インタビュー時年齢:42歳(2019年10月)
障害の内容:重複障害(視覚障害(全盲)、上下肢の肢体不自由、てんかん、発話障害)
学校と専攻:大学・社会福祉系
九州地方在住の女性。未熟児で生まれ、視覚と下肢の肢体障害、てんかんがあった。また出生時から呼吸器が弱く声が出にくく、20歳頃からは発話はパソコンで行っている。高校までは視覚の特別支援学校で学び、大学は通信制に入学し、社会福祉を学んで社会福祉士の受験資格を取得した。卒業までの期間は15年ほど。32歳頃に先天性股関節不全症があることが分かり、現在は電動車椅子を使用している。
語りの内容
社会福祉士の資格を取るには、援助技術、現場実習っていうのをやらないと、受験資格がもらえないことになっていて、私がいたときは、まだ楽なほうだと思いますが、取りあえず実習先は、条件だけ出すので、あとは自分で探してください、だったので、まあ探しました。
ただ、できないことだらけの私が、実習なんかできるのかって真剣に思いましたし、実際、重複(障害)だと、どこ行っても断られるんです。
例えば、それこそ、てんかんの施設に実習にお願いしたときは、露骨に、てんかんがあるから駄目だと言われました。今だったら考えられないことだと思うんですけど、そんなことを言った人がいました。あとは、もう露骨に、断りはしないけど返事もしない、っていうところが多かったですね。
――ご自身としては、そうやって露骨に何か断られたり、返事もしないみたいな、そういうことに遭ったとき、どういうふうに思われるんですか。
これが日本の福祉かよ、あり得ねえ、以上!ですかね。
――こういう状況になって結局、実習はどうされたんですか。
結局、もう実習は無理だから、実習はしないで卒業して、実習先が見つかったら、また実習だけの単位を取ろうと覚悟しました。でもその後、新設の施設が、新しくできるということで、そこと関わっていましたので。
また、たまたま、(その施設に)社会福祉士がおりましたので、そこで受けていただきました。私は元々その(自立生活に関する)活動が好きだったので、好きなところで実習ができたことは、本当に良かったと思います。
インタビュー33
- 声が出にくいのでパソコンで筆談をしていたが、当時はパソコンを使うことに否定的な風潮が強かったので、面接がない入試の大学を探した(テキストのみ)
- 入学に際して大学(通信制)から、何も配慮しないがそれでもいいという誓約書を書くように言われ、送られてきたテキストも資料もすべて紙で大変だった(テキストのみ)
- 社会福祉の実習先を探したが、重複障害だとどこに行っても断られた。てんかんの施設でも、自分にてんかんがあるから露骨にだめだと言われてしまった(テキストのみ)
- 障害者が福祉の担い手を目指すと、障害があるのに偉いねという言われてしまうこともあるが、実習では福祉の専門職として見てもらえて、厳しかったが良かった(テキストのみ)
- 大学前は健常者と一緒に学んだことがなく、健常者と学んでしかも対等に評価されることがなかったが、大学で学んだことで、真の平等について考えた(テキストのみ)
- 自分が持っている価値観や文化が当たり前ではないので、そうじゃない人がいたときに、何かができない人ととらえるのではなく、文化が違うととらえてほしい(テキストのみ)
- 配慮がない中で必死に続けたのは、「やっぱり無理だった」と言われたくないという親への意地だった。卒業証書が送られてきたら、親はとても嬉しそうにしていた(テキストのみ)