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インタビュー時:44歳(2021年11月)
関係:母(インタビュー34の妻)
医療的ケアのある子:次男11歳
首都圏在住。夫と長男、次男の4人家族。
次男は出産時の事故で低酸素脳症となり、現在も、気管切開と胃ろうなどが必要である。
自身は元獣医で医療知識はあったものの自分の子にケアを施すことに当初がく然とした。
次男は自分から身体を動かすことはほとんどできないが、まぶたや指先、目線で気持ちを伝えている。
指先のわずかな動きをアシストする方法で、読み手に思いを伝えることができ、思いがけない息子の気持ちに気づかされる。
語りの内容
実はうちは視線入力装置を彼にトライさせてるんです。あと手元スイッチも。
どう伝えるっていうときに、そういう方法が、必要だろうと思ったんですよね。
より客観的にこれをこう、皆さんが分かりやすくする方法。
そしたら、すでにあったんですよね、世の中にはそういった方法が。
大人で中途障害の重度障害の方とか、ALSの方とかであれば福祉制度の中でも支給されてたりご自身が申請しないとですけども。
そういうものがあったっていうのがまず驚きでしたね、最初に。
それは自分から調べないと出てこなかった情報で、そこにもまた一つ驚きですよね。
どのように世間がわが子のような重度障害の子を捉えてるかっていうのがこう見えるというか、スイッチであれパソコンの視線入力であれ、もうすでにあるんです、今。
で、それらを使おうっていう対象の中にまず(子どもが)入ってない。
でもあったので、私は息子にそれをさせたいと思ってかれこれ2018年に始めて今3年目ですね。
視線でゲームとか、スイッチを押してピッピッて何か操作するとか。
で、そういう方法はもう今まで使われたデータがないというか、まだこの方法自体も新しい分野ですし、日々進化中の発展途上の分野だと思うんです。
それを実際に重度障害の、しかも生まれたときからの子どもがどのように使っていくっていう、確立された方法がまだなくって、私自身そういう機械関係が苦手と来てて、本当は。
そうなると、ほんと周りに専門のサポートしてくださる方が欲しいんですけど、さっき特別支援学校でっておっしゃいましたけれども、まだまだ先生方もご存じない範囲の話でほんとにここ1~2年やっとですね。
特別支援学校とかに視線入力装置がっていう話が盛り上がってきてるところなので、方法とか、どうアセスメントするとか。
効率的にね、子どもたちのこの分野を伸ばしていくのがいいとかいうのが、まだまだまとまってないなって思うんですね。
だからサポートしていただきたいと思いつつ、もうすったもんだしながら、時には全然させてあげられない状況で、きょうまで来てます。
でも、ご理解ある方にうちは恵まれてるので、学校には実は毎日持ってってるんです、iPadとかスイッチとか。
で、それを学校での作業にいろいろ工夫して使っていただいたり、パソコンのほうも週に1~2回、私が持ってったときは視線入力を先生方がセットして、息子にやらせていただけるっていう状況にまで今なっています。
子どもたちの思いとか好みとかそんなものがこう、はっきり可視化できるんですごいいい方法かなーと思ってます。
インタビュー33
- 夫婦の負担の差に不満もあるが、日本の社会構造の問題だと思う。夫も社会も少しずつ変わり、今は任せられることも多くなった
- 地域の普通小学校に通うという選択肢があるとは思わず、勧められるがまま特別支援学校に決めたが、今は状況が変わってきたと思う
- 自宅で学習教室を開業した。自分の精神的よりどころとしても、医療的ケア児の親のチャレンジとしても仕事をしたいと思った
- 息子に視線入力にトライさせている。学校でも取り入れてほしいが、学校はこういった技術への取り組みが遅れているように感じる
- 制度の名前が似ていて、自分の家に該当する制度がどれなのかが全くわからない。一人一人にあった制度の情報を提供してほしい
- 息子は身体を動かせないが、飼っている犬が毎日、近寄っていって、舐めたり、鼻息をかけたり刺激を与えてくれて息子は喜んでいるようだ
- 介助者が手指の動きをアシストする方法で息子の意思を読み取る。彼に伝えたい思いがあるなら母親としてそれを信じて受け止めたい
- これまでの人生で経験したことのない目の前が真っ暗な世界だった。当時、自分には二度と心から笑える日は訪れないと思った
- 必死に生きようとする息子の横を必死で伴走するしかないと思った。気が付いたら、前より美しい世界を見せてもらえるようになった
- 気管切開と喉頭分離を母である自分が最終決断した。子どもから恨まれるかもしれないが、全て自分が責任を取るつもりでいる
- 手術前に「怖いけど、頑張る」と子どもが思いを伝えてくれた。そのやりとりがなかったら今でも悩んでいたと思う