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診断時:57歳
インタビュー時:61歳(2010年7月)
インタビュー家族05 の夫
妻と2人暮らし。2004年頃、新しい職場に配属されストレスから不眠になり、メンタルクリニックを受診、うつ病と診断される。休職後職場復帰するが、仕事に支障が出て大学病院を受診。2006年に若年性アルツハイマー型認知症と診断される。診断6カ月後、36年勤めた市役所を退職。診断3年半後、有料老人ホームで介護の手伝いをすることになる。利用者の喜ぶ顔が励み。これからも何らかの形で人の役に立ちたいと思っている。
語りの内容
―― 若年性認知症という診断がついた時は、どんなお気持ちでしたか。
ええ、とにかく、その、病名がつくまではもう、じ、自分は誰かという、こう、自分が分からないっていうね。でー、あの、妻は戸惑っているわけですから、まあそのー、褒められることはまずありませんわね。「どうしたの」、「ああしたの」っていうような、だんだん声が大きくなるわけですね。それを、そのたびに本当、わたしはもう、駄目になると思いましたね。
で、えー、まあこれ、男性ですからね、こんなことをしてたら自分ではなくなると思って。で、わたしはあの、能力はないですけど、運動部出身ですから、ええ、何とかやらんと悪いと思ってね。で、それで走りだした。筋トレをして、走りだした。それはやっぱり、あのー、やる気になりましたね。ま、今でも毎日やってますけど。あれ、気持ちのいいものがありますね。
―― 病名が決まってショックを受けるというよりは、気持ちはもっと前向きな方に、割とすぐ変わられたのでしょうか。
そうですね。泣いててもしょうがないしね。ほんで、ま、さっき申し上げましたように、運動部だったから、その、どうなるかはわからないけど、運動しとけば、あ、最小にね、大きくではなくても、最小の、その、病気になると思ったんです。それからもう走った。
インタビュー本人04
- ある日急に自分が自分でないような感じになり、説明しようと思っても説明ができなくて、非常に心細かった
- これを飲めばよくなりますと医者に言われたが、状態はどんどん悪くなり、自分はうつではないと思った。気分は楽しいけど、できたことが急にできなくなり、俺は誰だ?と感じた
- 今は何ということはないが、自分のオフィスの中を移動するのに「俺はどこからどこまで歩かないといけないのか」という感じを持ったことがある
- 診断がつくまでは妻も戸惑っていたし、このままでは自分もダメになると思った。泣いていてもしょうがない、運動をすれば病気を最小にとどめられるのではと思い、ともかく走った
- 人が好きだから、利用者が困っていることがあったり、言いたいことがあるのがすぐ分かるし、ほとんどあたっている
- 職場で昇進し頑張ろうと思っていた矢先、打ち合わせ等で指示が思うようにできなかった。本来得意なはずの仕事なのに、自分が悲しく感じられた
- 病気がどんどん進んでいけば、私自身それを怖いと思うことはないと思う。できるまで努力をまっすぐにやっていくしかない
- 認知症になってから関係性が悪化しそうであれば自分が退く。相手の目の動きで自分の取るべき行動がわかるように感じるときがある
- 元気な頃は「おい」「飯」というだけだったが今は必ず笑顔で「ありがとう」という。今は「ごめんなさい」を言う練習もして、妻とぶつかっても自分が叱られて終わるようにしている
- ほぼ毎晩妻にスポーツマッサージをしてあげる。喧嘩になりそうになったときは、寝る前にマッサージしてあげると、30分前まで怒っていたのに、爆睡してしまうのがかわいい