常者の同期生と福祉の就職フェアに行った時、自分だけ利用者向けの説明をされた。どのように現場で仕事をするつもりかと聞かれ、自分は厄介者のお荷物なのだと実感した
- 大学では苦しい経験もたくさんしたが、上級生や友人のおかげで卒業できた。自分のことを気にしてくれる人がいるかどうかで、大学時代が変わってくる
- 大学からの代筆サポートが十分でない時は同期生に依頼するなどしたが、それを職員に咎められた。自分としては人に頼むことも「自立」なのに、おかしいと思った
- トイレ介助に関してもヘルパー制度が十分でなく、他の障害学生とヘルパーを取り合うような形だった。友人に介助を頼むと、その人が職員から怒られてしまうこともあった
- 自分を受け入れてくれた同級生や後輩、上級生などの存在はとても大きかった。大学を辞めたいと思ったときも声をかけてもらうなど、そんな友達に出会えたのは初めてだった