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インタビュー時:51歳(2010年7月)
関係:妻(夫を介護)
診断時:夫57歳(インタビュー本人04)、妻47歳
2006年に夫が若年性アルツハイマー型認知症と診断を受ける。夫婦2人暮らし。介護者は自宅介護をする傍ら、週の半分は家族の会の電話相談や講演活動を行う。夫は発病後、週3回有料老人ホームで入浴介助などの介護の仕事をしており、やりがいを感じ、利用者に必要とされていることを喜んでいる様子から、有り難い仕事を与えてもらったと嬉しく思っている。現在、介護に関する公的サービスは利用していない。
語りの内容
若年性のアルツハイマー型認知症ということで、えー、診断名を言われました、はい。
―― その(ご主人の)診断名をお聞きになった時の、奥様の心境とご主人様の状況はどうだったでしょうか。
それまではうつ病という形でね、言われていたので、こう、すごく手だてがない感じがずっとしていたんですね。この薬を飲んでもなかなか治らない、なんでだろうという感じで、ずっと来てましたので。若年性アルツハイマー型認知症ですよって、病名をきちんと言われたことが、わたしたち2人にとって、変な話、ほっとしたんですね。病名がついたってことは、病気を治すための何か治療があったりとか、きちんとしたお薬があったりとか、何かがあって、よくなるんじゃないかなっていうような感じを2人ともして。ほんとに病名がついてよかったよね、ああ、これから2人でがんばっていこうねっていうような、感じで。ほんとに、意外とすっと受け入れられて。何とか2人でがんばっていこうよっていう、すごく何か、2人とも明るい感じでですね、その時は受け止められました。
インタビュー家族05
- 夫がうつ病と診断された時も自分は疲れとしか思っていなかったが、薬を飲んでもよくならず、おかしいと思った。病院を4、5軒回って、詳しい検査の結果、診断がついた
- 若年認知症の夫はある日突然セーターやシャツを着る順番がわからなくなり、ネクタイも締められなくなったが、今日は一人で締められたので本当に嬉しそうだった
- 夫の運転は数年前からスピードが異常に遅くなったり、左右に偏ったりしていたが、ある日かなり危険な運転をしたことが病院を受診して診断されるきっかけになった
- できないことを責めてはいけないが、やってはいけないことをやったりしたときには怒っても、本人も厳しくしてくれてありがとう、と答えていた
- 全国組織の家族会なので各地の情報が得られるし、講演会でも自分たちの思いを聞いてもらえて、一人じゃないと思えるようになった
- 患者会では認知症本人の参加者は彼一人で、病気が進行した高齢者の介護の話を聞くのが辛かったようだが、人間としてのかかわりができると認知症の話はしなくてもよくなった
- 家族抜きで認知症本人たちだけで話し合う場があり、そこで奥さんの悪口いったりしながら、仲間と苦しい気持ちを共有することが、病気と闘う意志につながっているようだ
- うつ病と言われ、薬も効かずに手立てがない感じがずっとしていた。病名がついたことで、2人でがんばっていこうと、ようやく受けとめられた
- 本人が家族に求めているのは、介護というよりは思いを共有するサポートの役割である。本人同様家族にも人生があり、認知症に負けずに夢を追い続けたいと伝えたい
- これまで仕事の話などすることのなかった夫が、仕事への不安を口にすることが多くなり、仕事が忙しすぎるのかと心配になった
- 働くことで生活にリズムが出来るし、誰かに必要とされていることが本人を元気にしている。そして、額に依らず対価が得られることが夫の誇りにもなっている
- 無償ではなく有償ボランティアでやれるようになったのは、施設の方や周囲のサポートがあってのこと。病気を隠さずに自分から出て行くことが大事と思う
- 若年性アルツハイマー型認知症と夫の病名がついて、病気自体はすんなり受け入れられたが、病気によって変化する家庭の雰囲気や夫婦関係などがなかなか受け入れ難かった
- 自分の思いと本人の思いがずれていた。自分も大病したがそのときも気持ちを明るく持ち続けたので、それと同じことを認知症の夫にも求めてしまった