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インタビュー時年齢:43歳(2020年8月)
障害の内容:視覚障害(弱視)
学校と専攻:大学・理学部(1996年度入学)、大学院・生命科学(1999年度入学)
中国地方在住の男性。大学院で生命科学の研究をしていた22歳の時に網膜色素変性症の診断を受けた。顕微鏡を使う研究だったが、当時は視野がある程度残っていたので、そのまま研究を続け博士号を取得。アメリカの大学で6年間の研究生活を経て帰国。民間企業の障害者枠で就職を目指すも自分に合った仕事が見つからず、工業高等専門学校の人員募集に一般枠で応募して教職についた。現在は学生の目を借りながら顕微鏡を使った研究を続けている。
語りの内容
研究は、われわれの研究室では、やはり顕微鏡を主に使うんですね。なんですけど、私自身はもう直接、顕微鏡を触ることは非常に、もう少ないです。顕微鏡の前に座ってる学生がいて、学生に対して口で、顕微鏡の部分をこう操作して、で、どう見えるか。学生は、まあ、顕微鏡をのぞいて、「こう見えます」と言うので、「そしたらこれを、顕微鏡のこの部分をいじって」、「どうなるか?」って。「こう見えます」、「そしたらこの部分をいじって」、「じゃあ、こう見えます」。「じゃあ、これ、じゃあ、この見方で合ってるから、これでデータを取り続けてね」っていうような流れになります。
――そうしますと、先生のご研究は、この、学生さんの目を使いながらやるみたいな感じの研究を、なさってるっていうふうに考えてよろしいですか。
そうです。完全に、学生が私の目になっています。私も、まあ、左目の真ん中の視力が残っているので、見えなくはないんですが、いかんせん見える範囲が狭いので、画面の中で何が起こってるかっていう、全体を把握することはできないんですよね。ですので、画像を見るとかそういうときも、もう完全にあれです。そばに学生を付けて一緒に、見ていきます。
学生が、まず、見える画像の概要を説明してもらって、そしたらこの部分はどうなっているかみたいな話をしてですね、「こうなってます」と。で、「僕の目にも一応こう見えるけど、そう見えるけど」って。「学生の目でもそう見えてますか」って聞いて、「あ、見える、そういうふうに見えます」っていうような感じで。そうですね、ここにあるのは、徹底的にもう自分の目をですね、疑っているんですよ。なので、もう学生が、ほんとに僕の、きちんと見える目として働いてもらって、それで仕事をしてもらってるっていうことになります。
――学生さんにしてみたら、してみたらというか、学生さんってやっぱり、こう、知識とかキャリアとかは、ご自身が積んでこられた、先生が積んでこられたのとはほんとに違うと思うんですが。その学生の目で、見たものを、先生が理解して進めていくっていうことに、何か限界があるとか支障があるとか、そういったことは感じられたことはないんでしょうか。
うん。限界は、あるかもしれませんね。感じてはないんですけど、結局、学生の目を借りて物を見るっていうことは、学生が見落としてしまっているものは僕も見ようがないので、もしかしたらそこが限界なのかもしれませんね、はい。ただ、今のところこれといって何か、「あー」って、「画像の説明がなっとらん」みたいなことで切れたりしたこともないですね。
理工系インタビュー03
- 顕微鏡を主に使う研究をしているが、視野が狭いため自分の目を徹底的に疑っている。学生に代わりに見てもらって、見えている画像の概要を説明してもらって実験を続けている
- 視力が落ちて顕微鏡で試料を見るのが難しくなった頃にデジタルカメラが登場して首の皮一枚でつながって研究は乗り切れた。技術は日々進歩しているので情報収集は怠らない
- 右目の視力を失ったときはショックが大きくて、リハビリにも打ち込めなかったが、白杖を突きながら復職すると周囲の教職員の対応が変わり、ずっと働きやすくなった
- 帰国後民間で就職しようと思って仕事を探したが、博士号を持ち英語が堪能でも全く決まらず、高等教育機関のほうが自分を評価してくれるのはないかと考えて高専に応募した
- 学生たちは研究室に入ってくる時点で、自分の目のこともわかっている。顕微鏡を使う時にはその原理が理解できるよう説明しているので、学生からの評判は悪くない