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インタビュー時年齢:34歳(2019年7月)
障害の内容:視覚障害(全盲)
学校と専攻:大学・社会福祉(2003年度入学)
中部地方在住の男性。生まれつき弱視で、小学校は普通学校に入学し、10歳で全盲になったため、5年生で盲学校へ転校。その後、高校卒業まで盲学校で過ごした。大学は福祉系に進学し、実習等を経て社会福祉士の資格を取得した。小6の時に出会って続けてきた和太鼓を仕事にする傍ら、社会福祉士の資格を活かして講演活動を行っている。
語りの内容
僕の演奏活動や講演活動というのが、大学卒業して間もないときから結構順調にいきまして、少なくない出演料を頂いて、あちこち伺うというようなことが、もう1年、その活動を始めて1年、2年ぐらいした頃には比較的、普通というかコンスタントに、なかなかに大きなお仕事を頂いてっていうことは、続いていたんですけれども。
ふとしたときに、その、例えば、その頃僕が話していたことというのは、小学校4年で失明した自分が太鼓と出会って、いろんなご縁の中で、その今日、太鼓打ちとして人前に立てているんだっていう、非常に言葉は悪いかもしれないですけどステレオタイプのこう障害のある音楽活動といいますか。
それは何かもう過去だけで商売をしているような感覚というか、今の自分ってどうなんだろうっていうふうに考えてしまって、うーん、中身が薄いなという漠然ともう、何やっているんだろうっていうようなことを、えーと、活動が始まって3年目ですね、2009年の頃にすごくその悩みまして。
でも…テレビに出させていただいたりした影響で、どんどんその、大きなお仕事がきて。で、時々その仕事がすごく評判が良かったはずなのに、ちょっとネットで調べてみると、そこに居合わせた方、その演奏を聴いていたであろう方が、すごく僕のことを、こき落としている、文章と巡り合ってしまったりとかっていうことがあって。
で、まあ、ショックも受けつつ、でも、もう僕の実力ってこんなもんなのかもなっていうことをすごく、思っていて。実力に伴わない状況に自分が今、状況のほうが先にいってしまって、実が伴っていないんじゃないかなっていうことをすごく考えていた頃に、たまたま太鼓仲間の一人というか、太鼓仲間のご夫婦が、アメリカで学者をしていまして、彼らが一度みんなでアメリカにおいでよというふうにお膳立てをしてくれて、演奏のこうツアーを組んでくれたんですけれども。
(その時にニューヨークでジャズを見たり、アメリカの大学を見学させてもらう体験をして、)自 分が、考えたこともなかったような世界が存在しているんだということを、当時は、僕は海外って行ったことはなかったので、その本当に、世界って広いんだなっていうようなことを思いまして。
で、まあ、もしかしたら海外にしばらくいるという経験をすれば、まあ一つ大きなチャレンジにもなりますから、それを経た自分として語れること、それから演奏とかもいろいろ変わるんじゃないかな、なんていうことを、まあ、考えて、渡米を決意しまして。で、幸いその、奨学金というか、ご助力いただける所にも、合格ができまして、渡米を実現するんですけれども。
インタビュー24
- 小5で転校した盲学校で知的障害の友人ができたが、彼らに向けられる社会の目を感じ、そういう社会を知りたいと思って社会福祉を選んだ
- 大学の説明会で、紙のパンフレットが読めないと伝えた時の対応が非常に素早かった。キリスト教のヒューマニズムが事務の方にも息づいているのを感じた
- 点訳の手配を自分でやるのが大変で、学科の教授に相談したら「それはそうだ」と言ってくれて、事務方が点字図書館と連携して教科書や資料を点訳してくれるようになった
- 大学に点訳を求める際、理論武装をしてから伝えようと思い、学生は「学ぶこと」を努力する存在だが「学ぶために」努力をしているのは違うのじゃないかと大学に伝えた
- 資料の点訳やデータ化は、時間がないときは自分でボランティアに頼んだが、それ以外は卒論執筆のための文献のテキストデータ化も含め、すべて大学が手配してくれた
- ジェンダー論についての講義で、CMを観てジェンダー論的な視点で論じよという課題が出たが、CMは視覚情報なので、自分はそれを音楽に替えてもらった
- 知的障害関係の施設で実習を希望したが、どのように実習ができるかを施設の職員に見せるため、プレ実習ということで1年前から施設に通った
- 知的障害のある方の施設では、白杖で利用者さんを転ばすのではないかなど不安があったが、施設内の移動では利用者さんに誘導をしてもらって実習を行った
- 実習は常に不安で、何かよくないことをしてしまった場合、せっかく動いてくれた教授たちの努力も無に帰してしまうというプレッシャーがあった
- 大学卒業後の演奏や講演活動は順調だったが、10歳で失明した自分が太鼓と出会ったというステレオタイプな話をしていることに疑問をもっていた時、留学の機会を得た
- アメリカではごく当たり前に誘導やちょっとしたサポートを申し出てくれる人がたくさんいて、一度カウントしたら15分間に6人の人が声をかけてくれたことがあった
- 日本の感覚だと、障害に関する授業では自分に質問されるので待ち構えていたが、アメリカではそれはなかった。でも障害者に関してアメリカで話題になっていることを学べた
- アメリカで“一般学生が行っていることで、障害を理由に行えないことはない“と言われた。障害で不利益を被るのは仕方ないという意識がおかしいと、日本は自覚してほしい
- 洋服を買いに行くのに周りの友達に頼んでも良かったはずだが、当時は、おしゃれでありたいけれどそれを独力でできない自分を知られたくなかったのか、抵抗や遠慮があった
- 会った当時、友人らは障害のある自分にどうしたらいいのかと話し合っていたらしいが、そのうち、どうでもよくなるような感覚で、非常にオープンにかかわってくれた