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インタビュー時年齢:34歳(2019年7月)
障害の内容:視覚障害(全盲)
学校と専攻:大学・社会福祉(2003年度入学)
中部地方在住の男性。生まれつき弱視で、小学校は普通学校に入学し、10歳で全盲になったため、5年生で盲学校へ転校。その後、高校卒業まで盲学校で過ごした。大学は福祉系に進学し、実習等を経て社会福祉士の資格を取得した。小6の時に出会って続けてきた和太鼓を仕事にする傍ら、社会福祉士の資格を活かして講演活動を行っている。
語りの内容
ア メリカは、まあ、バリアフリーだし、ユニバーサルデザインが浸透している分、その視覚障害の学生がそばにいても、ごく当たり前にサポートもするけれども…、本人にやる気がない以上はべつに特に手を伸ばす、その、サポートしてくれる気もないというか、だったので、僕が、ぽつんと、その何も語れずに、ディスカッションの輪の中に黙って座っていても、えー、物事はどんどん動いていく。
僕は、その日本にいる感覚だと、例えば障害についての、こう授業の輪の中に、障害当事者がいると、で、しかも外国人なので、「あなたの国ではこういうことについてどうなの?」というようなことを聞かれるんじゃないかと思って、聞かれたときに何かを言えれば、どうにかなるんじゃないかっていうふうに思って、ずっとこう待ち構えていたんですが。
で、なおかつ、ずっと(太鼓奏者として仕事をしており)その人前に立つ仕事をさせていただいていたので、何かその聞いてもらえるというふうに思い込んでいたんですけれども…、もう本当に心底、研究に打ち込んでいるアメリカの大学院生たちは、人に渡す発言の時間なんてないんだと言わんばかりに隙間なく、もうみんな語り続けますから、ただ、ただ、僕は取り残されていくだけ、で、しかも、(英語力が不足していたので)何の話をしているのかもよく分からない、そんな経験ばかり正直、その1年間していました。
それでも、例えば、日本語で言う、統合教育、向こうではインクルーシブエデュケーションというのが、法律の変遷がどんなふうになっていて、今はどんなことについて、議論がなされているのか。例えばその、アメリカで言うところのインクルーシブエデュケーションというのは障害が有る子も無い子も一緒とかっていうレベルではなくて、障害が有る子、無い子、黒人、白人、宗教が違うとか、英語が母国語かそうじゃないか、そういういろんな本当に多様な子供たちが一緒に学べるような、ツールってどんなものがあるだろうかっていうことについて、話し合っていたり。
あ るいは今日本では、一緒にその、障害が有る子も無い子も学んでいけるにはどうしたらいいだろうかみたいなことについて、長くこういろんな、例えば医療的にケアが必要な子についてどうしたらいいだろうかなんていうことについて、ずっと話し合いがなされて何十年もたっていると思いますけれども。
そういう、こう医療的なケアが必要な子供たちを、学校で受け入れるために、その看護師、ナースが常駐している必要があるんじゃないかみたいな話は、アメリカは確か20~30年前にそんな議論を終わっていて。今は…、えー、スペシャルニーズのある子供たちの親御さんが、例えばその子供のサポートを、依頼していくために同じような書類を何枚も、何枚も書かなきゃいけないっていうのは親にとってものすごく負担ではないか。だから似たような書類っていうのは、もう極力なくそうっていうその書類、親が書く書類を減らそうみたいな、所を、最近の。まあ、最近といっても僕が渡米したのは、もう10年近く前なので、もう今はもっと、もっと先にいっているんでしょうけれども、
その障害者であることで、何かを利用できないとか、ここの、建物に入れないとか、利用はできないみたいなことっていうのが、もうアメリカでは当たり前のように差別だというふうに定義付けているんだけれども、まあ、日本はいまだにそれを差別だというふうな定義付けすら、こう、できなかったり、えー、一般、あの法律でしていたとしても、一般の社会の中でこれは差別だよねというような共通認識がなされていなかったりというような、(アメリカと)日本とのやはり隔たりというのは、学問的にも学ぶことができましたし。
インタビュー24
- 小5で転校した盲学校で知的障害の友人ができたが、彼らに向けられる社会の目を感じ、そういう社会を知りたいと思って社会福祉を選んだ
- 大学の説明会で、紙のパンフレットが読めないと伝えた時の対応が非常に素早かった。キリスト教のヒューマニズムが事務の方にも息づいているのを感じた
- 点訳の手配を自分でやるのが大変で、学科の教授に相談したら「それはそうだ」と言ってくれて、事務方が点字図書館と連携して教科書や資料を点訳してくれるようになった
- 大学に点訳を求める際、理論武装をしてから伝えようと思い、学生は「学ぶこと」を努力する存在だが「学ぶために」努力をしているのは違うのじゃないかと大学に伝えた
- 資料の点訳やデータ化は、時間がないときは自分でボランティアに頼んだが、それ以外は卒論執筆のための文献のテキストデータ化も含め、すべて大学が手配してくれた
- ジェンダー論についての講義で、CMを観てジェンダー論的な視点で論じよという課題が出たが、CMは視覚情報なので、自分はそれを音楽に替えてもらった
- 知的障害関係の施設で実習を希望したが、どのように実習ができるかを施設の職員に見せるため、プレ実習ということで1年前から施設に通った
- 知的障害のある方の施設では、白杖で利用者さんを転ばすのではないかなど不安があったが、施設内の移動では利用者さんに誘導をしてもらって実習を行った
- 実習は常に不安で、何かよくないことをしてしまった場合、せっかく動いてくれた教授たちの努力も無に帰してしまうというプレッシャーがあった
- 大学卒業後の演奏や講演活動は順調だったが、10歳で失明した自分が太鼓と出会ったというステレオタイプな話をしていることに疑問をもっていた時、留学の機会を得た
- アメリカではごく当たり前に誘導やちょっとしたサポートを申し出てくれる人がたくさんいて、一度カウントしたら15分間に6人の人が声をかけてくれたことがあった
- 日本の感覚だと、障害に関する授業では自分に質問されるので待ち構えていたが、アメリカではそれはなかった。でも障害者に関してアメリカで話題になっていることを学べた
- アメリカで“一般学生が行っていることで、障害を理由に行えないことはない“と言われた。障害で不利益を被るのは仕方ないという意識がおかしいと、日本は自覚してほしい
- 洋服を買いに行くのに周りの友達に頼んでも良かったはずだが、当時は、おしゃれでありたいけれどそれを独力でできない自分を知られたくなかったのか、抵抗や遠慮があった
- 会った当時、友人らは障害のある自分にどうしたらいいのかと話し合っていたらしいが、そのうち、どうでもよくなるような感覚で、非常にオープンにかかわってくれた