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インタビュー時:44歳(2021年11月)
関係:母(インタビュー34の妻)
医療的ケアのある子:次男11歳
首都圏在住。夫と長男、次男の4人家族。
次男は出産時の事故で低酸素脳症となり、現在も、気管切開と胃ろうなどが必要である。
自身は元獣医で医療知識はあったものの自分の子にケアを施すことに当初がく然とした。
次男は自分から身体を動かすことはほとんどできないが、まぶたや指先、目線で気持ちを伝えている。
指先のわずかな動きをアシストする方法で、読み手に思いを伝えることができ、思いがけない息子の気持ちに気づかされる。
語りの内容
介助付きコミュニケーションって言うんですけれども、介助者が彼の手をこう取って、彼の手を支えるっていうのが、ベースなんです。
(手を)支えて、彼が右のほうに丸とかばつ書いてねっていう話を、最初にいろいろ打ち合わせてですね。
丸はこっち、ばつはこっち向きに書いてっていうようなことをやり取りして、丸ばつからこう始めるんですけど、ちょっとだけでも右のほうに行くなっていう動きを感じたら、それを少しアシストするみたいな感じで。
右手が丸、こっちかって。
彼自身のロボットアームに自分がなった感じで、一緒にって言ったらあれですけれども、彼の動きを、やや増幅したほうが自分自身も読み取りやすいですからね、ものすごい小さな動きなので。
そういう形で練習をスタートしてくんです。
その当時からなんですけれども、そのやり方に慣れてらっしゃるかたがたとは、息子は普通にいろんな言葉を交わしました。
その1回目で私もびっくりしたんですが、「誰かに言いたいこと、メッセージとかあったらいいよ」って、「手紙書く?」って言っていただいて、「お兄ちゃんへ」って言って、彼はお兄ちゃんへ手紙書いたんですね。
その言葉が私はもうほんとに、もうこれは息子の言葉でしかないなと思うようなことを書いてくれました。
非常に次男坊らしい(笑)。
えーと、お兄ちゃんへ。いつもママを独占しててごめんね、みたいに。
で、僕はお兄ちゃん大好きだけど、お兄ちゃんどう? みたいなこと書いて、嫌いって言わないと思うけどね、そんな言葉で締めてあってですね。
最初は私の中でもこの介助付きコミュニケーションの方法っていうのを、半分受け止めつつ、半分どっかでいつも悩みつつ、でもこれが本当に彼の言葉であるとしたときに、私がそれを受け取らなかったらって思ったとき、怖かったんですよね。
彼がそれだけ思ってるのに母親が、周りの一般的に言われてることと同じようにして、そんな思ってるわけないでしょって、否定されちゃったら息子はどう思うかって。
それを思ったときに、恐ろしいと思ってですね、そんな身近な人間からの拒絶って、どれだけの傷を付けるだろう、息子自身にと思ったら。
そのことを考えただけでも、私はもう全部これをちょっと受け止めてあげようと思って、それから同時に私自身もそのやり方を練習してったんです。
息子とやり取りもっともっとしたい、してみようと思って。
私が彼をそういうふうに、扱ってきてるっていうことを、彼はしっかり分かってくれてるので、それによって何が起きたかっていうと、彼の気持ちが安定しました。
障害を持ってる息子自身の気持ちが、非常に安定したと親の目から見て思います。
インタビュー33
- 夫婦の負担の差に不満もあるが、日本の社会構造の問題だと思う。夫も社会も少しずつ変わり、今は任せられることも多くなった
- 地域の普通小学校に通うという選択肢があるとは思わず、勧められるがまま特別支援学校に決めたが、今は状況が変わってきたと思う
- 自宅で学習教室を開業した。自分の精神的よりどころとしても、医療的ケア児の親のチャレンジとしても仕事をしたいと思った
- 息子に視線入力にトライさせている。学校でも取り入れてほしいが、学校はこういった技術への取り組みが遅れているように感じる
- 制度の名前が似ていて、自分の家に該当する制度がどれなのかが全くわからない。一人一人にあった制度の情報を提供してほしい
- 息子は身体を動かせないが、飼っている犬が毎日、近寄っていって、舐めたり、鼻息をかけたり刺激を与えてくれて息子は喜んでいるようだ
- 介助者が手指の動きをアシストする方法で息子の意思を読み取る。彼に伝えたい思いがあるなら母親としてそれを信じて受け止めたい
- これまでの人生で経験したことのない目の前が真っ暗な世界だった。当時、自分には二度と心から笑える日は訪れないと思った
- 必死に生きようとする息子の横を必死で伴走するしかないと思った。気が付いたら、前より美しい世界を見せてもらえるようになった
- 気管切開と喉頭分離を母である自分が最終決断した。子どもから恨まれるかもしれないが、全て自分が責任を取るつもりでいる
- 手術前に「怖いけど、頑張る」と子どもが思いを伝えてくれた。そのやりとりがなかったら今でも悩んでいたと思う