家族が認知症と診断された時点でなんらかの形で仕事に就いていたと、家族の半数を超える方たちがインタビューで答えてくれました。ここでは、介護をしていくためにこれから仕事をどうするのかに焦点を当て、仕事を続ける、仕事を変える、離職する、仕事に就けない という4つの切り口から家族の語りをご紹介します。
仕事を続ける
一家の大黒柱が介護者になった場合、介護か仕事かという選択肢はなく両立をはかっていくことが自然だと、若年性アルツハイマー型認知症の妻を介護する男性は話しています。介護をしながら仕事を続けていくためには、勤め先の理解、介護休暇などの制度の活用、家族・親族の協力、そして介護保険などの公的サービスをいかに上手に活用していくことができるかが鍵となります。
両親を遠距離介護している女性は、介護保険を導入すれば負担が軽減できることが分かっていても、両親がそれを受け付けないので勤務日数を減らし、介護するしか手がなかったと話してくれました。
認知症の人を支える家族の中には、会社の理解のもとに仕事を続けている人も少なくありません。転職の際に、定期的に通院に付き添きそうことや出張は無理であることなどを伝えたという女性もいました。若年性脳血管性認知症の父を介護する女性は、職場で自分のやりたい仕事をまかせてもらうための環境整備として、根気よく介護サービスのメリットを母親に伝え続けたそうです。
介護に対する設備や制度を整えて、安心してフルタイムで働ける支援体制を望む女性もいます。一方、治る病気ではないので、介護休暇を取ることなど考えられないと話してくれた男性がいます。
看護師・ケアマネージャーとして働きながら、週末は実家で父親の介護をしていた女性は、父中心の生活ではあったが、仕事があったからこそ客観的になれ、他の家族から気づきが得られることもあったと話しています。仕事は、生活が介護だけにならないための気分転換や息抜きの役割も果たしているようです。
仕事を変える
認知症の人を支える家族が職を変える場合、①介護しやすい職場環境を選ぶ、②認知症になった大黒柱に代わって家計を支えるために職を変える、或いは仕事を増やす、という2つの理由が考えられます。私たちのインタビューでは、前者の例として、長女は徐々に勤務日数を減らし通い介護を続け 、妹2人が離職・再就職する形で実家の両親と暮らし、介護体制を整えたケース( インタビュー家族01のプロフィール を参照 )があります。後者の例として、脳梗塞で倒れた父の代わりに余儀なく進路を変えた当時19歳の女性の話を紹介します。
離職する
認知症を発症する人は年々増加するにも関わらず、受け皿となる施設には限りがあるため、離職して親や家族の介護に専念せざるを得ない人がいる一方、住み慣れた家で看取ってあげたいという思いから介護離職する人もいます。そのため、介護のために離職する人は増え続けています。定年1年前に教職を辞して家族とともに自宅で義母を看取ったという女性( インタビュー家族26のプロフィール を参照) 、両親の話し相手になろうと仕事を辞めた女性や苦労をかけた妻のために店を閉めたという男性もいます。また、60歳を機に介護に専念しようとした男性は、24時間介護をするようになると、妻以上に社会性が失われていくようで怖いと話してくれました。
仕事に就けない
上記の、離職したことで追いつめられてしまった女性は、ケアマネージャーとの話し合いで「娘だから当然お父さんの面倒看るわよね」という前提で話が進み、介護離職せざるを得なかったそうです。認知症の人を支える家族が女性の場合には、どうしてもヘルパーなどの家事援助は受けづらい状況にあります。ここでは、介護支援とジェンダーについて語られている話をご紹介します。
2021年7月更新
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