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インタビュー時年齢:42歳(2019年4月)
障害の内容:聴覚障害(難聴)
学校と専攻:大学・政治学(1996年度入学)、大学院(2000年度入学)、アメリカPh.D.プログラム(2006年度入学)
関東地方在住の女性。小学校低学年の時に、担任の先生に言われて感音性難聴だと分かり、中学あたりで徐々に聴力が下がった。小さい頃から政治に関心が強く、研究者になることを決めていた。大学では政治学を専攻し、勉強以外ではサークルやアルバイトも楽しみ、その後、大学院に進学して日本とアメリカの両方で博士号を取得した。現在は、大学に研究職・教員として勤務。夫と聴導犬と一緒に暮らしている。
語りの内容
英語の、学部最初の2年間は英語の授業でリスニングもあったんですよ。試験もあったんですけど、あの、なあなあで終わってしまったので、私は学部時代の英語の成績がA取れていないんですけど、リスニングのせいで。
――それはリスニングも何かに置き換えるとか、そういうこともなく?
置き換えがなかったんですよ。で、さすがに、あの、(入試の時に英語の間にスペースがない文章を渡されたという)変な試験ではなかったんですけど、別室でイヤホンすれば聞こえるって言われて、いや、そういう問題でもないと思いつつ、こっちは何かこう反論するような客観的な資料とか、材料とか一切当時持ってなくて、今でもそうだと思うんですけど、聞こえない人はどこまで聞こえてて、英語が聞こえるのか、聞こえないのか、第二外国語が聞こえるのかっていうのが客観的な資料ってなかなかないので。
で、学生のときにそれを先生に見せるのも難しくて、なのでそのままヘッドホンで分からないな、って思いながらリスニング受けたんです。
――実際、その教員側は、それを準備した人は、ご自身はヘッドホンをすれば聞こえるだろうって思ったんですか。
自分では…、いや、(聞こえるとは)思わなかったんですけど、聞こえるわけはないと思いつつ受けてしまって。
――実際聞こえないんですよね。実際。
音は聞こえるけど、やっぱ何を言っているかは分からない。で、それ自分の努力が足りないせいなのか、本当に聞こえないのか自分で判断できないから、反論していいのかどうかも分からない状態ですね。いつか英語が本当に聞き取れるようになるのか、努力が足りないのかっていうのが自分では分からない。
――それって、すみません、私がその聴覚のことがあんまり分かってないからちょっと聞いてしまうんですけど、音が聞こえているけど、その、言葉として理解ができないっていう感じなんですか?
あの、多分母音しか聞こえてないって言ったほうが分かりやすいかもしれない。
――母音?
あの、母音だけ。子音はほとんど聞こえていない状態。あと、音は聞こえてるけど子音が聞こえてないから、何か判断ができないみたいな。
――じゃあ、音が何か鳴っているけど全然言葉としては分からない?
ですよね。自分の頭の中にある音と、言葉と音が結び付かないから。例えば、日本語で「こんにちは」が、「おんいいあ」みたいな感じになるので。
――それでも、別室受験は別室受験だったんですか。
うん。いや、私が当時そうやって(結局その形式のリスニング試験を2年間受け続けて)なあなあで済ませてしまったがために、その後に続く学生たちも同じような、試験を受けさせられてて、そこは大変申し訳なかったと思ってます。
インタビュー14
- 病院の先生に、(聴覚障害があることで)大学に行くなら理系がいいと言われたが、自分の興味は政治学だったので、選択を誤ったとは思わなかった
- 事前に聴覚障害のことを大学に伝えたところ、英語のリスニング試験でいきなり、英単語の間のスペースを除いた英文を渡され、あとは全て他の学生と同じでとても困った
- 授業では、個人的に先生にFMマイクを付けてほしいとその都度お願いしていた。他の学生と違うのは遅刻しないで授業へ行っていたくらいで、他は思いつかなかった
- 英語のリスニング試験は、なぜかヘッドホンをつけたら聞こえると思われていた。結局2年間、音は聞こえるが何を言っているかはわからないまま、別室受験を続けた
- 耳が悪く留学は無理だと思っていたが、アメリカで博士号(Ph.D.)を取った指導教官に影響されて挑戦した。障害学生のためのサービスを知り、自分も留学できると思えた
- アメリカでは、耳が聞こえない人が使うサービスがすでにメニュー化されていて、その中から選べばいいという状態だったので楽だった。日本とは学生の負担が違うと感じた
- 最初に目指していた大学院については、「聞こえないからはねられた可能性もある」という話もあった。だが結果的には、受け入れてくれた大学で学べて良かったと思っている
- それまで全く未経験だったがバスケットボールのサークルに入った。聞こえないことで周りが困ったかもしれないが、単に「鈍い人」みたいな感じでやっていて、自分はそれなりに楽しかった
- 自分に障害があって人から何かしてもらうことも多いけれど、自分も何かしてあげられるかもしれないと思ったのが、介助のアルバイトを始めたきっかけだった
- アメリカの大学では、1対1なら手話通訳なしで大丈夫で、電話ができなくても代わりにチャットで会話できると、何ができるかを積極的にアピールするようアドバイスを受けた
- 今の障害学生は支援があって恵まれているかもしれないが、支援があるために言い訳ができないといった苦労もあるので、昔と比較して、昔よりましだと思う必要はない