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インタビュー時:45歳(2021年12月)
関係:父(インタビュー33の夫)
医療的ケアのある子:次男11歳
首都圏在住。妻と長男、次男の4人家族。
次男は出産時の事故で低酸素脳症となり、現在も、気管切開と胃ろうなどのケアが必要である。
自分は研究職で時間の自由は多少あり、長男の保育園の送迎や次男の夜のケアを担当してきた。
妻が次男のケアに一番関わり、気持ちを理解していると思う。自分は子どもとの遊びやお出かけを担当するのが役割だ。
最近、次男が大きくなってきたためお風呂に入れるのが難しくなっており訪問入浴の制度を望む。
語りの内容
出産が離れたところだったので、車で1時間半ぐらいかかるところで、帰省して出産するという形だったので、仕事があるので、仕事が終わって夜中に連絡を受けて、車で向かうというような形で病院には行ったんですけど。
僕が行ったときにはもう、下の子は生まれた後で、すでにそこにはいなくて、救急車でもう別の病院に運ばれていたので、そちらのほうにすぐ向かいました。
妻は当然もともと入院してたところに置いたまま、そんなに会え(なくて)、10分ぐらいかな、会って話をしたんですけど、すぐ別の病院に向かって。
行った先で長い時間待たされながら、たまに先生が出てきて状況説明してもらいながら、まあ、朝までずーっとそっちに付き添っていた形ですね。
僕が行ったときには、なかなか自発呼吸がないという状態だったので、割と最初から状況は厳しいっていうのは聞いてたんですね。なので、最初から、個人的にショックを受けながらも、その治療を見守るようなそういう形でした。
最初の何日間かは妻は、出産があったので、下の子のほうの病院には行くことができなかったんですよ。
なので、その間、僕が子どものほうの病院に行って様子を聞いて、妻のほうに戻ってある程度、状況を説明して。
ただちょっと、確定しない話なのでそんなに詳しく、今度の見通しとかは、僕の口からは説明しなかったとは思うんですけど、それを何日間か、繰り返してるような形でしたね。
――その後の経過についても教えていただけますか。
その後は、しばらくNICUにいたんですよね。割と1週間ぐらいは仕事を休んでたので、その間、毎日、母乳を届けるっていう意味もあって、毎日、行くことができてたんですけど。妻もまだ、入院してたっていうのもあったんで。
その後、しばらくずっとNICUにいたんですけど、仕事に復帰するってことになるとですね、毎週金曜日に、仕事上がりでまた車で戻って、日曜日の夜にまた今の仕事先の、住んでる地域に戻るっていうような形を、結構しばらく繰り返してましたね。
インタビュー34
- 次男は兄とその友人たちがゲームをしている姿をみて楽しんでいて、その空間が親としても嬉しかった(音声のみ)
- 妻からは控えるよう言われるが、帰宅後のお酒は精神衛生上必要でもあり、夜のケアは少し飲みながらすることもある(音声のみ)
- 手続きしに行政の窓口に出向くのは負担だ。コロナ禍で対面のやり取りが減っているが、一層のオンライン化を要望する(音声のみ)
- 息子が大きくなってきていずれ自分だけで入浴させるのが難しくなる。子どもの訪問入浴制度を利用したい(音声のみ)
- 週末に息子と2人で難病患者用のセンサースイッチでiPadのゲームをする。横について設定をするのが自分の役割だ (音声のみ)
- 病院に着くと子どもは救急搬送された後だった。自分が妻と子どもの病院を行ったり来たりし、妻に状況を説明した (音声のみ)