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インタビュー時:44歳(2021年11月)
関係:母(インタビュー34の妻)
医療的ケアのある子:次男11歳
首都圏在住。夫と長男、次男の4人家族。
次男は出産時の事故で低酸素脳症となり、現在も、気管切開と胃ろうなどが必要である。
自身は元獣医で医療知識はあったものの自分の子にケアを施すことに当初がく然とした。
次男は自分から身体を動かすことはほとんどできないが、まぶたや指先、目線で気持ちを伝えている。
指先のわずかな動きをアシストする方法で、読み手に思いを伝えることができ、思いがけない息子の気持ちに気づかされる。
語りの内容
うちの息子はですね、生まれたときの出産事故で障害を負いました。臍帯(さいたい)脱出ですかね。
それで緊急帝王切開になったんですけれども、病院内に深夜の時間帯でドクターがいらっしゃらなかったっていうことで、オンコールでドクターがいらっしゃるまでに少し時間がかかったりですね。
手術までの時間が割とかかってしまって、その間に低酸素状態で、ほぼ仮死状態で生まれたという最初の息子のスタートになります。
仮死状態の息子はもう、私も詳しくないですけども、最もひどいタイプだったということで、重度の低酸素性脳症というものを負いまして、もうゼロ歳、出産予定日その日に障害を負ったっていう感じですね。
間違いなく私たち2人とも、いったんどーんと何かに突き落とされたような日々だったとは思うんです。うん。ただ、そこに関して、何か夫婦として、なんかこう、話し合ったりとか、してないことはないはずなんですけど、あんま覚えてないですね。
ほんとに私にとっても、最初にこの出来事があってからの、半年ぐらいっていうのはものすごい、今、思えば不思議なくらいの世界に住んでたんですね。
すごくいろんな障害だの病気だのの、受容ステップの一つだったのかなと思うんですけど、やっぱりどん底、闇みたいなもの。
ここまでの思いはそれまでの人生でしたことがなかったので、初めて、目の前が真っ暗になるっていう日本語の表現があるじゃないですか。あれが現実なんだと分かったんですよね、その頃。
ほんとに色が無くなっちゃって、信号の色とかは分かるんですよ、赤とか黄色とか。分かるのに、目の前にこう、黒いフィルターかなんかが掛けられてるように、色が無いんですね。
こんな経験やっぱしたことなかったんですね。ちょっと客観的に思っても、ほんと色が無くなったって自分で思ってびっくりしたんです。ほんとに世界って真っ暗になるんだなっていう。
その頃はやっぱりもう二度と心からわーって楽しい気持ちで笑うなんてことは、もう自分には訪れないんだろうって思ってたし。
でも表面的には皆さん、看護師さんとか、病院の方とかとは笑顔で話してるんですけど、心の中がそういう状態で、そういう状態であることをまた気付いてる自分がいて。
半年、1年はかかってなかったと私の場合は思うんですけども、そういう時期を過ごしてたので、その頃、見聞きしていたこととかは、ほんとになんかベールの向こうのように、ちょっと感じるというか。
ちょこっとこうビジュアルであったり、キーワードみたいにどなたかの言葉であったりが、今、思い出されるぐらいの感じで、ほんと不思議な気分です。
インタビュー33
- 夫婦の負担の差に不満もあるが、日本の社会構造の問題だと思う。夫も社会も少しずつ変わり、今は任せられることも多くなった
- 地域の普通小学校に通うという選択肢があるとは思わず、勧められるがまま特別支援学校に決めたが、今は状況が変わってきたと思う
- 自宅で学習教室を開業した。自分の精神的よりどころとしても、医療的ケア児の親のチャレンジとしても仕事をしたいと思った
- 息子に視線入力にトライさせている。学校でも取り入れてほしいが、学校はこういった技術への取り組みが遅れているように感じる
- 制度の名前が似ていて、自分の家に該当する制度がどれなのかが全くわからない。一人一人にあった制度の情報を提供してほしい
- 息子は身体を動かせないが、飼っている犬が毎日、近寄っていって、舐めたり、鼻息をかけたり刺激を与えてくれて息子は喜んでいるようだ
- 介助者が手指の動きをアシストする方法で息子の意思を読み取る。彼に伝えたい思いがあるなら母親としてそれを信じて受け止めたい
- これまでの人生で経験したことのない目の前が真っ暗な世界だった。当時、自分には二度と心から笑える日は訪れないと思った
- 必死に生きようとする息子の横を必死で伴走するしかないと思った。気が付いたら、前より美しい世界を見せてもらえるようになった
- 気管切開と喉頭分離を母である自分が最終決断した。子どもから恨まれるかもしれないが、全て自分が責任を取るつもりでいる
- 手術前に「怖いけど、頑張る」と子どもが思いを伝えてくれた。そのやりとりがなかったら今でも悩んでいたと思う