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インタビュー時年齢:25歳(2019年7月)
障害の内容:肢体不自由(脳性麻痺)
学校と専攻:大学・教育(2014年度入学)
関西地方出身の男性。脳性麻痺による肢体不自由で、手動車椅子を使用している。小中高までは普通学校で過ごし、大学は特別支援教育を学べる大学に進学した。山の上にあった大学はバリアも多かったが、約2か月の教育実習も行い、充実した学生生活を送った。自分が当事者として感じてきたことをもっと深めたいと思い、現在は関東地方の大学院で肢体不自由者について学んでいる。
語りの内容
うちの大学はですね、エスカレーターが3基付いていまして、山の上に登るために、歩ける学生はそれを使って上るんですけど、当然車椅子は無理なので。残った手段が先ほどのバスか、上まで続く山道をこう歩いて行くかっていうことなんですけど。
バスは、まあ、7時で終わってしまうので難しいかな。で、じゃあ、山道を歩いて行くかっていうことになったときに、あの車道なんですね。車道なんで電動(車椅子)じゃ行けなくて、なかなか、そこに歩道を造ってくれみたいな話は(大学に)ずっとしてたんですけど、金がかかるてことになって、なかなか、難しかったです。
――交渉をして、やっぱりそのお金の額がっていう感じで、難しいかもしれないっていうとき、ご自身としてはどんな思いでいらっしゃるんですか。
何でできねえんだろうっていう感じでした。本当こう、ちゃんとした言葉で言えば「過度な負担」ということになるんですけど、それをどうとらえていくっていうのが、まだ、(当時は)なかったんだろうなとは思います。
やっぱりこう、そのさっきの大学のそのすごくバリアフルだったときに…、だったことを、交渉をやっているときに、僕はこう困っているんだっていうことしか言わなかった時期があったんですよね。
もちろん、それは主張という意味では正しいのかもしれないけれども、対話にはなっていなかったのかなっていうのは、今思い返すとあって。えーと、大学側もやりたくないわけじゃ、なくて、どう妥協点を探っていくかっていう作業はしていかなきゃいけないんだなっていうのは今でも時々思い出すんですけど。
ここまではできる、じゃあ、ここまでは、ここまではできるかっていうことを、お互い擦り合わせていくっていう作業だっていうことを、本当にそのときに思いましたね。
――擦り合わせを?
そうですね。やっぱりこう100全てを受け入れてもらえるっていうのではない中で、じゃあ、どこまでは譲れなくて、どこからはいけるのかっていう所は丁寧にやっていかないといけない。
インタビュー25
- 肢体不自由のために、別室受験と時間延長などの配慮を受けた。拡大されたマークシート用紙が扱いにくく、2年目はクリップを持ち込んだ
- オープンキャンパスの時、大学に行くまでが、すごい山だなと思ったが、合理的配慮の時代に入っていたので、何とかなるだろうと思っていた
- 学内では必要な配慮内容を伝えればいいが、実習場面だとなかなか伝わらない。困ることだけでなく、「ここならこういうふうにできます」という申し出も必要だと感じる
- 入学当初は自分が困っていることしか言わず、配慮が受けられないと「どうしてできないのか」と憤っていたが、徐々に大学側と妥協点を探っていくことが必要だと気づいた
- 科目試験に関しては、90分で800字を超えると手では書けないので、レポートに替えるなど別の方法にしてもらっていた。その文字数は、センター試験を参考にしていた
- 教育実習が1年生の頃からあったので、早くからとことん話して対応してもらった。服装の変更や、福祉タクシーで実習先の学校まで行くことなどを配慮申請した
- 実習では大変なこともいっぱいあったが、誰と協働してどう働いていくかというイメージを積み上げられた1か月だったので、本当に行って良かったと思った
- 中学の時に始めた車椅子の50メートル走とスラロームを大学まで続けてやっていて、その中でたくさんのことを教わった
- これから大学に入る人は、できるかできないかより、やりたいかを先に考えてほしい。子どもたちにも、まず何がやりたいかということを、大事にしてほしいと思っている
- 週に2回、1回2時間、総合支援法のもとで宿舎にヘルパーに来てもらい、入浴介助と洗濯と掃除をしてもらった。食事は大学の食堂があり困ることはなかった