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インタビュー時年齢:43歳(2020年8月)
障害の内容:視覚障害(弱視)
学校と専攻:大学・理学部(1996年度入学)、大学院・生命科学(1999年度入学)
中国地方在住の男性。大学院で生命科学の研究をしていた22歳の時に網膜色素変性症の診断を受けた。顕微鏡を使う研究だったが、当時は視野がある程度残っていたので、そのまま研究を続け博士号を取得。アメリカの大学で6年間の研究生活を経て帰国。民間企業の障害者枠で就職を目指すも自分に合った仕事が見つからず、工業高等専門学校の人員募集に一般枠で応募して教職についた。現在は学生の目を借りながら顕微鏡を使った研究を続けている。
語りの内容
就職活動はですね、結果から言うとですね、かなり苦労しました。というのはですね、まあ、そのときにですね、大学院の恩師は、まあ実際、僕が日本にいるときに唯一あれですよね、あの、目の障害のことを話した相手だったわけですね。で、僕はそのときから、まあ、実は企業とか民間含めてですね、えー、障害者枠ってあるのを知ってたんですよ。知っていてですね、で、教授と相談して、ぱっと見は、やっぱりそんな障害者に見えないし、ちゃんとパソコンとかできるんです。だったら、障害枠で仕事を探したらどうだっていう話があって、障害枠で仕事を探し始めました。
で、まあ、専門のですね、会社があるんですよね、障害者をですね、紹介する専門のエージェントっていうのがあって。まず、そこに登録をしました。そこに登録したら、えーとですね、紹介があるわけですね。で、面接まで行くんですね。で、そのときに私は、生命科学の博士号を持ってるってことと、あと、アメリカに6年いたので英語はそこそこできるっていうことで、声が掛かるだろうと思っていたんですね。で、最初のうちは確かに声がちょこちょこ掛かったんですね。ただですね、面接を受けてもですね、通らないんです。通らなくて、通らなくて、通らなくて、気が付くとですね、選択肢が減っていってですね。で、そのエージェントのほうからも、「すいません、もう残ってる仕事っていうのは、在宅でできる英語の翻訳とかなんですけど」っていう状態までなりました。
で、これではいかんなっていうことで、民間で就職しようと思って…しかも正社員で…と思っていたんですけど、ちょっとこれは無理だなって思って考えたときに、うん、もう障害者枠は関係なしに、やっぱり大学とかそういう高等教育機関っていうのが、自分のことをちゃんと評価してくれるんじゃないかと思って、えーと、もうあれですね。その年の12月ですね、ぐらいに、もう方向転換して。民間は取りあえず捨てて、大学関係に応募しようと決めて、実際、今、応募してここにいるわけですよね。結局、でもですね、大学関係に出すって決めたんですけど、出したのは今いる場所だけです、はい。運よく採用されて、今ここにいるという。これも、首の皮一枚つながった話ですね、はい。
理工系インタビュー03
- 顕微鏡を主に使う研究をしているが、視野が狭いため自分の目を徹底的に疑っている。学生に代わりに見てもらって、見えている画像の概要を説明してもらって実験を続けている
- 視力が落ちて顕微鏡で試料を見るのが難しくなった頃にデジタルカメラが登場して首の皮一枚でつながって研究は乗り切れた。技術は日々進歩しているので情報収集は怠らない
- 右目の視力を失ったときはショックが大きくて、リハビリにも打ち込めなかったが、白杖を突きながら復職すると周囲の教職員の対応が変わり、ずっと働きやすくなった
- 帰国後民間で就職しようと思って仕事を探したが、博士号を持ち英語が堪能でも全く決まらず、高等教育機関のほうが自分を評価してくれるのはないかと考えて高専に応募した
- 学生たちは研究室に入ってくる時点で、自分の目のこともわかっている。顕微鏡を使う時にはその原理が理解できるよう説明しているので、学生からの評判は悪くない