海外留学

日本学生支援機構の日本人学生留学調査では、近年海外へ留学する学生の数は増加しています。
今回のインタビューで留学経験について話した人は、インタビュー時の年齢が30~40代で、留学時期は90年代の終わり~2010年代半ばでした。学部の時に短期で留学した人や、卒業後に留学した人、学位プログラムに参加した人など、留学の種類は様々ですが、いずれも留学先はアメリカで、障害のある人の学びやすさや暮らしやすさについて話した人が多くいました。

留学のきっかけや留学準備

留学のきっかけについては、たまたま語学の必修クラスの担任から留学プログラムの紹介があった人や、大学院の指導教官に影響されて留学を決めた人、また、卒業後自分の仕事に悩んでいたときに、チャンスが巡ってきたという人もいました。
上下肢に麻痺のある肢体不自由の男性は、学部の1年生の時に3週間の留学を体験し、楽しかった思いを話していました。

普通校の小中学校を経て高専で学んでいた弱視の男性は、高専で非常に手厚い配慮を提供されて消極的になった自分を変えたくて、留学を決めたと話していました。

次の聴覚障害の女性は、大学院生の時に指導教官の影響で、アメリカの大学院に留学することを決めたそうです。また留学前に参加したプログラムで障害学生への手厚いサポートを経験し、留学を後押しされた経験を話しました。

視覚障害の和太鼓奏者の男性は、大学卒業後に仕事をするなかで迷いや不安を覚えたとき、留学する機会を得たことを話していました。

日本との違い

今回インタビューで留学について話した人は、全員行き先がアメリカでした。時期は様々ですが、大学の障害学生支援の体制や、街での障害のある人に会ったときの反応などについて、日本との違いを話す人が多くいました。

次の聴覚障害の女性は、障害のある人へのサービスがメニュー化されていた話をしていました。

視覚障害の男性は、街を歩いていると、ごく当たり前に誘導やサポートを申し出てくれる人に会った体験を話していました。

また日本で手厚い配慮を受けていた視覚障害の男性は、アメリカではできないときに助けを求めると自然に助けてくれる環境だったと話しています。

聴覚障害の女性は、アメリカでは自分でできることが多く、情報保障の重要性を感じたことを話していました。

高校時代にカナダに留学した経験がある吃音の男性は、英語だと吃音症状が出ないことや、授業のクラスに障害のある生徒が当たり前にいる環境を話していました。

自分の障害を意識した経験

多くの人が、ノーマライゼーションの先進国と言われるアメリカでの、障害のある人の学びやすさや暮らしやすさについて話をしていましたが、なかには、自分の障害をあらためて意識した出来事について話した人もいました。

視覚障害の女性は、大学3年生の時に短期留学をした際、それまで自分でできていたことができないという経験をしたことを話していました。

聴覚障害の女性は、大学院進学にあたって、希望していた大学院への進学がかなわなかったのは、TOEFLのリスニングで点数をとれなかったことと関係していたかもしれない、と話していました。

留学で学んだこと

留学で学んだことについて、学問的なことや知識はもちろんのこと、障害のある人を取り巻く考え方や、障害のある人に対するサービスについて、実際に体験したことの意義を話す人がいました。

視覚障害の男性は、障害があるというだけでは話を聞いてくれない環境を体感したり、アメリカで障害のある人への政策等について、今、何が議論されているかを学べたと話していました。

日本の高専で手厚い配慮を受けていた視覚障害の男性は、留学を経て自分に必要ない配慮は断れるようになった体験を話していました。

次の聴覚障害の女性は、留学中に手話についての学術的な研究に触れ、それを博士論文につなげた体験を話していました。

留学を断念した経験

現在では、TOEFLやGREなど留学のための資格試験に関して、例えば、コンピューターを用いて試験を受ける場合の画面の拡大表示や色の変更など「技術面の対応」、音声案内の手話通訳や、回答に筆記者をつけるなどの「専門家による援助」、試験時間の延長や休憩時間の追加、Speakingセクションの省略、Listeningセクションの省略などの「適応面での対応」などがあります。

しかし、90年代後半に留学をした肢体不自由の男性は、留学の機会を得るための資格試験で点数が取れず、留学を断念したことを話していました。

2021年1月公開 2022年4月更新

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